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風月堂ベーカリーブルース

「すまっっセ~~ン!」
元気な少年の声とともに足元に野球の軟球ボールが転がってくる。
「ああ、、ほらよ」
俺は足元のボールを手に取り下手投げで少年に返す。勢いが足りず少し手前で落ちたボールを少年が拾い上げ
「ありあとっっしたァ~!」
帽子を取り素早く一礼をするや否や、すぐに踵を返して少年は仲間のもとに帰っていった。
「ふう、、、」朝8時をまわった頃、俺は会社近くの河川敷の土手の上で長めの溜息をついていた。理由は二つ。一つは日曜日だというのに出勤させられている事。二つ目は、、さっきの事だ。

俺の住む神保町の駅前に風月堂というパン屋がある。ガキの頃から通っている店だ。食パンとあんパンが名物で、今は店のおやっさんが一人でやっている。
いつもの様に会社に行く前にあんパンを買いに寄った時の事だ。飾り気の無い店内で俺が袋詰めを待っていると
「継一、、パン屋やらないか?」
おやっさんが目も合わさずそう言った。俺は聞き間違いかそれとも冗談かと思い軽く愛想笑いをしてみたが、どうやら聞き間違いではなかったらしくおやっさんは俺の返事を待っている様子だった。
「なに言ってんだよ、、、もう時間だから行ってくるわ」
俺はまともに返答もせず店の壁掛け時計を見ながらそう言った。この店の時計が正確なのは知っていたので本当にいかなければならない時間ではあったのだが
「、、、、、、、、、」
おやっさんは黙ったままだったが俺は
「また明日」
と言って構わず店を出た。

俺、佐藤継一は野球界では多少の有名人のはずだ。高校と大学では甲子園や大会での目立った成績こそ無かったが、有名飲料メーカーの実業団にピッチャーとして拾われて看板スター選手にまでなったことがある。
おやっさんは俺の経歴や体力を見て誘ったんだろうか。
、、、しかし度重なる肘の故障で野球は引退。そのまま飲料メーカーの営業部門に置いてもらっている身だ。
「この仕事、辞められないんだよなぁ」
そうつぶやきながら会社に向かった。

ーー正午前 
気持ちを切り替えて仕事に集中するつもりだったがどうにも今朝の事が気になって身が入らない。
「ちょっと外回りいってきます」
誰からの返事を待つことなく会社を出た。どうせ俺がいなくても仕事は回るし、どのみちもう昼飯の時間だ。

 昼飯には少し早かったが、会社の近くの公園のベンチに腰を下ろして風月堂のあんパンをかじりながらおやっさんのことを考えていた。
「友和、、だっけ」
おやっさんには一人息子がいる。確か名前は友和。俺の同級生で小学生まではよく遊んだ記憶があるが中学、高校と別の学校へ行った事や共通の遊び仲間もいなくなってしまった事で段々疎遠になってしまった。
お袋さんの葬式が高校の頃でそれから、、人伝でしか聞いていないが関東のそこそこの大きな企業に就職して今は地方の支社間の転勤を繰り返しているとか。
「アイツ、帰ってこねえのかな」
答えはわかっていた。帰ってこないのだ。帰ってこないからおやっさんは俺をパン屋の跡継ぎにしたがったのだ。

「この仕事、辞められないんだよなぁ、、」

ーー嘘だった。本当は会社に自分の居場所はもう無い様なものだった。
"元"有名看板選手ということで会社に籍を置いてもらっているが、仕事で成果を上げるわけでもなく当たり障りのない雑用ばかり。最近ではこの間入った新人に契約件数を抜かれた。

あんパンを食べ終わった俺の足元にボールが転がってきた。
「すいませ~~ん!」
どうやら公園の砂場で遊んでいる親子連れのものらしい。
俺は立ち上がり、その子供用のボールをしばらく見つめてから手に取った。そして、、、

「ほら!いくぞ!」

俺は振りかぶってキャッチボールの要領で母親に投げ返した。
「ありがとうございま~~す!」
ボールは母親の胸元には届いたが肘にビリっとした痛みが走った。
「ッッ!、、やっぱ痛いな」
肘に確かな痛みを感じつつも同時に確かな決意が芽生えていた。
「風月堂、、寄って帰るか」

俺は"外回り"として風月堂に向かった。

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