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10年ぶりくらいに猫と暮らしている話

記事の投稿時間って、投稿者の現地時間じゃなくて日本時間なのね…せっかく誕生日という区切りのいい日から始めたはずだったのに時差の関係で次の日になってる…けっこうショックでした。


前回の記事にちょこっと書いた通り、現在ボスが一ヵ月の休暇中です。そこで、旅行中の留守番を任されております。猫の世話よろしくね、って。

私は日本でこういう経験をしたことがないので比較できないのですが、こういう時って、その任せる人にお家に住んでもらうのが一般的なんですかねぇ。なんとなく猫はその人の家に預ける、数日に一回家の様子を見に来てもらう(郵便受けのチェックとか植物の水やりとか)、という感じなのかと思っていたのですが。

そんなこんなで現在ボスのおっきなお家で一人暮らしをしています。多分アメリカの家、って言ったときに日本人が想像する通りの家です。一階建てで、ある程度の大きさの前庭と広大なバックヤードがあるお家。バックヤードはなぜか東屋付き。広すぎてさすがに日中はちょっと寂しさを感じます。大体ラボにいるから問題ないけど…日曜日くらいかなぁ。無駄にYoutubeつけ流しています。

日中は猫を放し飼いしています。夜になるとちゃんと帰ってきて家に入れろと扉の前で鳴いています。ちなみにインコもいるのですがこれも基本放し飼い。鳥かごはあるのですが常に扉が開いていて、インコが自由に出入りできる状態。最初はびっくりしました。しかも普通に家の中をインコは飛び回るのですが、絶対に止まるのは鳥かご内かその周囲にある止まり木だけ。だから今のことろフンをするのも鳥かご内で収まっています。一体、どういうトレーニングをしたのでしょう?それとも、閉じ込めずに自由に動けるようにしておけば自然とそういう感じになるのでしょうか。室内に放し飼いの猫とインコが共存しているというのも不思議。

で、最近考えているのは「動物を飼う資格」について。我が家も昔犬を飼っており、野良猫が居ついたこともありました。一生懸命お世話していたつもりだったのですが、それで十分だったのかな、って。

例えばインコ。もちろん飼うなら飛び回れるスペースを用意してあげるべきでしょう。鳥小屋に押し込めておくなど言語道断。じゃあ自由に飛び回っていいよっていったところで、2階建てなどの縦長構造の家は十分な広さがあるのでしょうか?

例えば猫。今の日本だと室内飼いが推奨されていますよね。近所の家の庭に糞をしてしまったら大変だし、交通量が多いから猫が車に轢かれてしまうかもしれない。でもそれで猫の運動量は十分なのでしょうか?こちらの広大な庭で、それだって猫にとっては十分じゃない可能性は考えられますが、放し飼いでどこにも行かない、ということは彼にとって満足のいくスペースなのでしょう。そこで悠々自適に遊び、気が向いたら自宅に帰ってきてご飯を食べる、家と家に距離があるからお隣さんの心配をすることもない。夜は人のベッドやらソファーやらで爆睡してるのでまぁ日中十分に遊べているのでしょう。そして車。こちらは車社会ですが、実は大体の場合大通りは住宅のすぐ前というわけではなく、多くの場合、住宅は小道(といっても結構余裕がある広さ)に入ったところにあります。それが曲がりくねっていてあまりスピードも出ないために轢かれる心配もそうそうない。

愛情どうこうはもちろん大切ですが、それと同じくらい、「動物にとって十分なスペースを常に確保できるか」が重要なんじゃないかなと最近思い始めました。

多分動物園に対する感覚もこれに近いんだろうな、と。学部生の時に博物館学という授業で動物園に反対している人達のことを学び、その時は理論的なところでまぁそうだよな、と理解していたのですが、最近感情面でも動物園に反対する人に共感できるようになりました。確かに、狭い空間はよくない。

もちろん、こちらで猫の世話をしてたかだか2週間。もしかしたらご近所トラブルとかもあるのかもしれません。でも、こちらで飼われている動物を見ていると、こういう環境を実際に用意できる人でなければ動物を飼ってはいけないのではないかと思いました。大昔から人と共生してきた動物だと言っても、人と全く同じ環境に住める動物ってわけじゃないからね。

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