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海外に住んでいて感じたこと#3(四季は日本にしかない?)

最近ではむしろネタにする人も出てきましたが、日本のアピールポイントとして「四季がある」ことをあげる人がいます。私自身、アメリカで生活するまでは「四季は日本の誇りだ!」くらいに思っていました。

しかしある時、アメリカ人の同僚から日本の良いところを聞かれ、“four seasons!”と答えようとしたときに「あれ?そもそも英語にも季節を示す4つの単語があるよな。」となり、はじめて、四季があること自体を賞賛することに違和感を抱くようになりました(ちなみにフォーシーズンズ・ホテルはカナダ・トロントの会社です)。

少し考えればわかる当たりまえの話ですが、四季自体は多くの国、地域にあるのです。春に桜を愛で、秋には紅葉の中をハイキングする、というような文化は世界中にあります。ただ春といえば花見、夏といえば花火と夏祭り、秋は…、、というように、日本ほど季節ごとのイベントが定着している国は珍しいようにおもいます。では、なぜ日本ではここまで四季がありがたがられるのか?そしてなぜ日本以外にはないと考えがちなのか?不思議でなりません。

俳句の世界には、特定の事象・言葉が特定の季節をあらわす「季語」という概念があります。以前、俳句という日本固有の文化にある「季語」の概念が日本人の「四季観」をつくったのでは?と考えたことがあります。

しかし少し調べてみると「季語」の概念も世界中にあるようです。例えば南ヨーロッパでは、アーモンドの花が日本の桜にあたり、春をあらわす表現として使われるそうです。そもそも、うえに書いたような行事、イベントは、俳句が広まる中世以前から、宮中行事や民衆行事として定着していますし、「季語」が日本人の「四季観」を作ったとは言えませんね(もちろん、四季観を強化した側面はあるとおもいます)。

どなたかご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えてください。

なぜここまで四季をありがたがるようになったのかわかりませんが、とても素晴らしいことだとおもいます。四季の移ろいを楽しむというのは、精神的なゆとりがないとできることではありません。多くの国民が楽しめる、その、経済的、文化的、精神的な豊かさこそ誇りにすべきものですよね。

ではでは。

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