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健康的に生きる


「simple is the best」

どこで知った言葉なのかも
だれが言っていた言葉なのかも知らないけれど
なぜか、だれもが知っているこの格言

シンプルこそが至上のものである

無駄を削ぎ落としたものにこそ
最上の洗練が宿る


本当にそうだろうか?

そんな問いに出会ってしまった最近の話



ここ最近は建築がおもしろいなあ、なんて思って
建築史について勉強してみたり
都内の有名な建築を少しずつ観に行ってみたり
しながら新しい趣味に肌を馴染ませている
そんな今日この頃

数多ある建築の流派や思想の中でも
はじめの頃に惹かれていたのはモダン建築だった

ル・コルビュジエに代表される近代建築の潮流で
その特徴はなんといっても洗練されたシンプルさ

実は、深い思想の根っこではカント哲学の
『自律』という概念にその端を発していて

モダン建築は一般的に
「他律(=意味を外からもらってきている)」的
ではなく
『自律(=意味そのものを内包している)』的な
建築というものを思考した先にある
ひとつの建築様式といえる

、、、


なんだか難しい話になっている気がするので
アートに照らし合わせてみると
比較的わかりやすいと思う

アートの世界でも『自律/他律』というのは
とても重要な概念だ

「他律(=意味を外からもらってきている)」の
最たる例は絵画などの人物画や風景画で
"モデル"があって、アートはその模写/似姿である

そして
『自律(=意味そのものを内包している)』とは
アメリカの現代アーティスト
ジャクソン・ポロックに代表されるように
キャンバスに絵の具をぶちまけたような
モデルもない、明瞭なメッセージもない、
そのアート自体で過不足なく固有の意味を
表現しているといえるものだ

一応、追記しておくと
これはどちらが優れているという話ではなく
表現方法の違いなのだけれど

一方で『自律/他律』の両陣営は
お互いのことを否定、批判することに
アイデンティティがあるともいえる

表があるから裏は裏たり得る、ということだ


なんとなく『自律/他律』の概念理解を
ゆるっと共有できたところで (できてる?)
話を本筋に戻したい


無駄を削ぎ落として、そぎおとして
建築そのものに意味を内包しているような
他に依存することなく自律(自立)しているような
モダン建築が好きではあったのだけれど

ここ最近、そんな建築とは真逆ともいえる
とても心惹かれる建築に出会った

それは、麻布台ヒルズの建築

1994年にロンドンで設立された
ヘザウィック・スタジオがデザイン、建築した
港区に鎮座する複合施設で

その流線からなる有機的なデザインが特徴の
世界的に注目されている建築だ


建築に詳しくない数年前の僕でさえ
「ついにヘザウィック・スタジオの建築が
 日本でも施工されるのか、、、」と
ニュースを見て心躍ったのが記憶に新しい

ヘザウィック・スタジオの建築は
有機的で、自然との調和したデザインが
よく特筆される

蜂の巣みたいなファサード(外観)だったり
建築の随所に植物がたくさん植えられていたり

気になる方はぜひ調べてみてほしい

そんな、シンプルなモダン建築とは
真逆といえる複雑で多層的なデザインをする
ヘザウィック・スタジオの特集雑誌を読んでいて
デザイナーのトーマス・ヘザウィック氏が
モダン建築を批判するような発言を
インタビューでしていたのを目にした

その言葉に僕はとてつもない衝撃を受ける

彼はモダン建築を指して
不健康なシンプルさ」と表現していた

その洗練されたシンプルさを
意匠の"美しさ"で語るのではなく
"健康であるか、どうか"で語る

その哲学的な切り口に
僕は思わず、はっとしてしまった


そうだ、

『なるべくストレスを感じずに生きる』を
ささやかな目標に、日常の快/不快を選別して
少しでも心乱されるシグナルやイベントを避けて
凪いだ日常を僕は求めていた

そうやって人間関係はどんどん狭くなり
他人に依存しないフリーランスという働き方を
選択して

日常に溢れるノイズをキャンセルして
数多ある雑踏や騒音に耳を塞いで

それが自分にとっての
『美しい生活』だと信じていた


たしかにいま振り返っても
そこには無駄を削ぎ落として洗練された
"美しさ"があったのだと思う

だけど、それは"健康"なのか、、

そんな問いが頭をよぎる

ちょうど1年前に恩師に言われた
「君の人生にはノイズが必要だよ」という言葉が
遠くから、静かにリフレインしてくる


おそらく、ノイズには良性/悪性があって
そのどちらもノイズキャンセルしてしまうと
取りこぼしてしまう幸福があるのだと
彼はそう僕に伝えてくれたのだと思う

その言葉とトーマス・ヘザウィック氏の
モダン建築の批判が重なり合ったとき

余白、無駄のないシンプルな"美しさ"という
形而上学的な哲学の概念から

複雑で多層的な煩雑さを潔く受け入れたが故の
"健康"という実存(現実存在)の問題へと
思考のレイヤーが軽やかに切り替わっていた


思えば、抽象的でプラトニックな領域だけでは
この不条理さで眩暈がするような世界では
生きていくための理由が
ミッシングリンクしていた

理想論だけでは
とてもじゃないけど生きていけない

それが人の弱さであり
理性的な動物の不完全な不埒さ
そして本質的な寂しさであると思っていたけれど

その欠けたピースを埋めるのは
有機的な生物としての物質的な、
そして非物質的な循環/円環という"健康"に
その答えがある、というとても簡潔で
シンプルな構造だったのかもしれない



複雑さを内包する

煩雑さを受け入れる

それこそが、"健康"である


普段あーでもない、こーでもないと
侃侃諤諤、悶々と考えてしまう不器用な頭に
すっと入ってきたシンプルな答え


なにが正しいのかはわからない

もしかしたらこれは
なにが肌に合っているのか、という
マッチングの問題なのかもしれない


そうだとしても
僕はこの考えに救われていた


なんだか安心した気がする

分かり合えなさに絶望するのにも
不合理な世界に吐き気を堪えるのにも
無常感と寂寥感に途方に暮れるのにも

もう疲れた


これからは
少しずつ、健康的に生きてみよう

そんなことを思っている

複雑さを内包して、煩雑さを受け入れて
たまに不貞腐れて、ひとりワインを空けながら

そうやってまた
自分の不健康さをデトックスする

そうやって生きてみよう

凪いでいる日常に
心地いい波風を感じながら

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