明日の自分を予測出来ないなんて
明日の自分を予測
明日の自分の感情を予測出来ないなんて駄目ですよ
自分という客体を主体と分けて観察している人達はこんな事はないと思うが
時流に自身を自身の感情を流されている人達は少なからずいいる
猪瀬さんが次の都知事選に向けて、そしてこれまでを振り返って言った冒頭の言葉が刺さった
人は歴史上、まだ見えない先の事を知りたいという予測の欲望を持っている
それは世界であり社会であり客体である
猪瀬さんは自身の予測と言った
それはやはり自身の意見を持って
自分(自らを分ける)し、俯瞰、客観している事を行っている人には理解出来
それを日々行わずに周りを見て、自分しておらず、俯瞰、客観していない人には我ごとにはならない
果たしてどれほど予測出来たのだろうか
ふと数年前の大統領選の予測の力と欲望についての朝日の記事を思い出す
人は予測に流され、大切な予測を怠る
どちらもバランスよく持っている事が問われるのはいつの時代もそうだ
言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!