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【小説】JK芹沢千絵理はかく語りき Op.5『レントより遅く』①

 この春、私の英語教師としての生活が始まった。
 大学で教員免許を取得後、地元の教員採用試験に合格。県立明ヶ丘高校に配属され、私は副担任として1年生を受け持つことになった。

 朝は7時半出勤、夜は19時ごろ退勤。公立なので安定はしているものの、残業代は付かない。だから早く帰った方が良いのだが、授業以外にも事務作業や行事の準備などやるべき業務は多い。でも、先輩は良い人だし、生徒に英語を教えている時間は楽しいし、どちらかと言えばやりがいの方が大きいと思う。

 私のクラスに芹沢千絵理という生徒がいる。
 白百合のような、という形容はまさに彼女のためにあるのだろう。掴めば容易く手折れそうな細い四肢と透き通った白い肌。背中まで真っ直ぐに伸びた黒い髪。可憐なというよりは端整な、その美しさには道をすれ違う誰もが振り返った。加えて頭脳も明晰であり、非の打ちどころのない才色兼備である。

 クラスの人気者になってもおかしくないはずなのに、なぜかいつも一人でいる。気になって声をかけてみたりもしたが、返って来たのは「お構いなく」という素っ気ない答えだった。
 主担任の先生に相談すると、あまり手を施し過ぎるとかえって逆効果かもしれない、現状は問題になるようなことは起きていないから様子を見ようとのことだった。

 そんなとき事件は起きた。
 彼女の持ち物が隠されたり、壊されたりしたのだ。「いじめが疑われる」ため、私たち2人で対応することになった。

 まずは本人と周囲の生徒にヒアリングを行う。しかし、加害生徒の特定はおろか、実態の把握すらままならなかった。なにしろ芹沢さん本人に自覚がない、というか何も困っている様子がないのだ。「ああ、たしかにそんなこともありましたね」とまるで他人事のようだった。
 これには私たちも手詰まりとなり、職員会議でも報告のうえ、やはりこのまま様子を見ようということになった。
 「彼女は首席で入学した生徒です。そうでなくとも『いじめ』があったとなれば大問題です。くれぐれも注意してください」
 学年主任は私たちにこう言った。

 「困ったことがあったらすぐに言ってね」
 私は彼女にそう声をかけて、この件はいったん終了となった。
 

 6月に生徒会役員の改選があり、私は生徒会の顧問となった。
 と言っても主担当の先生の横について見学するか簡単な作業をするだけ。「これから部活の顧問を任されるようになるだろうから、その練習だと思って」。
 部活かぁ…そう言えば私はバレー部だったな。大会の引率くらいならまだいいけど、指導しないといけないのはちょっと困るな。ていうか、休日に練習ある場合は出勤しないといけないんだよね?運動部とか絶対嫌だなぁ。私、そもそも英語を教えに来たんだけど?

 「先生、ちょっといいですか?」
 そんなことを考えながら文化祭の資料をまとめていると、新生徒会長になった子が声をかけてきた。隣にはなぜか芹沢さんがいる。
 彼女に何かあったのだろうか。私は一抹の不安を覚えた。
 「先生、ひとつお願いがありまして」
 「お願い?」
 「はい、実は彼女が新しい部活動を立ち上げたいそうで、先生にその顧問になっていただけないかと」
 「新しい部活の顧問?」
 何かあったわけじゃないんだ、とひとまず安心しつつ、予想外の事態に少し困惑した。
 「はい、古典音楽鑑賞部という部活なんですけど」
 彼女は部活発足のための申請書を手渡してくれた。
 それによるとクラシック音楽を鑑賞する部活らしい。芹沢さん、クラシック音楽が趣味なんだ、なんとなくそれっぽいな、でも部活なんて意外だな、と思った。
 「それから活動場所としてどこか狭くても良いので、空き教室などを使わせてもらえないでしょうか?」
 たしかに申請書の「顧問」と「活動場所」が空欄のままだった。

 活動の目的は「クラシック音楽の鑑賞を通して、知識・教養および生徒間の交流を深めること」、具体的な活動内容は「レコードまたはコンサートでのクラシック音楽の鑑賞」。
 「当初は愛好会も考えましたが、中古で構わないのでオーディオ機器を購入する部費と設置する場所がほしいので、部として申請することにしました」
 「なるほど」
 「成績優秀な生徒がクラスで浮いていて、しかもいじめの被害者かもしれない。けれど、自ら部活動を立ち上げて、他の生徒と交流しようとしている…良い傾向だと思いませんか?」
 部員は2名で、もう一人はうちのクラスの男子生徒だった。テニス部に所属していて快活なイメージだからあまり接点はなさそう。いつの間に仲良くなったの?そもそも彼女と接点のありそうな生徒は思い当たらないけど。

 「先生は部活の顧問をやっていませんよね?お願いできませんか?」
 「……」
 「特別な指導とか監督とかは要りませんし、休日の活動もないので負担にはならないと思うのですが…」
 たしかに、ここで顧問になっておけば、後で面倒な部を押し付けられずに済むかもしれない。それに芹沢さんならしっかりしているから問題はなさそうだ。
 「それに、困ったことがあったら相談してほしいって言ってましたよね?」
 「!…わかった。私で良ければ引き受けます」
 「ありがとうございます!」

 「後は活動場所だね」
 「あの、それなんですが…」
 ここで生徒会長が口を開いた。
 「生徒会室の隣に準備室1という部屋があります。あそこを使っている様子がないのですが、どうですかね?」
 恥ずかしながら、そんな部屋があることを初めて知った。
 「ちょっと確認してみるね」
 「お願いします。それとあわせて職員会議で申請の承認もお願いします」
 「わかった」
 お互いの利害が一致したところで交渉が成立した。それにしても、芹沢さんは意外と交渉が上手いのだなと感心してしまった。
 
(②へつづく)


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