苦労人とはどのような人のことを指すのだろうか。 ネットを参照して言えば、「【苦労人】今までに多くの苦労をしてきて、世事・人情に通じている人」のことらしい。 その定義にどれくらい当てはまっているか分からないが、概ね、自分は苦労人なのではないかと思う。 二十年前、私は東京で生まれた。そして、私が小学一年生の時に母の故郷である熊本に移り住んだ。理由は、父親がサラリーマンを辞め、母の父(つまり私の祖父)の元で自営業の飲食店をするから、ということだった。しかし、この自営業が鳴
二十歳になる冬、私は一人で岩手に行った。 ずっと、私は二十歳になるのが嫌で嫌で仕方がなかった。満足できない、好きでもない今の自分が大人の仲間入りをするのが怖くて、このまま自分が何らかの未来を歩んでいくのがおそろしくて、たまらなかった。私が生まれたのが父親が二十歳の時で、父が父(それもロクデナシの)になった歳を追い抜くのも、憎らしかった。私にとって、大人は醜くて、複雑で、難解だった。絡まって解けない糸のように交錯した物事や人間関係に付き合うために必死にその糸を解こうとする
幼い頃、私はクラシック・バレエを習っていた。 三歳頃から小学校四年生の頃、つまり十歳くらいまでは続けていたと記憶しているから、大体七年ほどバレエをやっていたことになる。年数で表すと結構だが、別にバレエに陶酔していたという訳ではなかった。バレエのことは好きだったような気もするし、特段好きではなかったような気もする。正直、自分がどのような気持ちでバレエをしていたのかを、よく思い出せない。幼い私はただ親に言われるがままに、バレエをやっていたのだ。 ある日、練習日にバレエ教室
「初心忘るべからず」という言葉がある。 誰もが知っている格言である。しかし、何をもってスタート地点となり、何をもって初心とするのだろうか。 「決心したとき」があらゆることのスタート地点なのではないかというのが(少なくともこの文章を書いている現時点での)私の結論である。自分が始めると決心しないと、物事は何も始まらないと思う。恣意的に点と点を打って、それらを矢印でつないで、過去と今を表現するように。 どうしてこのようなことを述べるに至るかというと、自分の心の内を文