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自己紹介① みなさまの期待する高橋奎ではないかもしれません

多くの新しい方にお会いした2019年でしたので、
自己紹介をしておきたいと思い。

まず先にお伝えしておきます。

みなさまが期待する高橋奎ではないかもしれません。

でもそれを宣言しておく方が、
正しく高橋奎をお伝えでき、
自分らしく居られ、みなさまのお役に立てると思うので、
お伝えさせていただければと思います。

歴代のnoteも参考に載せているので、ご参考までにぜひご興味ある方はお読みください。

●簡単な自己紹介

・1995年12月13日10時 東京生まれ
・172cm /O型
マリアの園幼稚園
→晃華学園小学校(小3まで)
→霧が丘第三小学校(統合)
→霧が丘小学校
→サレジオ学院中学校高等学校
→駿台あざみ野校
→横浜国立大学 理工学部 化学生命系学科
・FC東京、邦楽ロック、服が好き

●自分とは何者か?

「自分を一言で表すと?」という質問にはいつも

「複雑です」とお答えしています。

自己分析が超苦手でした。なんせ「自己探求こそ人生だ」くらいに思っているのですから。自己分析なんてパキッとしたこと言えないよ!と思ってました。
そんな僕でも、自分が分かる範囲で自分のことをお伝えします。

・自分らしく生きたいです

自分を表現するのが好きです。理由は、自分という存在に自信がないから。だから頑張って表現して、「ここにいるぞ!」と言いたいのだと思います。
洋服も自己表現の一つだし、音楽を聴いて踊るのはやっぱり自分らしさを解放している感じがするし、
このごろかけていないポエムを書くのも、自分の心の中の曖昧さを解放する手段だし。。。
やっぱり自分を表現することを止めると死んでしまいそうだなぁと感じている日々です。
だからこそ自分らしく人に貢献できるよう努力する必要を感じます。

・本質的かどうかを大事したいです

「世の中にとって」とか「中長期的に」とか「本質的に」ということを考えること、そしてそれに対して打ち手を打っていくことがとても好きです。
その一方で、本質的でないことをすることが、とても嫌いです。超しんどいです。
曖昧耐性ある方だよねと言われることもしばしばですが、多分そんなことなくて、うまく意味をつけて頑張らせているんだと思います。
まぁ総じて曖昧耐性あるってことかーと思うのですが、
心の中では、「本質的に次こうするために、今は一旦こうしておこう」と呟いてます。

・人について考えるのが好きです

きっと今までの人生、人のことを理解できなかったことがあまりに多いからだと思います。
目の前の人がどんなことを思っているのか、どんな風にして欲しいのか、そんなことに日々興味を持ちながら過ごしています

・世の中の構造を考えるのが好きです

昔から物事を構造的に捉えるのが好きだったこともあり、
「因果関係」や「世の中の成り行き」を考えるのがとても好きです。
だからこそ、具体的事象を抽象化することが得意で、好きです。

・新しく変化を加えることがしんどいけど好きです

違和感をエネルギーにしているので、初めは理解されないことが多くしんどいですが、それに立ち向かうことが好きだったりします。

そんなわけで、「いつも元気で笑顔な高橋奎」ではなく、「結構繊細で、難しいことを考えて、頑張っている高橋奎」だと思っていただければ幸いです。
意外とめんどいかもしれませんが、本質思考なので、一緒にいて楽しいと思います(自分で言うな)

ここからはそんな私の過去のことをつらつらと。

●医者家系に生まれました

祖父はかなり有名なお医者さんでした。
今では〇〇会とつくような会派を持ち、
複数の病院を経営するような医者家系に生まれました。
そんなこともあり、小さな頃からお受験をして、中学校も私立へ行き、
「勉強しなさい」「ルールは守りましょう」と言われるような家庭で育ちました。
自分らしくいたいと思う自分にとっては結構しんどいことも多かったなーと振り返れば思いますが、
とても感謝しています。

