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Steve Jobs's speech「点を繋げる」

つい先週、偶然にSNSのおすすめ動画でレコメンドされたSteve Jobs のスピーチの切り抜きが目に入り、数年ぶりに彼の言葉にしっかりと耳を傾けました。

そのスピーチは、私の人生の経験をまるごと肯定してくれるもので
これまでさまよい続けてきた私の学びの集大成のようなものでした。

一見意味のないように見えることも。
人生にはすべてのことに意味があると思っています。
だから、何をやったって、今のあなたが心からやりたいと思うことをすればいい。
そう思えないことであったとしても、大丈夫。それはいずれ何かに繋がるから。
そんなことを、書いた記事です。


⭐Steve Jobs's speech

下記全文書き下ろしです。

『点を繋げる』

実をいうとこれが大学の卒業式に出席する初めての機会です。

私はリード大学を6か月で中退し、正式に退学するまで、18か月ほど学校をうろついていました。

ー中略ー

世間知らずな私は、非常に学費の高い大学を選びました。
そして両親の給料がすべて私の授業料へと消えていきました。
半年後、わたしはそこに価値を感じなくなりました。

私は人生の目標がありませんでしたが大学が導いてくれるとも思えませんでした。
私は 親が必死で稼いだ金を垂れ流すだけだったのです。
なので退学することにしました。
それでも大丈夫だと信じて。
その時はとても怖かったのですが、今考えれば私がこれまでの人生で下した、最も良い選択でした。
もっと私の興味を引く授業に潜り込むようになりました。

素敵な話ばかりではありません。
私には寮がなかったので、友達の部屋の床で寝ていました。
からのコーラ瓶をお店に返して5セントを稼ぎ、食費の足しにしたり
日曜日にはヒンズー教会の夕食を食べるために11キロも歩いたりしました。
最高の食事でした。

中退して、私が興味を持ったものはのちに非常に価値のあるものとなりました。

ひとつ例を挙げましょう。
当時のリード大学には国内最高のカリグラフィ(西洋書道)の授業がありました。
学内のポスターやラベルは全て美しい手書きの字でデザインされていました。
私は中退しており、必修の授業に出る必要がなかったので、
カリグラフィの授業をとって美しい字の書き方を学ぶことにしました。
そこでセリフ体、サンセリフ体などの書体や、様々な文字の隙間の調整など、偉大なタイポグラフィを偉大たらしめる要素を学びました。

そんなことも 私の人生の役に立つとは思っていませんでした。
10年後最初のMacintoshを作るときになってそれがよみがえったのです。

その授業に巡り会っていなければ、Macは沢山のフォントや美しい字間調整を搭載することはなかったでしょう。
大学を辞めていなければその授業に出会うこともなかったでしょう。
そして新しい活字を搭載したパソコンも現れなかったでしょう。
もちろん その出来事の繋がりは予想もしていませんでした。
しかし10年後に振り返ってみれば
その繋がりはとても明白でした。

点と点の繋がりは予測できません。
あとで振り返って 点の繋がりに気づくのです。
今やっていることが どこかに繋がると 信じてください

何かを信じてください あなたの根性、運命、業、何でも構いません

その点がどこかに繋がると信じていれば、ほかの人と違う道を歩いていても自信をもって歩き通せるからです。

それが人生に違いをもたらします。

『愛と喪失』

若いうちに愛する仕事が見つかったのは幸運でした。
20歳のとき 両親のガレージで友人とApple社を始めました。
私たちは懸命に働き、たった二人だけだった会社が
4000人の従業員と20億ドルもの資金を抱える大企業に成長したのです。
我々は最初のMacintoshを創立の9年後に発売し、次の年に私は30歳になりました。

そこで私はクビになりました。
自分が始めた会社をクビになるなんてそんなことがあっていいのでしょうか?!

