思考と言語化の関係、そして鍛え方(明晰な思考は明晰な言葉から)

最近、鬼のように忙しく、前回の更新から時間が空いてしまいました。新会社の設立や機能統廃合のドタバタ、そんなところに資格試験まで突っ込んでしまいました。資格試験の方は無事にパスしましたが(とはいえ9科目中の4つ目)、仕事のドタバタは引き続き続くため、しばらくの間、更新頻度は低調になりそうです。


今回は最近感じている、思考と言葉の関係、そして鍛え方です。


私は過去に何度か、アウトプット、言語化を通じて、思考が整理される、磨かれるということを書いてきました。この考え自体は変わっていません。モヤモヤとした「思考」を整理するために、言語化は非常に有効だと思います。

では、この「思考」は何をベースに行われているのでしょうか?そうです、「言葉」です。思考は言葉によって行われます。ニワトリと卵のような関係ですね。
つまり思考の質と言葉の質は比例すると言えますし、さらに言えば、明晰な思考、そして思考から導き出される結論は、明晰な言葉から生まれるのだと考えるようになりました。

これは最近、以前より多くの関係者と、より大きな意思決定を迫られることが増える中で、感じるようになりました。曖昧な表現、定義が曖昧な言葉でも「コミュニケーション」は成立します。しかし、あいまいな表現、言葉(=思考)を積み重ねても、明晰な思考、結論に至らないのです。関係者間で、厳密に定義づけられた言葉、概念をつかうことで議論のクオリティが上がり、より良い結果が生まれるのです。

と、わかったようなことを書いていますが、私自信まだまだ、明晰な言葉の運用が出来ておらず、より明晰な人に助けられているばかりで、中長期的に伸ばしていきたいと感じている能力のひとつです。

では、どうやってこの力を伸ばすことができるのか、最近そんなことをつらつらと考えていました。至った結論は「“良い本”を読むこと」、「思考が明晰な人と接すること」です。

一つ目の「“良い本”を読むこと」、これはイメージしやすいのではないでしょうか。“良い本”は、使用される言葉、概念が丁寧に定義づけられた明晰なものであり、それらが論理的に積み重ねられて、明晰な結論すなわち思考が導かれています。こういった本は、読む側にもエネルギーが求められることが多いですが、「言葉の使い方」に敏感になります。

二つ目の「思考が明晰な人と接すること」、これもまた非常に有効だと感じています。

私自身、“優秀な”弁護士、コンサル(たまに同僚)と接していると、時おり、自分が使う言葉の曖昧さ、そして導き出したロジックの不完全さ、緩さを痛感させられることがあります。特にコンサルは、言ってしまえば思考、言葉の明晰さで勝負する仕事ですし、一つ一つの言葉の定義が厳密で、最終的に組み上げられた結論も論理的なことが多いと感じます。

そして、こういった厳密な言葉遣いをする人と接すると、はじめは緊張したり、疲れたりするものですが、自然と鍛えられるのを感じます。

もちろん厳密な定義づけを行うのは弁護士やコンサルだけではありません。私の会社の同僚にもいますし、アカデミア、研究者などの方々は、厳密に定義したうえで、言葉、概念を使用する習慣があるかと思います。

私の場合、二人目の上司が、言葉の定義に細かい人でした。企画書、報告書を提出するたびに、「なぜこの言葉を使った?」「こういう結論にはならないのか?」と真っ赤にされ、何度もやり直しさせられました。当時の私は、プライドを傷つけられたような気がしましたし、「そんなに私をいじめたいの?」「意味は通じているし、それで良くない?」と思っていましたが、今になってその上司が求めていることがわかるようになりました。
ロジカルモンスターと言われていた上司でしたが、ロジカルとは言葉や概念間の「関係性」だけでなく、言葉や概念の「選択、運用」でもあるということも良くわかりましたね。

明晰な思考をするために、明晰な言葉の運用を心掛ける、そして言葉を明晰に運用するためには、明晰な文章、明晰な人と触れ合うことを意識していきましょう、というお話でした。

ではでは。

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