【小説】JK芹沢千絵理はかく語りき Op.2『間奏曲』②
(①はこちら)
彼女のすすめるままに、あれこれ録音を聴きながら過ごしているうちに15時になった。
「あの、明日の午後はお暇ですか?」
お礼を言って退室しようとすると、彼女が呼び止めた。
「ええ、まあ…」
また来てくれということだろうか?
「そしたら、これ一緒に行きませんか?」
彼女は1枚のチラシを差し出した。「明ヶ丘フィルハーモニー管弦楽団 特別演奏会」という文字が印刷されていた。
「地元のオーケストラなんですけど、うちの文化祭で明日の13時から体育館で演奏するそうです」
「はあ…」
「たしかにアマチュアなので技術的にはプロより劣りますけど、すごいんですよ。一生懸命で感動的とかそういう次元を遥かに超えています。例えばこの前の定期で演奏したブルックナーは安定感が抜群で…」
「ごめんなさい、そろそろ戻らないと…また明日!」
彼女の言葉を中断して教室へ戻った。
翌日、私は13時の5分前に体育館へ来た。正直気乗りはしなかったが、思わずチラシを受け取ってしまったし、なんとなく彼女の誘いを無下にはできなかったのだ。
彼女は先に来ていて私に気づくと手招きをした。
「意外と盛況でしょ?早く来ないと席が後ろの方になっちゃうから」
彼女は私を隣に座らせると、挨拶もそこそこにマシンガントークを展開した。
明ヶ丘フィルハーモニー管弦楽団は本校の卒業生を中心としたオーケストラで、地元のホールで年に2~3回定期公演を行っている。指揮者も本校出身であり、今は市役所に勤める傍ら活動しているという。アマチュアながら新作の初演や録音も行っており、マニアも唸らせるのだとか。
やがて団員と指揮者が入場し、およそ30分のコンサートが始まった。
曲はシューベルトの交響曲第5番変ロ長調。
シンプルで素朴な優しい美しさ。けれども、ときどき憂いがある。春の明るい日差しの中でふとした瞬間に影が見える、そんな印象を受けた。
私が他人の演奏を聴くのはいつぶりだろう。もちろんデモ用の録音を聴いたり、コンクールで他校の演奏を聴いたりすることはあった。けれどもそれはあくまで「お手本」であったり「目標」であったり、いずれにせよ自分の演奏を良くするためであった。音楽ではなく情報として取り入れていた。
そもそも私がトロンボーンを始めた理由は何だったか?長いスライドを持ったフォルムがカッコ良かったから。
スライドのポジションを自分で決めなくてはならないため、はじめは正確に音程を取るのが難しかった。でも、上達するにつれてスライドの微妙なさじ加減で自由に演奏できる面白さに気づいた。主旋律として常に目立つわけではないけれど、ハーモニーの中核として重要なポジションを得ているこの楽器が好きになっていた。
そんなことを考えていたら、自然と涙が零れてきてしまった。
「大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます」
終演後に彼女はハンカチを差し出してくれた。
「そんなに素晴らしかったですか、この演奏?」
「いえ、あ、もちろん演奏は素晴らしいけど、ちょっといろいろと思い出して…」
「名曲喫茶アルマ」へ向かい、私は彼女に打ち明け話をしていた。中学の吹奏楽部のこと、受験のこと、この学校でのこと…
「そうだったんですね…」
「恥ずかしながら…完全に拗らせてますよね、私」
「いえ、なんとなくわかりますよ」
「…」
「あの、この流れであれなんですけど、うちの部に興味あります?」
そう言うと彼女はまた1枚のチラシを差し出した。
「古典音楽鑑賞部?」
「はい、クラシック音楽を鑑賞する部活なんです。この準備室は使われていないので、部室として使わせてもらってます。あと、たまにコンサートへ出かけたりもしてます」
入学当初、このような部は存在しなかったはずだが、なんと先月に彼女が立ち上げたのだそうだ。そして、部員は2名。絶賛募集中だという。
どうせ帰宅部で、放課後は暇だ。それに彼女と一緒にいるとなんだか新しい扉が開ける気がした。
こうして私は彼女、芹沢千絵理が部長を務める「古典音楽鑑賞部」へ入部することとなった。
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