【小説】JK芹沢千絵理はかく語りき Op.7『私のソナタⅡ』
例年より早く梅雨が明けた頃のことである。
私がいつも通り校門へ直進しようとしていると、クラスの女子(名前は忘れた)がボーリングに誘ってきた。こういう誘いは「積極的に」断っているので最近は減ってきたものの、今もなぜだかこうして声をかけてくる者がいる。
久しぶりに来日した指揮者クラウス・ツヴァイクの『復活』を聴くために、当日学生券を買わないといけない。売り切れることはないだろうが、できれば早めに並んで良席を確保したいのだ。
彼女を適当にあしらい、足早に最寄り駅へ向かった。
『復活』の録音を聴きながら楽曲分析の本を読んで電車に乗っていると、同じ高校の男子生徒が向かいにいることに気づいた。
この電車は都内に向かっている。都内からわざわざ県立高校に通うだろうか?もしくは都内に用事があるのか?高校生が一人で?…いや、私も人のこと言えないか。目的地は同じ?まさか!
そんなことを考えていると、その疑念はだんだんと確信へと変わっていった。
「なにか用ですか?」
私は会場のオルフェオ・ホール前の広場に着いたところで、後ろを振り返った。
「え?」
彼は私に話しかけられることを想定していなかったのか、しどろもどろであった。どう見ても怪しいが、同じクラスの生徒であるらしい。私は人の顔を覚えるのが苦手だということを再認識した。
学生当日券を求める列に並び、席に着くまであれこれ会話をした。
彼の名前は青井輝といった。テニス部に所属しているそうで、今日はたまたま部活が休みなのだそう。コンサートに来たことはなく、クラシック音楽もあまり聴いたことはないのに、なぜここにいるのかはよくわからなかった。
「あの、素朴な疑問なのですが、部活は楽しいですか?」
「うん?まあ、正直練習がめんどくさいこともあるけど、友達と一緒に活動してるから楽しいよ」
「友達ですか…」
「芹沢さんはいないの?」
「……」
「あ、なんかごめん」
「いえ、私にはそういう楽しさがよくわからないので」
「そうなんだ…たしかに芹沢さんにとっては同年代の人とは話が合わないかもね」
「……」
「ああ…コンサートの流れとか学生券の仕組みとか教えてくれてありがとう!」
気まずい雰囲気を断ち切るように彼はこう続けた。
「でも芹沢さんがこんなによくしゃべるなんて思わなかったよ。よっぽど、音楽が好きなんだね!なんか友達と音楽を聴いて、しゃべったりできる部活があったらいいのにね」
「……」
私はどう返して良いのかわからず、まだガランとしている舞台へ視線を逸らしてしまった。
やがて、オーケストラが入場し、チューニングが始まり、拍手とともにクラウス・ツヴァイクが入場した。
『復活』は規模こそ大きいものの、「暗から明へ」の構造がはっきりしているため、それほど深い解釈を施さなくても演奏効果が上がる。けれども、ツヴァイクはそうした妥協は許さない。勢いや一時的な感情に任せて盛り上げたりはしない。合唱やオルガンは決して絶叫せず、あくまで厳粛にやる。一音一音を着実に積み上げ、説得力のあるフィナーレを導く。
それでいて、闇の深さや狂気じみた気迫もある。光が強ければ強いほど影は濃くなる。そう言っているかのよう。満面の笑みでコンサート・マスターと握手を交わし、客席へ深々とお辞儀をする丁寧なステージ・マナーがかえって不気味である。
帰り道で青井輝はこう言った。
「音楽がこんなに壮大なものだって知らなかった。なんだろう、上手く表現できないけど、とにかくすごいものを体験したことは間違いないよ」
「そう、だから、私は音楽が大好きなの!」
後から振り返れば、私がクラシック音楽の部活を作ろうと決心したのはこの瞬間だったと思う。
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