ー中略ー

しかし、徐々にあることに気が付きました。
自分の仕事を、まだ好きだったのです。

Appleを退職しても、その愛は少しも変わりませんでした。
追い出されはしましたが、まだ愛していたのです。
だから再出発することにしました。

その時はわかりませんでしたが、Appleからの追放は、人生で最良の出来事でした。
成功者としての重圧が、初心者の気軽さに変わりました。
自信は失いましたが。
そして最もクリエイティブな人生へ導かれました。
5年間のうちにNeXT社とPixar社を立ち上げ、
そしてのちに妻となる素晴らしい女性と出逢いました。

Pixarは世界初のCGアニメである『Toy Story』で成功し、世界最高のアニメスタジオとなりました。
そして意外なことに、AppleがNeXTを買収したんです!

私はAppleに戻り、NeXTで培った技術はApple再建を支えることになりました。
そしてロリーンと私は幸せな家庭を築いています。
ずっとAppleにいたのなら、絶対にどれも起こらなかったでしょう。
とても苦い薬でしたが、私には必要だったんでしょうね。

ときには、人生ではレンガで殴られたような苦しみに遭うことがありますが
自分を見失わないでください。

私は、自分の行いを愛していたからこそ
止まることなく続けられました。

あなたも 愛せるものを見つけましょう
仕事にも恋愛にも いえることです。
仕事は人生の重要な位置を占めます。
それに満足したければ、自分の仕事が最高だと思うことです。
そして最高の仕事をするには その仕事を愛しましょう

まだ見つかっていないなら、探し続けましょう
安易に落ち着かないでください。
その時はピンとくるものです。あなたのハートはわかっています。

そして良き人間関係のように、長く付き合うほど、心地よくなります。
だから探し続けましょう。
落ち着くことなく。

『死』

三つ目の話は
『死』についてです。
17歳の時にこんな言葉に出会いました。
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう いつか本当にそうなる日が来る」

その言葉に感銘を受けて以来33年間、私は毎朝 鏡の中の自分に問いかけています。
「今日で死ぬとしたら、今日、私は、今日すべきことを本当にするべきなのか?」
その答えが何日も「No」のままなら、何かを変える必要があると気づきます。
「すぐに死ぬ」という覚悟があれば、人生で重要な決断をするときに大きな自信となります。
なぜなら、ほぼすべてのものーー
周囲からの期待、プライド、失敗や恥をかくことへの恐怖など
そういったものは、死に直面すると消え去るからです。

そこに残るのは、本当に必要なものだけです。

死を覚悟して生きていれば、「何かを失う気がする」という心配をせずに済みます。
あなたは初めから裸なんです。
素直に自分の心に従えばいいんですよ。

私は一年前、癌を宣告されました。
朝の7時半に受けたスキャンで、すい臓にはっきりと腫瘍が写っていました。
私は「すい臓」が何なのかも知りませんでした。
医者からは治療不可能なタイプの腫瘍だと気化され、3~6か月の余命を宣告されました。
医者は、「家に帰って、やり残したことを片付けろ」とアドバイスしました。

つまり、「死ぬ準備をしろ」という意味です。
つまり、「子どもたちにすべてを伝えろ」ということです。
今後10年で言うつもりだったことを、数か月のうちに言えということです。
つまり家族に負担が残らぬよう全てにケリをつけておけということです。
つまり「さよならを言っておけ」ということです。

その宣告を抱えて一日を過ごしました。
その日の夜、カメラを飲む検査を受けました。
腸からすい臓へ針を通し、腫瘍細胞を採取する検査です。
私は鎮静剤が効いていたのですが、そばにいた妻の話によると、腫瘍を検査した医師たちが叫びだしたそうです。
その腫瘍が手術で治せる非常にまれなケースだったからでした。
私はその手術を受け、1年が経った今も、元気で生きています。

これが私の最も死に近づいた経験です。
今後数十年は勘弁ですね。

ー中略ー

あなたの時間は限られています。無駄に他人の人生を生きないこと。

ドグマに囚われないでください。それは他人の考え方に付き合った結果にすぎません。
他人の雑音で 心の声が搔き消されないようにしてください

そして最も大切なことは、自分の直感に従う勇気を持つことです。
直感とは、あなたの本当に求めることを分かっているものです。
それ以外は、二の次です。

私の若い頃「全地球カタログ」という素晴らしい本がありました。
私の世代のバイブルです。
スチュワート・ブラントという人によって、この近くのメンローパークにて制作されました。
彼の詩的なタッチが、紙面に命を吹き込んでいました。
1960年代後半のことで、パソコンもない時代です。
全てタイプライターやハサミ、ポラロイドなどで作られていました。
Googleが生まれる35年も前の、文庫版Googleといったものです。

