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障害のない自分になりたい

先日行ったいつも行くスタバ。
なんか今日はいつもと雰囲気が違うぞ?いつも見かける顔が見えないな?と思いながら注文しようとすると
耳が聞こえないので、指差しでのオーダーにご協力ください
と表示が。

そういえば会社の近くのスタバでも手話を第一言語にするスタッフがいたし、スタバってこういう採用進んでいてスゴいよなぁー
と思いながらオーダー。

指さしをしながらの注文も完了して、数少ない覚えている手話で「ありがとう」を伝えると、可愛らしい笑顔を返してくれたのが印象的だった。

ドリンクを待っていると、
あれ?よくよく見てみると、他のスタッフも聞こえない人っぽい?
身ぶりや手話でやり取りをしている。

ふと見るとカウンターにこんなお知らせが。

カウンターの中のスタッフは、それぞれ右上に描かれてる「聞こえない」マークか、「手話勉強中」のマークを付けている。

手話カフェやるのかぁー、気になるなぁー、と思いながら見てると、よく見る顔のスタッフさんが声をかけてくれた。

なにやら今日の聾スタッフのみによるサービスは初の試みでやっているらしい。
困ったことありませんでしたか?と言われたけど、特に注文に困ることはなかった。
(本当はHOTで頼んだドリンクがICEDだったけど、別にたいした問題ではない)

手話カフェ気になるなぁ、と思いつつ、食事をしながら店内の様子を見てみると、お客さんにも手話を使っているひとが何人か。
どこかで情報出してたのかな?
なんとなく「いいなぁ」と思った気持ちが、自分に引っ掛かる。

昔から、学んだりまではしないものの、手話や点字に興味があった。
障害者の支援や、障害者スポーツ、障害者アーティストにも関心がある。

ただ、それが何でなんだろ?とは考えたことがなかった。

数年前、子どもと近所の食堂に行ったときに、手話を使うおじさんとその介助のお姉さんと相席になったことがあった。

お姉さんと話をしていると、こどもが「今、手話の振り付けの歌をやってる」と言った。
お姉さんがおじさんにそれを伝える。
「お歌聞いてみたいって」とお姉さんに言われた。

でも、そのおじさんは盲聾で、見えない・聞こえない・話せないらしい。
歌を聞くって、どうやって??と疑問に思っていたら、手話をする手に軽く触れることで、手の動き(手話)を読み取るらしい。

たしかに、お姉さんとおじさんは手を触れあいながら会話をしていた。

子どもが手話の振り付けをしながら歌う。
そこに手を添えたおじさんは、うんうん、と頷きながら聞いている。

以前TVで、聞こえないひとが風船を持ちながらコンサートに参加して、風船の振動で音を感じながら楽しむ、という様子は見たことがあった。
でも、こんな方法で音だけでなく言葉も伝えられる
手話や歌詞を見ることができなくても、音楽を聴くことができなくても、歌を伝えられる方法があるんだ。と驚くと同時に感動したことがあったのを思い出す。

でも、これが障害や手話に興味を持つ理由だったとは思えない。
それよりも前から関心もあったし。

フローレンスが行っている障害児保育

なぜ「障がい」と書かずに「障害」と書くのか?
それにはちゃんと理由がある。

例えば車イスの人の場合。
歩けないことや車イスを使っていることに障害があるんじゃなくて。
その人に適切なデバイス(車イス)を使えば、自分で移動することもできるのに、階段や段差があることで移動が困難になる。
そんなバリアフリーじゃない「社会のほうに障害がある」という考え方。

今はメガネやコンタクトがあれば、見ることに苦労することはないけれど、裸眼視力が0.1以下の私は、メガネやコンタクトが無い世界であればきっと障害者だった。
でも適切なデバイス(メガネやコンタクト)があることで、「障害の無い人」として生きていける。

この考え方にすごく共感しているし、好きだと思っている。

スタバのときの出来事を思い出してみると、手話で「ありがとう」を伝えることは出来たけど、「HOTで」と伝えることは出来なかった。
オーダーを取ってくれた彼女は手話を使えば会話に困ることは無いんだろうと思う。
でも、相手(私)が手話を使えないことで、会話が出来なかった。
それってつまり、彼女にとっては私が社会の障害だった、ということなんじゃないかな、と気付いた。

同時にすごく悔しかった。

障害を感じることのない社会を、と目指して活動する会社で働いているのに。
手話に関心あると言ってるのに、実際に習うこともしていないことに。
自分が障害を生んでいた、という事実に。

結局、その日の手話カフェには行くことが出来なかった。
お迎えの時間が、とか、仕事の上がれる時間が、とかの事情もあったけど、行く勇気が出なかった。

それが、またさらに悔しい。

この出来事からモヤモヤしていて、note書きながら自分の思いを少し整理してみた。

障害やそれに纏わることに関心を持ってる理由は分からない。
でも、また聾者によるサービスが行われてるときには、「ありがとう」以外の言葉も伝えられる自分でありたい、と思った。

早速、手話辞典で「温かい」を調べようと思って図書館に行ってみると、こんな本を見つけた。

今も、春日と本郷に店舗を構えている、手話と筆談を言語とするカフェ。

近いうちに行ってみようかな、と思います。

仕事旅行もあるようなので、こっちも行ってみたいと思います。
(まさか黒の革靴持ってないのがネックになるとは思わなかった。膝怪我して、歩きにくい靴は捨ててしまったので…)

スタバの手話カフェや聾者によるサービスがまたありますように。

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