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ジョナサンで小説を

僕は小説家だ。恋物語という本を上梓している。まあ、たった一冊と言うなかれ。アマゾンではキンドル本を数冊出している。

問題は本を出すだけで小説家と言えるかである。読み手の一人もいない小説家に存在意義はあるのかである。

小説家は読み手がいて初めて書く意味が出てくる。読まれない小説を書いても小説家とは言えないだろうな。

というわけで、僕は小説家とは言えない作家だ。ははは。

僕の小説は面白い。自分で読んでみてそう思う。だから間違いない。しかし果たしてそうだろうか。自分の好きな話を自分の文体で書かれているのだから面白いに決まっている。この評価は自己満足であり、発展性がない。

狸と狐…愛植山に住む狸の保君と狐の桐子ちゃんが同棲する話
狸と犬…鎖が絡まってしまった犬のジョンが困っているのを狸の弥太郎が助ける話
世界の猫…ウクライナ戦争で近所のスーパーが値上げをして、猫の餌にまで影響が出てきたので、戦争をやめさせようと猫の町会で決議され、日本の総理大臣猫からロシアに提案がもたらされ、ロシアの猫たちが細菌研究所のペスト菌を開放することで、戦争どころではなくなり、戦争が終結する話

このように動物ものを上梓しているからといって、動物小説家とはいえない。

青山霊園の幽霊、八王子廃トンネルの怨霊、町田トンネルの消える死体、黄泉平坂川の手前
といったスリラーも書いている。だからといって、恐怖作家ともいえない。

マンホールの夜、曙住宅殺人事件、浜町ノッポビル墜落死事件といったミステリーも書いている。だからといってミステリー作家ともいえない。

リラクゼイションハウス上海、秘書課陽子のイタリア人研修などのアダルトものも書いている。だからと言ってポルノ作家ともいえない。



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