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旅人 ある物理学者の回想 - 感想・引用

著者プロフィール:  湯川 秀樹
1907年、東京生まれ。京都帝大理学部物理学科卒。39年、京都帝大教授となり翌年、学士院恩賜賞を受賞。43年、文化勲章を受ける。49年、日本人として初のノーベル物理学賞受賞。研究者、科学啓蒙家としての活動以外に、平和論・文明論・科学論・教育論・人生論など多彩な分野で活躍した。81年没。

旅人 ある物理学者の回想 (角川ソフィア文庫) Kindle版

今回の記事は、日本初のノーベル賞受賞者である湯川博士の自伝です。

この記事では、本の要約をするのではなく、輪読会を行うにあたり、私が読んだ感想や本からの学び、一部引用を紹介するものです。輪読会用のメモなので、一般的な記事のようにきちんと整理されているわけではないのでご了承ください。

感想

  • 湯川先生の葛藤を感じられる作品

  • それと同時に、知的好奇心が強い、本の虫であったという一面も知れた

  • 当たり前の感想だが、このような偉業を成す人は、何かに熱中できる能力があるのだなと。

  • また、親から「あいつは何を考えているのかわからない」と言われていたのが印象的。

    • 自分は否定的で貶されていたけど、ずっと親にこれを言われていた

  • 数学が得意な人で、かつ、他の人に比べると観察眼が優れているわけではない。

    • 数学が得意で、論理的思考から導かれる発想・着想に自信があった。

  • あまり目立たない生徒というのも印象的。

    • 内向的で自分の世界に浸れるような人物が、こういう世界で輝けるのだろうなと。

      • 一方で、(湯川先生が)リーダータイプかと言われるとおそらくそうではないのだろう。

      • 他人に影響力を行使して、何か物事を成していくタイプではおそらくないし、ただ湯川先生は湯川先生の方法で、世の中に多大な影響を与えた。

  • 重い荷物を持って山に登る、旅路を行くという表現が徳川家康を思い出させた。影響を受けているのかな?

  • 環境を変えるというのも大事。

    • 京都から大阪に引っ越す。

    • 結婚する。

    • 意識と、特に好奇心に導かれる積極性が増したのではないかと考えた。

  • やっぱり何かのタイミングで人に恵まれることによって、人生の運は拓けてくると思った。

    • 大阪大学の教授に出会う

    • もちろん、人に出会ったときにチャンスを掴めるように、自分の技術を磨いて、価値を高めておかなければならないことは言うまでもないが。

    • 自分もそうすることによって拓けたと思うし、誰かにとって自分もそうでありたいと思う。

      • そして、その貢献と姿勢が、後世への最大遺物になるのだと思う。

  • この作品は、湯川先生がノーベル賞の元となる論文を提出した後のことが一切書かれていないというのが強いメッセージだと思う。

    • この本が何歳の時に書かれたか、そして、湯川先生が何歳の時にノーベル賞を取ったのかは不明だが、その後、学問・研究にしっかりと時間をとって関われなくなるというのは、残念だと思った。

    • この点についてはどう考えたら良いのだろう?

      • Larry Pageのように、全然表舞台に姿を現さない人もいる

    • 日本の科学の発展という点から考えれば、このような人が動いてくれることによって、大きく貢献できることが間違いなくある。

  • 時代感は戦前。1920年ぐらい?この当時、流石にドイツなどの研究先進国と比べるとまだまだ遅れているのだろうが、このような研究をするための基盤ができていたというのはすごい。

引用

あの子は、何か内側で抑えつけているものがある。それが表にあらわれる時、しばしば、妙に独断的に見えることがある。五人の中で、一番見通しにくい性格だ。それが私を不安にする。

秀樹という子は、比較的無口なところといい、物静かなところといい、この母親によく似た子だ。いや、静かな中にも強靭なものを一筋、はっきりとつかんでいるらしい点も、共通している。

私はあの子の教室で、数学を教えたことがある。秀樹君の頭脳というものは、大変、飛躍的に働く。着想が鋭い。それが、クラスの中で、とびはなれている。ほかの学科については、成績表を見る以上にくわしくは知らないが、数学に関する限り……こういう言い方はおきらいかも知れないが……天才的なところがある。これは私が保証する。将来、……いや、将来性のある子だ。

私は、私の証明が間違っていなかったことに安心した。もう点数はどうでもよかった。しかし数学に対する興味がいっぺんに冷却してしまった自分を、どうすることも出来なかった。

私の知識欲は旺盛であった。しかし、早く消化吸収してしまわなければならない新知識は、山のようにあった。何食分かのごちそうを、一度に目の前にならべられたような状態であった。

私はそこで考えた。いきなり、原子核の内部での電子のふるまいを問題にする前に、原子核の外をまわっている電子と原子核の間の相互作用を、よく調べたら、何か手がかりが得られるであろう。それには原子スペクトルの超微細構造の理論を、新しい量子力学の立場から再検討することだ。特にディラックの電子論は、すでに原子核の外では異常な成功を収めている。この理論を水素原子のスペクトルの超微細構造に応用して見よう。

私が一番恐れたのは、日本であろうと外国であろうと、自分のやりたくない問題を押しつけられることであった。私は自分の研究に、知・情・意の三つをふくむ全智全霊を打ちこみたかった。中途半端な気持では、研究の全然やれない、 厄介な人間であった。

これから先のことは、私はいま書く気持がない。いちずに勉強していた時代の私が、無性になつかしいからである。そして、これから先を書けば書くほど、勉強以外のことに時間をとられてゆく自分が、悲しくなってきそうだからである。

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