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2022年、変わった事まとめ

ちょうど1年前、こんな記事を書いた。

折角なので、今年も書いてみたい。
何せ2022年も激動の1年。
色々あった。本当に。

私が今こうして記事を書いていられるのは、偏にTwitterで繋がって下さった自問自答ガールズのお陰。
彼女達がいなかったら、多分今頃やさぐれて病んで、もしかしたら死を選んでいたかも知れない。

それほどまでに、今年は本当に苦しくて、みじめで、怒りが抑えられなくて、悲しい年だった。

1.ファッション

2021年と大きく変わった点はなく、トップスもボトムスも2~3点入れ替わったくらいだろうか。

この1年で更に太ってしまった為(ストレスが食欲増進に繋がるタイプ)、新しい服を買う気になれずにいる。

9月から市の臨時職員として働き始めたのだけれど、制服通勤なので私服を着る機会は激減してしまった。
休日は大抵整骨院やマッサージに通うので、動きやすい服をユニクロで揃えている。仕事柄感染症対策には少し神経質になっていて、外出は必要最低限。
今の私のファッションは、似合うかどうかよりも機能的かそうでないかに左右されている。

正直、着ていて気分が上がるものではない。
仕事着は悩まなくていいのでオールブラック。子供達と関わるのに動きやすいものでなくてはならない。
仕事中はファッションで気分が華やぐ瞬間は皆無だけれど、臨時職員でかつ年度末には契約が満了になるため、期間限定と割り切っている。

姿見に映る、自分のだらしない体型が空しい。
別にモデル体型になりたいわけじゃない。
単純に、服を買いに行ってサイズで弾かれないくらいになりたい。
着痩せしてしまうらしいから誰も信じてくれないが、私の体脂肪率は30%を余裕で超えており、健康面でも好ましくない。

どうせ好きな服を着るなら、目一杯晴れやかに着こなしたい。
ウエストのゴムがきついとか、腕がパツパツで動かしにくいとか、そんな理由で着たい服を諦めたくないのだ。

とは言え、156㎝63㎏、体脂肪率30%超えの体をどうしてやればいいのか、本当に悩んでいる。

2023年は、ファッションを楽しむための身体作りが課題となりそうだ。

2.住環境

私は自分の今いる部屋が大嫌いだ。

子供の頃から、この部屋ではいつも悲しく、苦しく、忌まわしい記憶だけが積み重なってきた。

もちろん、精一杯趣味を楽しんだりもしてみた。

それでも、折に触れ過去の記憶が蘇っては私を苛つかせ、時には泣かせた。

この部屋は、膿が多すぎる。長くい過ぎたのだ。

そう感じる要因の1つは、後述する家族への想いが様変わりしてしまったことだろう。

どうしてあんな家族の為に私がいつまでもこの部屋にいなければならないのか?

そう思えるようになったのは、本当に大きな一歩だと思う。

今もその嫌いな部屋でこの記事を書いている。

嫌いなりに過ごしやすくしたくて、昨年からまた物を減らした。
文具や化粧品、書類関係をひとまとめにしていたメタルラックは一回り以上小さな物に替えた。
無印良品の収納用品を買い込み、できるだけすっきりした収納を心掛けた。

そして、Webライターを本格的に目指すべく新しいパソコン、スタンドを買った。

今年の夏前から家族のクズっぷりに振り回されるのが辛過ぎて、何度も自殺を考えた。
しかしこんな私にSNSでたくさんの人が呼び掛けてくれて、徐々に正常な判断力を取り戻した私は随分考え方が変わった。

高校を出てからずっと、家族の為に安定した仕事をしなきゃと思って仕事を選んできた。
『どうせ私は家から出ずに母を支えなくちゃならない』
心のどこかで諦め続けて、自分の道を狭めながら生きてきた。

自分で決めて資格をいくつも取ったけど、その時私は楽しかっただろうか。
達成感はあったけど、その資格を活かして働く仕事って、本当に私は楽しめるんだろうか。
もしかしたら、これから出会えるかも知れない。
でも今は、持っている資格や家族の安定なんて考えないで、本当に楽しいって感じる仕事をしてみたい。
いつまた死にたくなるか分からない。
もしかしたら、明日事故で死ぬかも知れないし、通り魔に殺されるかも知れない。
それなら、どうせいつか死ぬなら、それまでに本当にやりたい事で稼いでから死にたい。

