007.今を積み重ねること

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」と言ったのはニーチェ。生きるための理由を明確に持てている状態というのは、確かにその時には、生きることをやめたい感情は起きない。

未来に明るい展望がある人間は、今に悲観しない。今を悲観する人間というのは、未来に悲観的な展望を持っている。では肯定的な未来を見るためにはどうすればいいか。これは、未来をポジティブに捉えようと努力することでは、叶うものでもない。

ヴィクトール・E・フランクルは著作の「夜と霧」の中で、第二次世界大戦時の強制収容所にて未来に過度な期待をした人を描いた。その期待を裏切られた人は絶望し、生きる気力をなくし、現実に生命を失う。

私たちは、自分の中の期待とその期待の裏切りにより、最も強い絶望を感じるものなのである。

過去の自分を肯定できず、未来にも悲観している時、結局やれることといえば今をどう生きるかしかなくなるものである。なぜなら、結局、明日どういうことが起きるのかを予知することは実際にはできず、その時その時に自分がどうするかしかないからである。それは常に、そういうものである。

もちろん、今を生きると言えば偉人の誰もがそれを言うが、ことはそうたやすくない。誰かに不快な感情を抱いたり、自分に不快な感情を抱いたり、本当はやりたいことがあるのにそれを行えなくてゲンナリしたり。そういうことを繰り返す中で、どんどん人は疲弊していく。

今を生きるとは、希望に向かって進んでいくこととは少し違い、今やれることを今やることに他ならない。明日がどうなるかなんざ知らない。ライフワークなんざ知らない。今、興味を持ったことに今取り掛かるのみである。

今、眠たかったら寝て。今、走り出したかったら走り出して。衝動的になれというのではない。感情と意志を抱えて、向かいたいなと思う方向へゆっくりでも、塵のような積み重ねでも、今を積み重ねること。

結果は思わぬことに繋がったり、どんな結果も出ないかもしれない。それでも今を積み重ねる。生きがいというのも、大局ではなく、今の生きがいに他ならない。今、私がこの文章を書いているように。

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