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物理的なひとり=孤独、ではない

人の精神が最も耐えられないのは孤独、と聞いたことがある。この場合の“孤独”は物理的な一人で存在することと同義ではないけれど、混同して語られることが多い。
一人暮らしが多くなるのは政策的に困る、基本困りごとは家族で解決してもらわないと、という思惑が、社会のベースに強くあるから。
大好きな漫画家水城せとなさんの「世界で一番俺が○○」1巻に、一人暮らし男性の、こういうセリフが出てくる。友人同士冗談交じりの軽い会話の中で…
「『孤独』という言葉をどうにかしようぜ問題」。「ネガティブな漢字ばかり組み合わせやがって!まるで悪いことみたいに」
きっと寂しかった誰かが作った言葉なんだよ、と言う友人に反発し、「その誰かの主観を取り除いた別の言葉も必要なのではないか?」と言う。
ひとりでいると心安らぐ、誰もいない部屋で静かに本を読みエスプレッソを飲み洒落たデリで買った上手い惣菜を食べる、そういう自分の、満たされた姿を現す言葉がないのかと。それは孤独じゃないだろと。「もっとポジティブないしニュートラルな言葉はねーのかよ!!」
おひとりさま、と答える友人に対して、「もっといやだ!『おひとりさま(笑)』って嘲笑ニュアンス露骨すぎだろ!」
私たちは、経験的に、物理的に一人でいることと、心の孤独は、別物ってわかっている。けれど、その境界が曖昧にして語られがち。
2010年4月3日NHKのドキュメンタリー「無縁社会」を観たとき…取材に応じた一人暮らしの高齢の人たちは、番組を観た後、がっかりしてもやもやしただろうなって思った。まるで、不幸そのものの人に扱われていたから。視聴者に対して、こんな惨めな老後は嫌でしょう皆さん、このままじゃ孤独死ですよ、というメッセージが含まれているように感じた。
孤独って言葉のインパクトは強いね。孤独死ではなくひとり死と言おう、という提案、もっと広まればいい。物理的にひとり、であることに、必要以上に孤独の色付けは必要ない。
一人暮らしでも誰かと繋がっている気持ちが強くあれば、のびのび暮らせる。
反対に、大勢の中にいても、自分が蚊帳の外だったら心が凍っていく。物理的な一人の方がずっといい。
孤独、という言葉、なかなかくせものだと思うのです。


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