私は子供の頃、作家になりたかった。本が好きで、図書室で推理小説やら古典文学やらを借りては貪るように読んでいた。

いつか自分も、誰かの心を揺さぶる文章を書きたい。

かつては同人活動でその欲求を満たしていたけれど、それも30代に入る頃には難しくなっていた。

あれから10年以上経ち、本を読むことも文章を書くこともなくなっていたけれど、やはり『好きなこと=文章を書くこと』だと再認識してしまった。

noteでもTwitterでも文章は書ける。
でも、私は死ぬまでに自分の文章で稼いでみたい。
それができるのかを試したい。

そう考えた時、自然にWebライターへの道を選んでいた。
家にいながら仕事が取れて、初心者でも比較的とっつきやすい文筆業。
とあるコミュニティに入り、日々課題と向き合っているうちに『もっと環境を整えないと』と思い立ち、パソコンを新調した。

月に1度はコミュニティの方々とzoomで語り合い、愚痴を言い合ったり問題の解決法を語り合ったり。
家族よりも、外の繋がりが私の心を自由にしてくれて、この嫌いな部屋にいる時間を温かなものにしてくれている。

3.心の在り方

【家族の為に長女の私が老いていく母を支えねば】
これが、つい数か月前まで私の心の根っこにあった固定観念。

【家族がどうなろうと私は私を大事にする】
これが今の私。

考えてみれば、私は40代で弟妹は30代、もう大人なのだ。

長女がどうとか知ったことか。

私は弟妹と大きく年が開いていた為、どうも無駄に長女気質なところがあった。
母子家庭で育ったという点も大きく影響しているだろう。
それを適当なタイミングで払拭できなかった私にも非はある。

弟妹が成人するまでは自分のことは後回し。
祖父母が安全に暮らせるようにフォローする為には、地元でいつでも動けるようにしていないと。
年を取る母を看るのは私。妹は遠方で子育て中だし、弟は結婚してこれからだし。

10代から40代初めまで、こんな考えに縛られてきた。

本当にバカだった。

誰も私にそこまでの役割を求めていなかっただろうに。
独りよがりな使命感、生来の空気を読む癖が悪い方向に働いてしまった。

弟の裏切り、母の依存気質にここまで苦しめられると知っていたら、私は20代で遠い土地に行ったと思う。

物事はいつでも、適切なタイミングで起こると何かで読んだ。
また、ステージが上がる前兆として悪い出来事に見舞われるとも。

だとしたら、私がこの年齢で新たな想いに目覚めたことには意味があるし、これからステージアップが起こるはずなのだ。

家族に対してはまだ怒りが大きく、関係性もこじれたままだ。
それでも、薄皮1枚張ったような気持ち悪い演技をしながら、無難な家族を継続している。

そう、私は家族相手に演技をしている。
そしてそれは、誰にも責められるものではないと思っている。

いつか切れる縁だ。

何事もなかったかのように振る舞う母も弟も、もはや欠片も信用していない。

私が彼らと離れられる時が来るまで、演じてやろう。
真心で向き合うから、裏切られた時に死のうなんて考えるんだ。

家族だから一緒にいなきゃ。
家族だから信じあわなきゃ。

そんな綺麗事がまかり通らない家庭もあるだなんて、子供の時に思い知らされていたはずだ。

冷たい人間だ、と我ながら思う。

先日母の肝臓癌が見付かり、それは初期だったので専門の病院で半月ほどの入院で済む。
一喜一憂する母を見ても、私には他人事のようにしか思えなくなっていたことにぞっとした。

もちろん娘として入院日は付き添うし(面会は一切禁止)、話を合わせるくらいはする。
けれど、母が入院する期間だけは少し自由になると思う自分がいる。

こんな風に考えても、きっと母が死ねばそれなりに悲しむのだろうし泣きもするのだろう。

それすらも、赤の他人の事のように想像している。


おわりに

1年で随分心の在り様が変わりました。

家族が大好きな方、心の優しい方がこの記事を読んだら、きっと私を冷酷だと思うでしょう。

それでも、私はこの場で自分を偽ってキラキラした文章を書く気にはなれませんでした。

noteもTwitterも、私の中にある澱みや膿を出すために必要な場所です。

年が変わるこのタイミングで、どうしても『今の私』を正直に書いておきたいと思いました。

最後まで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。

恐らくは自問自答ファッション繋がりの方が多いと思うのですが、ファッションにかすりもしない事を延々と書いてしまってすみません。

今後も暗い話を書いてしまうと思うのですが、快適な住環境やファッションについても考察していくつもりなので、また読んでくださると嬉しいです。

それでは、2023年もよろしくお願いいたします。
良いお年を!







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