見出し画像

青春は潔癖だ 小説「青が散る」のすすめ

テニスに打ち込んだ大学生、燎平の生活を描いた小説「青が散る」では、「潔癖」という言葉が登場する。

若者は自由でなくてはいけないが、もうひとつ、潔癖でなくてはいけない。

夏子は自分を潔癖やと思うか?

出所:青が散る(文藝春秋) 宮本輝

あなたは自分が潔癖だと思うだろうか?


青が散るのあらすじ

燎平は、新設大学の一期生として、テニス部の創立に参加する。炎天下でのコートづくり、部員同士の友情と敵意、勝利への貪婪な欲望と「王道」、そして夏子との運命的な出会い——。青春の光あふれる鮮やかさ、荒々しいほどの野心、そして戸惑いと切なさを、白球を追う若者たちの群像に描いた宮本輝の代表作。

出所:公式サイト(文藝春秋)

潔癖とは

デジタル大辞泉によると、潔癖についての解説は以下のようになっている。

①不潔なものを極度に嫌う性質。また、そのさま。「潔癖で、何度も手を洗う」
②不正なことを極度に嫌う性質。また、そのさま。「金銭に関して潔癖な人」

出所:デジタル大辞泉(小学館)

「青が散る」では、潔癖にどんな意味があるのだろうか。上記のうち、②「不正なことを嫌う」という意味に近いだろう。
加えて、私は「自分の言動に一貫性をもたせる」というニュアンスを含むと思う。

※以下、ネタバレを含みます。この記事をここまで読んで、ネタバレをされたくないと思った方は、いったん「青が散る」を読んで頂いて、その後にこの記事の残りを読んで頂けたら嬉しいです!

行動と結果を一貫させるべき

厳格な辰巳教授は、講義を無断で欠席した燎平に対して、潔癖を用いた次の文言を述べる。

「もう二度と、私の講義を無断で休んだりせんと誓うか。誓えるならこの珈琲を飲みなさい。誓えんなら、このまま私の部屋から出て行きなさい。どっちも君の自由や。若者は自由でなくてはいけないが、もうひとつ、潔癖でなくてはいけない。自由と潔癖こそ、青春の特権ではないか。こそこそと授業をずる休みして、うまく単位だけ取ってやろうなんてやつは、社会に出ても大物にはなれん」

出所:青が散る(文藝春秋) 宮本輝

講義をサボると、自由時間が生まれるが、単位がもらえる確率は下がる。
講義をうければ、講義中は教室にいなければならないが、単位が取れる確率は上がる。
どちらを選ぶかは自由ではあるが、自分の言動に応じた結果がいずれ生じる。
その結果を受け入れるべきであり、良いとこどりするのは潔癖とはいえない。自分の行動と一貫した結果を受け入れるべきである。
そして、行動は潔癖であらねばいけない。

まさに青春は、純白、いや潔癖なのだ。

対人関係における潔癖

さらに、個人のなかで完結する行動(例:講義をうけるか否か)だけではなく、対人関係における言動にも潔癖は求められるのではないだろうか。

婚約者がいる田岡と恋仲になった夏子に対し、夏子に想いを寄せる燎平はこのように述べる。

夏子は自分を潔癖やと思うか?

出所:青が散る(文藝春秋) 宮本輝

夏子は田岡さんと駆け落ちに近い行動をとる。
その夏子の行動は、潔癖なのだろうか。
特に、田岡さんと婚約している朝原さんに対して、潔癖な行動をしたと胸を張って言えるのだろうか。

他者と自分に「潔癖でない」と思うこと

生活するなかで、他者の言動に対して、「食い違いがある」「一貫していない」という思いを抱くことがある。
その想いは、「潔癖でない」という感情に近いのかもしれない。

日常生活で「潔癖でない」と感じることは、私に文章を書かせる原動力の一つとなっている。

もっとも、我が身を振り返ると、「私は潔癖である」と声を大にして言えるかと訊かれれば答えに窮する。
潔癖に生きようとしても、潔癖でないように生きてしまうのが人間の性であるようだ。
それでも、潔癖に生きるよう努めたいものである。

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,896件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?