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がむしゃらに働くということ

前回、中国の「9・9・6」という働き方について書いているときにモヤモヤ思ったことを書いてみることにした。考察ではなく備忘録だ。

前回「9・9・6」という働き方について紹介した記事に書いたように、中国にはハードワークを是とする声がある。一方、日本では働き方改革という名のもとに、総労働時間を短くしようという流れで、がむしゃらに働くことは是としない雰囲気がある。個人的にも常態化した長時間労働は問題であると思う。しかし一方で、がむしゃらに働くことによるメリットもあると感じている。

結論としては、個々人の目指すもの、バランス次第、という極々あたり前のものであるが、私自身、(私なりに)追い込まれ、がむしゃらに働いた時期があり(もちろん今も一生懸命に働いている笑)、その経験を踏まえ、当時感じたこと、今感じることを備忘録的にまとめてみることにした。

1.激務の日々

今となっては笑ってふり返ることができるが、私自身、なかなか厳しい環境におかれた時期がある。一年目の終わりに仕えた上司の異動が決まり、二年目から他のチームに移ることになった。15人ほどのチームであったが、何を気に入られたのか、そのチームのボスに引き抜かれた。そして意気揚々と新年度を迎えたものの厳しい世界が待ち受けていた。

平日は、6時30には業務開始、24時30分の終電まで働くという日々を送り、休日も、平日に終わらなかった書き物をするために朝から晩まで働いていており、残業時間は優に200時間は超えていた。昼食も食べたり、食べなかったりで、外出している場合は回転すしを見つけて、何皿か食べて終了という感じだった(回転ずしは最強のファストフードだ)。

当時は、BtoC領域も担当していたこともあり、入電もひっきりなしで、会議で席を外せば電話メモが10枚以上溜まったし、首に挟んだ固定電話で会話のをしながら、「失礼します」といったタイミングでは、手に持っている携帯では呼び出しているという具合だった。それでも折り返しが遅いことに対して小言もたくさん言われた。まわりのメンバーに戦線離脱する人が続き、その分が自分にのってくる、という悪循環の日々だった。

はっきり言って完全に破綻していた。それでも、外から援助をもらい、半年~1年を掛けて、少しずつ正常な状態(月100時間~)に戻るまで、訳もわからず働いていた。そんな状況では当然プライベートもボロボロだった。キラキラした写真が並ぶFacebookは、“F”のロゴを見たくなくてアプリ毎削除した。

そんな中でも身についたものもある。

2.業務スピード向上、効率化

そんな環境だったため、大量の仕事をこなすために、否が応でも仕事のスピードが上がった。それでもスピードアップだけでは追い付かず、業務フローの仕組みから変えざるを得ず、協力先、お客さんを交えたスキーム作りに挑戦することになった。その後、いろいろな人がアレンジ、アップデートし、今となっては全社的に定着したスキームとなったが、自分が追い込まれた結果生まれた産物だと思うと感慨深いものがある。

3.優先順位付け、投球術

また、優先して対応すべきものと、そうではないものが自然と判断できるようになった。全ての案件に、全力投球するわけにはいかないため、全力投球すべきもの、そうでないものの判断が出来るようになったというのも大きい。

4.形式知と実践知と経験

激務の話から少し逸れるが、この激務の時期に学んだものがある。知識は経験を通じて、はじめて価値を帯びることがあるということだ。

この時期は仕事を任されることも増え、自分なりにストックしてきた知識、アプローチ方法を使って、いろいろチャレンジしたが、上手く行かないことも多かった。しかし、あとから上司に相談すると「知識としては知っている」というものも多かった。知識としてはストックされていても使えなかった。当時の私は「仕事ができる=知識量、アプローチ手法の充実」と思い込んでおり、なぜ上手くいなないのかわからなかった。

それでも成功経験、失敗経験を繰り返しているうちに、ストックしてきた知識を使えるようにするには、経験が重要だとわかってきた。蓄えてきた知識が実践を通じて血肉になる感覚がわかってきた。私の中にストックされていたのは形式知でしかなく、また自分が実践知を軽視していたことがわかってきた。簡単に言ってしまえば、ただの頭でっかちだったのだ。
(世の中には、そんなステップを踏まなくとも見たり、聞いたりした知識が、そのままアウトプット出来てしまう優秀な人もいる)

4.これくらいでは倒れないという根性

話を戻す。激務を通じて得たものの中では、これが一番大きいかも知れない。その後多少の負荷が掛かる場面でも、あの時に比べれば余裕と思えるようになった。

ここまで私自身が、激務を通じて得られたものをあげてみた。深夜、休日まで働いていると脳内麻薬がバンバン出て、ランナーズハイみたいな状態になり、それはそれで心地よかったりする。ほかにも「量が質を作る」効果もあると思う。また、私の場合、このときのハードワークぶりが評価され、その後、海外派遣に推薦してもらえた側面もあり、特に若手ががむしゃらに働くことにはそれなりの価値があると思っているし、昨今の労働時間で縛ってしまう働き方改革には違和感を覚えるところもある。

ただ、これは結果論に過ぎないとも思う。ハードワークには、それ相応のリスク、デメリットが伴うのだ。

5.メンタルは消耗品

私の職場では“こころのかぜ”をひいてしまった人が複数発生した。読んでくださっている人の中にもいるかも知れない。一旦、“こころのかぜ”をひいてしまい休職した同僚は、そのまま退職したり、違う部署に復帰したり、いろいろな人がいた。ただ、一度ダウンしてしまった人が、また違う職場でダウンしてしまうことも多かった。復帰した彼、彼女らの見た目は元通りに見えたし、メンタルが元々弱かったとは思わない。

ある時、そのうちの一人と飲みに行ったときに、彼は「一度ダウンする前なら耐えられたことも、ふとした瞬間に耐えられなくなってしまった。完全に元通りにはならないと思う。」と言っていた。聞いているだけで辛かった。

結局のところ、メンタルは消耗品なんだと思っている。メンタルはリフレッシュすれば回復すると考える人もいるかも知れないが、そんな単純なものではなく、もっと複雑なものだと思う。確かにちょっとやそっとのことではダメージが表面化しないかも知れないが、一度傷を負うと中々元通りにならないし、消えない傷跡が残ることも多い。消耗品という前提で付き合っていかなくてはならなし、抱えきれないストレスからは逃げないといけないのだと思う。私自身、夜ふと目が覚めて、何もしていないのに涙が出てきたことがある。今思えば壊れる寸前だったのかも知れない。

特に長時間労働にパワハラが組み合わさると、そのリスクは甚大だ。パワハラと長時間労働は結びつきが強い。そして長時間労働そのものも心身に大きなストレスを掛けるのだ。そう考えると、総労働時間で管理するという方法は合理的なのかも知れないとも思う。

ハードワークから得られるものは多く、総労働時間をコントロールするという方法論には違和感も覚える一方、心身の健康を損ねては元も子もないよな、なんてことをモヤモヤ考えた週末だった。

ではでは。

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