理想主義的で、素晴らしいツールや、偉大な信念に溢れていました。
スチュワートのチームはいくつかの刊行を重ねたのち、一通りのネタが出尽くしたところで最終巻を出しました。
1970年代中盤のことで、私は君たちの年齢でした。
最終巻の裏表紙には、早朝の田舎道の写真がありました。

冒険好きなら、ヒッチハイクなどで目にするような光景です。

その下にはこんな言葉がありました。
「Stay hungry. Stay foolish.」(常に何かを追い求めろ。そしてバカであれ。)
それが彼らの最後の別れの言葉でした。
「Stay hungry. Stay foolish.」(常に何かを追い求めろ。そしてバカであれ。)

そして私も常々そうありたいと思っています。
今、卒業を迎え、新たな人生を踏み出す君たちにも そう願っています。

「Stay hungry. Stay foolish.」

Thank you all very much.

〈全文、Youtubeより引用〉

💘好奇心に従って心の赴くままに生きる道

ジョブズの言葉に数年ぶりに触れたとき
すぐに思いだした出来事がありました。

2,3年ほど前に起こった、
「好奇心」にしたがって気持ちの赴くままに生きたい私と
学んだ専門知識を生かし、目標を立てて計画通りに生きてほしいと期待する、実の父との戦争です。

幼いころから、私は「こうした方がいい、こうすべきだ」という両親の価値基準に従って生きてきました。
常に「自分の好き」よりも「父が指し示してくれる将来に役立つ」方を。
迷った時は父に教えを請い、安泰な(はずの)道に進んできました。

そうして選択してきた、どの選択にも情熱がわきませんでした。
親の期待にこたえたいのに、そのための努力ができない。
努力ができない虚しさと悔しさ。
自分を責め、自己嫌悪に陥る日々。

大学で上京し、親元を離れて何でも好きなことができるはずなのに、
好きな事よりも、将来役に立つ選択をしなくてはいけない。
固定概念に頭はガッチガチに固められていて。

長期休暇中に旅に出たくても、「これは人生で意味のあることなのか」「もっと資格の勉強をしたほうがいいのではないか」そう考えると怖気づき、別に勉強にも情熱が湧くわけでもなく、何にも手が付かない。
親からの許可を得られていないから、好きに遊ぶようなことはできない。

当時20歳近くでいい大人のはずですが、自分では何も決められない大学生になってしまっていました。

その反動なのだと思います。

好奇心にしたがって気持ちの赴くままに生きたい。
社会人一年目を終えて、抑えていた自分が爆発してしまいました。

幼いころは見て見ぬふりをしてきた、
自分の中で芽生えた「やってみたい!」「面白そう!!」の芽を、枯らすことなく育ててみたくなりました。
社会人として、ではなく、ひとりの子どもとして、人として、ワクワクを追求する生き方をしたかった。

その旅路の途中。
忘れもしない、新大阪駅で久々に会った父と、大喧嘩した夜。

好きだった、牛のお世話をするお仕事をやっぱりまだ続けたい。という想いを父に伝えに行ったのです。
そのひと月ほど前に、「それは陽に合わない仕事だからすぐにでも辞めようね。」
という約束を父と交わしていたので、その約束を破りますと言いに行ったのです。

まだ諦めきれないです。
合わないかもしれない、大学で学んできたことと全く関係ない仕事かもしれない、辛そうにしているかも知れない、私の個性や力を存分に発揮できていないかもしれない。
それでも、好きを続ける生き方を応援してほしいです。

私は、私が過去してこれなかったことを私にしてあげたい。
子どものころに経験できなかった、誰の基準でも頭で考えた理屈でもない、
ただただ「飽きるまで、最後まで、やり切りたい」という気持ちを大事にしたい。
そう伝えに行きました。

父からは、
「いつまで親のせいにしてんねん」「もう十分ふらふらしただろ!」「お前はいつになっても成長しないな変わらないな!!」
そういわれました。

苦しくて、辛かった。
理屈はわかる。
社会で良しとされる生き方ではない。
約束を守らなかったことで、信用も失う。
親からの信用や愛情を失っても平気だといえる人は何人いるのでしょうか?

