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日本語ボランティアを始めてみた(「小さい」と「小さな」の違い)

 三回目のボランティアに行ってきた。
 日本語を教えに行っているのか教わりに行っているのか、分からなくなってきた。今日も今日とて、質問にあって答えられない問題に直面である。
 日本語って難しいなぁって遠い目をしてしまった。

 今日のお題は「大きな建物」と「大きい建物」の違いである。
 質問者は「大きな」は抽象的なものに使って「大きい」は具体的なものに使うと思っていたようだが、前述の通り「大きな建物」も「大きい建物」も言うんだよ。
 違いはないという参加者も居たが、なんか微妙にニュアンスが違うんだよな。言葉に出来ないけど。
 という訳で、宿題である。

 帰ってきてから、まず思ったのは「大草原の小さな家」という物語のタイトルだった。「大草原の小さい家」だとなんか情緒感が足りない?口語と文語の違いとか??でも同じような言葉で「可笑しい」と「可笑しな」もあるけど、「可笑しい話」より「可笑しな話」がより自然だから口語文語ではなさそうな気がする。
 教えて、グー〇ル先生!!

 結果、こんな言葉を見つけた。
 「『小さい』は客観的、『小さな』は主観的」だそうである。
 正直、いまいちピンとこない。

 どちらも名詞を修飾することが出来るのは同じだが、「小さい」は形容詞で「小さな」は連体詞という違いがあるらしい。
 形容詞の「小さい」の他には「大きい」とか「可笑しい」とかが該当する。連体詞には「小さな」「大きな」「可笑しな」が該当する。
 言葉を列挙しても分かるが、形容詞は分の述語になることも出来る。「家が小さい」「部屋が大きい」とか。逆に連体詞には必ず名詞がセットになる。「家が小さな」とは言えない、ということだ。「あれは小さな家だ」か「家は小さなものだ」になる。

 例文を作っていて思ったのが「主観的に強調するのが連体詞??」ということだった。

 例えば、「話が可笑しい」と「あれは可笑しな話だ」と並べた場合。前者は客観的で後者は主観的なわけだ。しかし、そもそも「可笑しい」というのは主観に大分偏った評価だと思うのだ。客観も主観も無いはずだ。
 それでも「話が可笑しい」というと大分冷静な感じがする。「あれは可笑しな話だ」というと感情が乗っていて自分の気持ちを強めている感じ。

 なるほど、これが主観と客観の違いか…

 ということはだ。「大きい犬が歩いている」と「大きな犬が歩いている」だと、前者は客観的に見て大きい犬、ゴールデンレトリバーとかが歩いていて、後者は主観的に見て大きい犬、つまりはおデブなわんこかもしれないということか。

 分かったような分からないような。とりあえず、可笑しいを例にして次回質問者に回答することにしよう。

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