●「死ね」と言えば校長室行きの私立小学校

そんな僕が初めて通った小学校はカトリックの私立。
僕はスポーツ万能、勉強は微妙なタイプ。
成績が悪ければ、猛烈に怒られる環境で結構大変でした。
なんせ「死ね」と言うだけで校長室行きの環境(当時、死ねと言う言葉は使ったことありません)
とても厳しい環境で「ルールを守る」ことを叩き込まれました。
いやぁ大変だった・・・

●「カルチャーショック」な公立小学校

父の転勤もあり、横浜へ移住。
公立に転校になったのですが、カルチャーショックの嵐
・授業を聞かないことが当たり前
・勉強のレベルの低さに唖然
・放送禁止用語を言っても怒られないのが当たり前
スポーツ万能だったため、すぐに馴染むことができたものの、
そんな環境に合わせることに疲れてしまい、登校して数日後に1週間寝込んで休むという・・・

今思えばこの当時から繊細さが垣間見れますね・・・・

●中高一貫男子校

そんなこんなでサレジオ学院という神奈川4番手の男子校へ入学
中学ではサッカー部キャプテン、高校ではニートをしてました。
(高校時代は音楽やって、作詞作曲とか片手間でしてました)
一番の思い出は、高3最後の体育祭で、集団行動を作ったこと。
音楽と構成を一から全部設計したことが今でも心に残っています。

やはりこの時から、全体最適とか、場の設計は好きだったのだなーと振り返ると思います。

●浪人生活

勉強もちゃんとしなかったので、浪人。
駿台あざみ野校というアットホームな環境で毎日9:00~21:00で勉強。
受験勉強なんて糞食らえと思っていたので、当時夢だった「化学の先生になること」を理由に自分をマインドセットして、
泥臭く中学英語からやり直す日々。
数学も高校の基礎からやり直したなー。
本当にバカだったのに、よく横浜国大に入れました。

●大学生

1年の前期は、ろくに大学へ行かずにアルバイトをして、
1年後期からはNPOカタリバの活動にのめり込む日々。
組織に属すると、組織的な課題を解くのが楽しくなり、
つい自分の時間よりも、組織をより良くするための取り組みに時間を使ってしまう。
#対話   #コーチング #キャリア学習 #ファシリテート #コミュニティデザイン
にのめり込む日々でした。
これと決めたらとことんやりきると決め込んで、いろんなハレーションも乗り越えながら、信念持ってやり続けたあの日々は今では大切な宝物です。

就活は大学3年のサマーインターンからしていましたが、とあるキャリアアドバイザーの「高橋くんならどこでもいけるよ」の一言で後回しにし続け、
大学4年の4月から本格始動。
複数社最終面接まで行くが、覚悟感ないまま受けるのが嫌すぎて辞退を連発。
内定をいただくも大学4年1月に辞退。
という全く参考にならない就活を経験。

●フリーター

そんなこんなで迎えた23歳の4月はフリーターでした。
お仕事はいただけていたのでフリーランスと言えるのですが、まぁフリーターでした。
人生どうにかなるけど、どうにかするのは自分だなーと思う日々。
そんな日々の中で今の会社に出会いました。
STARMINEとの出会いはWantedlyから。
初めての面談は、ビデオ面接で、リモートワークが良かったからライターを志望したのに、
面接10分後に「新規事業を創ろう」と言われ、
話していても価値観に相違がないからこそ頷き、入社を決意するという流れ。
今思うとよく決断できたなーなんて思うけど、その一方を踏み出してよかったし、
この一歩をもっと正解にしていきたいと思う。

●社会人

メインはコンサルタントとして、
採用組織領域でご支援をさせていただいております。
この辺のお話はまた今度しっかり書かせていただきます。
他には池袋でシェアハウスもしたりしています。
絶賛同居人募集中なので、気になる方連絡お待ちしてますー!

追記2020年4月1日よりフリーランスとして独立いたしました。

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