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リトル・バレリーナ

 幼い頃、私はクラシック・バレエを習っていた。

 三歳頃から小学校四年生の頃、つまり十歳くらいまでは続けていたと記憶しているから、大体七年ほどバレエをやっていたことになる。年数で表すと結構だが、別にバレエに陶酔していたという訳ではなかった。バレエのことは好きだったような気もするし、特段好きではなかったような気もする。正直、自分がどのような気持ちでバレエをしていたのかを、よく思い出せない。幼い私はただ親に言われるがままに、バレエをやっていたのだ。
 ある日、練習日にバレエ教室に行くと、部屋の中は真っ暗だった。扉の鍵も閉まっている。
 実のところ、その時期、私はバレエに行くのが何となく面倒になっていた。
 それで元々休みがちだったところに、たまたま足の指を骨折してしまって、肉体的にもバレエを踊れなくなり、骨折が治るまでしばらくの間バレエを休んでいた。その日はおそらくバレエ教室が例外的に休みの日であったのだろうが、しばらくバレエに行っていなかった私はそれを知らなかった。
 そんなふうにして、休みの日にバレエ教室を訪れるという状況が出来上がってしまった。いつも教室まで母親に車で送ってもらっていたのだが、私が教室は休みだと気づいた時にはもう、そのことを知らない母はどこかへ出かけてしまっていた。当時携帯電話などはまだ持っておらず、母親に連絡をすることもできない。ただでさえ久しぶりにバレエに行くということで緊張していた私は、バレエがだんだんと面倒くさくなっている自分に多少なりとも後ろめたさを感じていたことも相まって、自分はバレエの先生や友達に見放され、母も自分のことを置いてどこかに行ってしまったのではないかと、悲しいような寂しいような気持ちになった。 
 バレエ以外で来ることのない、自宅からは大分遠い水前寺の街に一人っきりになってしまった。世界から一人取り残されてしまったような気分だ。どうしようもなくなった私は、辺りを一人彷徨うこととなった。
 一人取り残された不安に耐えかねて、とりあえずそこから十分くらい歩いたところにあるコンビニエンスストアに向かった。昔から極端に決めつけた発言が多い母が以前、「髪を固めてお団子にして、レオタードと白いタイツを着たバレリーナの格好をした幼い女の子が街中を歩いていると、変な大人に目をつけられるかもしれないから気をつけないと行けない」としきりに言っていたのを思い出して、私はバレリーナの格好をして一人でいることが急に怖くなり、せめてもの抵抗をと髪のお団子を解いて歩いた。ただバレエを習いに行く予定だった私は一銭も持っていなかったため、コンビニエンスストアに着いても何もすることがなく、すぐにまた同じ道をテクテクと歩き出した。度胸のある子どもであれば見知らぬまちを探検するなどしたのかもしれないが、小心者で、また変質者に襲われる可能性のあった(少なくとも主観的な意識の上では)私に到底そんなことが出来るはずもなかった。出来ることといえば、知っている道を自分の不安をかき消すようにただ黙々と歩くだけである。
 そうして元のバレエ教室がある辺りまでまた戻ってきた。しかし、することは何もない。公衆電話を発見し、母親に連絡を取ろうと試みたものの、金がないので当然できない。
 そんな風に不安げに彷徨っている私の様子に見かねたのだろう。近くの土産屋の店主に大丈夫ですか、と声をかけられた。知らない人と話すのが苦手な私は急に話しかけられたことに驚いて、また、上手く自分の状況を話すこともできないまま、二言、三言言葉を交わしてその場を離れた。そのことによって、ますます何もできない自分が恥ずかしくなり、先ほど話した店主の視線から逃れるように、店の前にあった橋の上から、その下を流れる小川を覗き込んだ。昔から、今も変わらず、水の流れを見ると不思議な感覚になる。川でも海でも、水はとめどなく流れ続ける。そこには意志も目的もなく、水が流れているという事実だけがある。今眺めている水にもう二度と出会うことはない。水流は新たなものへと絶えず、生まれ変わり続ける。そのようなことを考えているうちに、自分の意識までもが吸い込まれていくような気持がする。

 その後どうしたのか、詳細には覚えていない。おそらく、ぶらぶらしている内に本来であればバレエが終わる時間になり母親が迎えに来て、無事に家に帰り着いたのだろうと思う。
 その日味わった苦い思いに後押しされるように、結局それから一度もバレエ教室に行くことなく、バレエを辞めてしまった。好きなのかすら定かではなかったバレエも、知らぬ間に自分の一部になっていたようで、しばらくの間、ふとした時にバレエのことを思い出しては、バレエはもうできないこと、自分が練習していた場所にもう戻れないことが悲しくなって、泣いていた。
 それから今に至るまで一度もバレエをしていない。しかし、バレエを辞めてから、私は「諦めないこと」を覚えた。それ以降、好きなことはずっと続けることにしている。一度大学に落ちて苦渋を舐めても、もう一年勉強をした。少なくともそれだけでも、長くバレエを続けたことも、水前寺の街を彷徨った経験も、意味のあることだと思う。

今なお、私の中で、幼いバレリーナがくるくると踊っている。そんな気がする。

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