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子ガチャ、について

親ガチャという言葉が好きでない使いたくない、と言っておきながら、ここではあえて、子ガチャって言葉を用いますが…。
子供は親を選べないってことと同じように、親だって子供を選べないもの。なのに、子供がどんな大人になるか親に100%責任があるのは当然のこととされがちで、なんだかなーといつも感じてます。100%じゃないでしょーよ(明らかな虐待親除く)。
Youtubeチャンネル「コンテンツ語りラジオ【無限まやかし】」で、某ドラマ感想の中で「子ガチャというのもあるし」と話されていて、それそれ!と感じた次第です。
性格は、生まれながらの性質、育った環境、自分の意志、がそれぞれ1/3ずつ…っていうのを、子供の頃何かで読んで、それは、学術的な裏付けがあるものだったかどうかもわからないのだけれど…今でもすごく納得しています。
親の振る舞いが子供に影響を与えるのは、よく見かける光景。でも、子供も成長するにつれ大きな社会に触れていくので、その中で、自分の家庭は変だぞ、と気づき、自ら変化していくことも多くあります。その変化は、自分の意志というだけでなく、元からある本人の気質も大きく関係しているわけで。
…つまりたとえ、子供が大きな犯罪を犯す人間になったとしても、それは、親の責任が100%とはいえないということ、が言いたい。そうなったときに「親のせい」ということで、断罪しているのはなんだかなあ…ともやもやします。
犯罪でなくても、親子が円満にいかないということでさえ、親のほうに大きな責任ありとされがち。でも、ある程度大きく成人した子供に対しては、もう責任はないよ。そう言ってあげたいことが多くあります。
以前通っていた整骨院は、だだっ広いフロアにたくさんのベットや椅子があり、時々カーテンで遮断してお灸などをしていた。ある女性が、息子との折合いが悪いことを話してた。結婚した息子とは離れて暮らし、互いの交流もなく「子供なんて産まなきゃよかった。こんな悲しい思いをするぐらいなら」。泣いている心が伝わってきた。
今、ドラマ化されて好評の「一橋桐子の犯罪日記(76)」。まだ読んでいる途中ですが…登場人物は高齢者が多く、で親しい身内がいない人もたくさん。
自分の子供とうまくいかないのは、いくらでもシリアスに嘆けるけど、ただちょっと残念なだけ。自分の子供が心塞ぐ存在ならば、うっちゃっていいよ、もう相手は大人なんだし。…と、自分が大好きな人たちを思い浮かべてそう思います。
身内…特に自分の子供との不仲に心塞ぐ高齢者の心が、うまくほどけますように。

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