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ジミヘンと呼ばれる14歳男子の話Ⅱ

前の記事の続きです。

彼は言う。

「"ジミヘン=地味変"って意味で呼ぶんだよきっと」

節子、それ忌野清志郎のウェブサイトや。

それはひとまず置いといて、14歳はセンシティブな年頃である。非リアルに心躍らされる時期でもある。

僕の職業はこういう子と出会うことが比較的多い。ギターを好きになる子達に共通する点のひとつが感受性の豊かさ、そして勉強家だ。学びを楽しむ術に変えることを知っている子は特に秀でたものを持っているように思う。

ただ周囲との感覚のズレもあってコミュニティの輪から一歩引くタイプでもある。無意識のうちにそうなるのだろう。

文化的な物事を共有するシチュエーションにおいてその良し悪しを形成するのは同調意見が多数か少数か、ほとんどはそれだけのこと。もちろん多数が心を動かされるジャンルは素晴らしいものだ。でもそれと異なる感覚を持つ人は視野の広さ、寛容さなど長けている部分があると思っている。

ジミヘンを知らない14歳が同じ14歳の彼をジミヘンと呼ぶ理由は彼がジミヘン好きと知ったから、とりあえずはそれだけのことだ。そこに他意があるかは本人にしかわからないことだけど、大人のようにあやふやな発言に対して相手の気持ちを汲んでフォローできるような年齢じゃないので、言われた本人がネガティヴに捉えてしまう場合は図らずもあるでしょう。

これは仮定の話として、こういった経験をすると中には学校に行かなくなる子もいるかもしれない。でも明確にイジメを受けているわけではないから、周りは対応しづらくなる。でもこういうのは14歳に限った話ではないので、繊細な人には伝わるかもしれない。

彼(ジミヘン)の中ではあまり重要な問題にしてないようで

ただつまらないから。
学校に行く必要性を感じなくなったから。
家の方が集中できるから。

といった理由を毅然と話す。そう言うのならそれを尊重してあげたい。何気なく話をしてれば中身は至って普通の14歳だ。

余談だけど、知り合いに火山の研究者がいる。たまに会って話をすると、まるで火山が恋人か!と思うくらい熱く語るので会う度に相変わらず変な奴だなと思ってしまうが、それが面白いのである。
自分が生きる狭い世界の中で、噴火のことを人の感情や世界情勢に例えて話す人なんて出会えただけでもラッキーである。

しかし、僕の知り合いは地味で変な人が多い。ただしみんな面白い。こんな人なかなかいないと思わせる変人ばかりだ。
そういえば、偉人と呼ばれる人は変人と呼ばれることも多い気がする。周囲から色眼鏡で見られても、胸を張って進む人はこの世を動かす力を秘めていると思う。歴史が動いた瞬間、変人は偉人になる。そうだ、ジミヘンもまさにそうだった。

あだ名の話を聞いた日を境に僕も彼のことをジミヘンと呼ぶことにした。はじめは嫌がる素振りを見せたけど、まんざらでもなさそうな声色と表情を見せたのは今でも覚えている。

あれから10年近く経っただろうか。変人の片鱗を見せてもらった彼にまた会える日を楽しみにしている。

《ギターを教え始めた頃、ジミ・ヘンドリクスが好きな中学生男子をレッスンしていた時の事を思い出しながら綴りました》

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