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人さし指がお辞儀して、腕時計はよその子になった


初めて触れた日本語以外の言語は英語。その次に学んだのが手話だった。言語とはコミュニケーションの手段だと思っていて、それ以外にも色々な言語や点字なんかにも触れてきた。それはひとえに様々な人と交流できると気づいていたから。狭い世界が苦しくて、世界中の人たちと"友達になる"ことに憧れていたのだ。

小学生の頃、何度か手話教室の様な所に通った記憶があるが、大人になってからはすっかり触れる機会も失っていた。


20歳を超え、雑貨屋の類で少しだけ働く機会があった。その時に出逢ったお客様との場面。

その"おじいちゃん"は昼間に店を訪れた。初めから予算や奥様へのプレゼントといった概要が書かれたメモをお持ちになられていて、私も咄嗟に自分のメモ帳を取り出し筆談を始めた。

腕時計の前で真剣に悩まれる姿に、なんとしても気に入るプレゼントを見つけてほしくなった。そして手話を忘れてしまったことを少し後悔した。筆談で充分コミュニケーションは取れていたのだけど、それは例えばスペインで、英語でも通じるところを「スペイン語で喋りたい」と感じる気持ちと似ていたような気がする。一方で無闇に使うことは失礼なのかもしれないとも思っていた。手話にも方言のような種類があるとは認識していたし、そもそも使われない方も居る。

最終、プレゼンの甲斐もあり、予算を少しオーバーして可愛らしい腕時計の購入を決めてくださった。「こちらでよろしいですか」のメモに深く頷いたその方を見ながら、必死に記憶を辿る。

別のスタッフがお包みしている間、筆談。
「手話を勉強したことがあります」
興味深そうに私を見つめる彼の前で、震える両手の人さし指がお辞儀。
(こんにちは)
途端、彼は破顔して拍手をしてくれた。そして伏せた左手の甲に右手を乗せると、すっと立ててみせる。
(ありがとう)
私も、同じように返して笑ってみせた。その後に名前の指文字を教えてくれたり、すこし会話をしてお見送りをした。

通じた。そのことに安堵すると同時に、日本語以外の"言語"で通じ合うこと、心が通い合うことに喜びを感じる性分を、改めて認識させられた。これまで学んだことはすべて、コミュニケーションを"取りにいく"大切さ、多様性を認識すること(「を受け入れる」とはまた違う)の為だったのだと思っている。

時々道を尋ねられたり、海外旅行での会話の場面がある。綺麗に話せる訳ではないが、片言の英語や身振り手振り、通訳アプリなども使いながら大概は対応できる。恵まれた時代に生まれたものだ。

日本人同士だとしても、日本語が通じないことはままある。物理的に物凄く訛っていたり、少し変わった方だったり、最初から高圧的に話す人も居ないことはない。

だからこそ逆に、違う言語の話者同士でも通じ合えないことはなく"伝え合う"意志があれば何とかなると思っている。それはどんな人と接する時にも共通のことなのだと思う。


初夏の匂いが立ち込める頃、新入社員と会う度にこのエピソードを懐かしむのが恒例行事だった。思いがけずきっかけをくれたスタバに感謝。

願わくばあの腕時計がいつまでも、お二人のもとで優しく時を刻んでいてくれますように。手元で通わせた心を思い出しながら、まずは挨拶から覚え直してみようと思う20代最後の或る深夜。




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