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【小説】JK芹沢千絵理はかく語りき Op.4『ラ・ボエーム』②

(①はこちら)

 世の中はクリスマスを1か月後に控え浮足立っていた。高校生ともなれば、当然異性のことが気になる時期だが、俺には関係ないとすっかり諦めていた。
 この半年、まったくろくなことがなかった。芹沢千絵理の件をきっかけに俺はクラスのカースト最底辺へと落ちた。元カースト最上位の俺が陰キャに受け入れられるわけもない。また仮に受け入れられたとしても、俺自身のプライドが許さないだろう。
 休み時間は机に突っ伏して、なるべく気配を消していた。遠くから聞こえる明美たちの笑い声が耳に刺さる。俺は飽きるほどの孤独を味わっていた。

 そんなとき、再び芹沢千絵理が動き出した。
 「ちょっといいですか?」
 放課後、いつも通り俺は校門へ直行しようとしていると、彼女が声をかけてきた。
 「なに?」
 「私に教えてほしいことがあるのだけど」
 「?」
 「…私に、『恋』を教えてくれない?」
 「は?」
 馬鹿にしているのか?
 「なに、明美とかにけしかけられたの?」
 「いえ、以前私のことを好きだと言ったあなたなら、わかるかと思ったのだけど」
 「いや、好きとか言ってないから。あれ、周りが勝手に煽っただけだから」
 「そうですか、それは失礼しました。いずれにせよ、私は『恋』がどんなものかわからないので、それを知りたいと思っているのです」
 「なに?告白?勝手に俺のこと振ったくせに」
 「そうではありません。純粋な興味です」
 「なんで俺なの?」
 「それは…こういうことについて、あなたぐらいしか頼れる人がいないので」
 たぶん文字通りの意味でしかないのだが、俺は不覚にもドキッとしてしまった。
 「ここで立ち話もあれなので、部室へ行きましょう」
 そう言うと彼女は俺を「準備室1」へ連れて行った。扉には「古典音楽鑑賞部」と掲げられている。

 芹沢千絵理はクラシック音楽を鑑賞する部活を立ち上げたらしい。学内の噂にはすっかり疎くなっていたが、そういえば彼女が何かの部活を立ち上げたという話は耳にしたことがあった。空室だったこの部屋を部室として利用しているそうだ。レコードを収めた棚やオーディオ機器が並んでおり、テーブルとソファも置かれたなかなか悪くない環境のようだ。
 その活動の一環でオペラを観たそうなのだが、そこでわからないシーンがあったという。
 「ではそのオペラをお見せします」
 そう言うと彼女はプレイヤーにDVDをセットした。

 プッチーニの『ラ・ボエーム』というオペラが始まった。
 舞台はクリスマス・イブのパリ。若い芸術家たちが屋根裏部屋で共同生活(シェアハウスみたいなもの?)をしている。男子校のようなノリがテンポよく展開されていて、意外と面白いと思った。
 クリスマス・イブだから飲みに行こうという話になるが、詩人のロドルフォだけは仕事のために残る。
 すると、ミミという女性が現れて彼にロウソクの火を借りに来る。しかし、彼女は鍵を落としてしまい探そうとするが、風で火が消えてしまう。仕方なく暗闇の中を手探りで探すと偶然、二人の手が重なる。

 「このシーンがわからないのです」
 「まあベタな展開ではあるね」
 「たしかにセリフだけ聞いていると、いちおう筋は通るのですが、演技に不自然な点があるのです」
 「え、そうかな?」
 「そうです。見てください」
 彼女は映像を巻き戻して再生、停止を繰り返しながら説明を始めた。
 「まずここ。ミミはわざと鍵を落としているように見えます。そして、ここ。彼女のロウソクの火が無防備すぎます。あと、ロドルフォも変です。なぜかロウソクの火を自分で消していますし、鍵も見つけたのに隠してしまいました。二人はふざけているんでしょうか?」
 「これは二人ともお互いに好きなのは気づいているんだけど、段取りというか接点が欲しくて。きっかけを作ったんじゃないかな?」
 「きっかけ?」
 「そう、きっかけ。そもそもロドルフォが一人になった瞬間にミミが火を借りに来るのも不自然だから、これもわざとの気がするなあ…彼と近づくための口実」
 「口実…」
 「そう、口実。で、彼の方もそれに気づいて乗ったんじゃない?」
 「なるほど、どうりでこのシーンの音楽は台詞とは反対にわざとらしく浮足立っているんですね!」
 「そうだね、たしかに音楽もそんな感じだ!」
 「しかし、なぜこんなに回りくどいことをするのでしょうか。お互いに好意を持っていることが明白なら、ストレートに告白すれば良いのでは?」
 「うーん、そういうことじゃなくない?恋愛って」
 「……よくわかりませんが、奥が深いのですね」
 「まあ、あまり難しく考えることはないと思うけど…芹沢さんは好きな人とかいたことないの?」
 「ブルックナーですかね?」
 「誰それ?」
 「ドイツの作曲家です」
 「ああ、そういうのじゃなくて」
 「?」
 かつて彼女を落とそうと四苦八苦していた自分が馬鹿らしく思えてきた。

 結局、オペラの映像を観ながらしゃべっていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。
 「今日はお付き合いいただきありがとうございました」
 「いや、こっちこそ。オペラって意外と面白いんだね!」
 「そう思ってもらえたなら良かったです」
 「明日つづきを観に来て良い?」
 「もちろん!あ、もしかしてこれが『口実』というやつですか?」
 「違う違う!これは純粋にオペラが面白かったから!」
 「本当ですか?」
 「ほんとほんと!」
 芹沢千絵理はいたずらっぽく笑った。彼女にこんな一面があるとは驚きだし、それを見られたのはうれしかった。

 こうして俺は次の日も、また次の日も部室へ通うようになり、「古典音楽鑑賞部」の部員になった。


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