優しい読書の世界
本を読むのが好きで
休みの日はもっぱら
家で本を読むか、公園で本を読むか
そんな毎日を過ごしています
そんな中、日本を代表する批評家の小林秀雄の
「読書について」という本の中で
彼の"読書論"について読みました
「こんな風に本を読むべし」
「読書とはかくあるべし」そんな本です
僕は歴史や哲学がもともと好きなので
知的好奇心を満たすという事が
僕の読書生活の軸にあったのですが
「もう少し深掘りして考えてみようかな」
そう思い至って、休みの日に
一晩ゆっくり考えてみました🌛
深掘りして考える時は
論理的な思考力というより
感情を素直に見つめる思考が必要なので
お酒の力を借りると便利です🍷
今日は僕にとっての
「読書について」というお話です☺︎
良ければ最後までお付き合いください
なぜ読むのか
みなさんはなぜ本を読むのでしょう?
急に変な質問をしてすみません🤷🏻♂️
哲学的な話ではなく、実学的な話です
理由は色々あると思います
「学びがあるから」
「別世界に浸りたい」「現実逃避したい」
単純に「読んでて楽しい」
「活字中毒」なんて人もいるかも知れません(笑)
僕はこれらとは少し違った理由で
本を手に取る事が多いです
(活字中毒も若干あると思いますが...🤦🏻♂️)
それは
「今の悩み、葛藤、疑問に答えてほしい」
という理由です
他人に話せない代わりに
「学びがあるから」に近い気もしますが
個人的には少し意味合いが違います
新しいモノをインストールするのではなく
今いる自分の足場を固める為と言ったら
分かりやすいでしょうか?(分かりにくい)
僕は子供の頃から、人に悩みを打ち明けたり
相談したりする事が得意ではありませんでした
以前もnoteに書きましたが
悩みというものは話せばいいというものでも
ないと思っているので
話せない事に対する悩みは
今は特に感じていないのですが
それでも生きていたら悩みや葛藤、
人や社会に対しての疑問が尽きないのが
人生です
世知辛いですね
そんな時、
人に話せない代わりに僕は本を読みます
哲学や心理学、社会学や倫理学、文学や詩など
ジャンルは比較的幅広いですが
本棚を眺めて見ると
自分にとっての哲学や心情、
今の自分を形作っている世界観が
一目で分かります📚
最初に挙げた「学びがあるから」
「別世界に浸りたい」などの理由は
言うなれば"本に寄り添っている"とも言えます
本の世界に自分から入っていって
本の中の世界から何かを得ようとしています
一方で、僕が普段しているような本の読み方は
言うなれば"本が寄り添っている"とも言えます
悩みや葛藤の主体が自分にあって
そこに本が寄り添って補完してもらうのです
何を言っているか意味が分からないですか?🤷🏻♂️(笑)
いいのです
blogってそういうモノなのです
僕にとっての読書というものは
寄り添ってくれる、とても優しい世界です
もちろん肯定してくれるだけでなく
訂正して、正しい方向にも導いてくれる、
新しい気づきと、内省を深めてくれる、
哲学と論理的な体系と、文脈と確かな意味が
存在している、強くもあり優しい世界です
本の著者と"話をする"
どちらに主体があって読むかの違いで
どっちが良いとかの話では全くありません
もちろん僕も
「ちょっと疲れたから伊坂ワールドに行こう」
と伊坂幸太郎のエンタメの世界に没入して
爽快感と癒しを感じる時もあります
ですが基本的には後者の読み方をするので
「この著者とは仲良くなれそう」という基準で
本を選んでいたりします
ウィトゲンシュタインとは
中々仲良くなれません
ストア派哲学のセネカと
功利主義のベンサムとは
もう友達だと思っています
僕の本棚には
友達(と友達候補)がいっぱいです👨👨👧👦
そうやって著者と対話をする感覚で
いつも本を読んでいます
限られた時間の中で
僕の考え方は
ちょっと変わっているかも知れませんが
月10冊以上本を読む中で
「どうやって本を選んでるんですか?」と
お客様に聞かれる事があるので
ざっくりとnoteに書いてみました
色々と深掘りして考えると
自分の本の読み方について分かる事もあって
言語化して理解できていると
「逆に絶対友達になれなそうな人の本読もう」
みたいに幅も広がって楽しくなりそうです🙆🏻♂️
僕にとっての読書は
優しく、救いのある世界です
一生かけても読み尽くせない本が
世界には溢れています
価値ある古典もあれば新刊も出てくる
その数は膨大ですね
限られた人生でその中から"どの本を読むのか"
考えすぎも良くないですが
大切にしながら1冊ずつ読みたいと思います☺︎☺︎
最後までお付き合い頂き有難うござました🙇🏻♂️
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