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一週間で感じた読書の凶暴さ。

苦手だった読書を習慣化して一週間経ちました。
この一週間だけでも仕事で疲れた時でも頑張って読んでみました。また読書日記を書きnoteに投稿をするアウトプットも同時に行ってきました。
始めは自己投資になるのかと疑問に思いながら読み進めてみると、そこには想像もしなかった壁がありました。

私は本当に「アウトプット」しているのか?

読書日記を書いたりnoteに投稿したりしていますが、思ったことや言いたいことを只々書き進めているだけです。
しかし、それは読書した結果をちゃんと「アウトプット」をしているのか疑問に思いました。私自身「できていない!」と言わざる負えません。

私にはできない。あなたと私は違う。そうなる方法を具体的に示してほしい。など、「アウトプット」する以前の問題で転んでいるような気がします。

読書を習慣化する理由がすでに斜に構えてしまっているので大きな壁が必然的にあったのかもしれません。

読書だから私の癖が出てしまう

読書から読み取ったものをまずネガティブに変換し、そこから思考してしまい、読書日記やnoteに投稿していました。
読書でこのような癖が出てしまうことを発見したのは良いのですが、そこからどのような改善策があるのかすらわからない状態です。

会社などではまず「助けてくれている」又は「助けてあげている」と言う物差しで考えているので全く苦ではないのです。

やはり、読書という苦手相手だとこのような癖が出てるのかもしれません。


素直じゃないのかも・・・

このような癖は自己暗示で治せるなど言う人もいます。が、私はどうも信用できないのです。

その結論に入る前に、実動→状態→自己暗示を行うというプロセスがなかったのです。単に「気持ちの問題だ!」など言われても私は単なる根性論でしか見れなくなります。
ゲームなどはそれこそ「操作する」→「キャラが動く」→「これは面白い」と言うプロセスが成り立っているのです。

等と書いていると私自身「素直じゃない」と思ってしまいます。

あとやっぱり読書と投稿は疲れる

慣れてないせいかもしれませんが、読書だけならまだしもアウトプットを行うため疲労がたまります。
あと、自分の文章が嫌いなこともあり、日記やnote投稿はストレスが溜まってしまいます。


最後に、著者様に・・・

著者様、失礼ですが私は貴方方みたいになるのは不可能です。
実行しましょうと書かれても出来ませんとしか言えない。
それが今の私の実情です。

ぜひ、この実情を解く魔法を教えてください。

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