自分の生き方を決めるのに、親からの承認も許しも、まだ心のどこかで欲していました。
だから、父に理解してほしくて、また声を張って対抗する。
新大阪のホテルの玄関口で、もう日付も回りそうな深夜にものすごい大喧嘩を繰り広げました。

お願いだ。
まだ。まだもっと、学びたいことがある。
学ばせてくれ。

「好奇心に従って、心の赴くまま生きる」生き方が何かに繋がると
心のどこかで信じていました。

「失敗しないように」「うまくいくように」「将来困らないように」
そうやって石ころを取って、平坦な道を歩ませないで。
私だって、やってみたことのないことに挑戦してみたい。
失敗もしてみたい。

・・・

その日はにっちもさっちも行かなくなって、文字通り、もういい!と互いに吐き捨てて別れました。
過去に、最も私が殺伐とした空気を放った瞬間でした。

最終的に、私は、鹿児島の地を離れる選択をしました。
好きな仕事では生きていけない。
色んな要因が絡み合って、本当につらかったのですが、手放すことにしました。
どうあがいても、その選択が当時の私にとっては、最善でした。

結局、”好奇心に従って生きる生き方” はあきらめなくてはいけなかったのですが、その、"どうしても欲しかったけれど、手に入らなかった好きを追求する生き方” に恋焦がれる気持ちが私の心に刻み込まれました。

その時の強制終了がなければ今の私はいません。
世界を旅する教育ジャーナリストとして生きようと思うことはなく、
最愛の人たちとも会っていないのです。

どちらにせよ、すべては繋がっていくのです。

💕First Love ~初恋~ 野口也英ちゃんの台詞

大好きなシーンのひとつに、也英ちゃんが空港まで息子の綴を連れて運転するシーンがあります。
親の望む自分になろうとして、好きだった音楽も、ウタちゃんへの恋心も断ち切ってしまう綴。
ウタちゃんが遠い外国へ行ってしまうと知った也英が、綴を連れて空港まで見送りに行くシーン。

好きなことを仕事にできる人は少ない。
親の期待に応えようなんて思わなくていいから、
綴には自分で選び取ったものを信じる権利がある。
それが間違いでも失敗でも、人生にとってはなにかしらの意味があるから。

First Love ~初恋~ Episode 9 

私が 両親からずっと言われたかった言葉
そして、私自身がずっと、自分にかけている言葉。

意味のないことなんてない。

🔥THE D SoraKi の踊りが好き

究極に「好き」を追い求めた人が生み出す何か。
それは見ている人を汗ばませるくらい情熱的で、
見る人すべてを夢中にさせる。

それは、きっと、他人からの賞賛なんて目もくれずに
自分の好きなものに夢中になっていたら
辿り着ける、「夢中の伝播」の境地

きっと何人かの人は目にしたことがあるだろうSoraKiの踊り
誰も予想だにしなかった、圧倒的優勝。
「とにかく音に乗ること・身体を動かすこと」を楽しんでいる姿は
どれだけでも見続けられる中毒性をはらんだ美しさ。
見るものを魅了し、リズムに乗せ、心臓を高鳴らせる。
触れるだけで、元気が溢れでる、エネルギーの塊。

"観客がジャッジ"の即興ダンスバトル
── ダンスバトル界の最高峰が集結。
ヒップホップ、ハウス、ロッキングなど、"様々なジャンル"のトップダンサーたちが「歴代のヒットソングをBGM」に個性溢れるスタイルとスキルを激しくぶつけ合う!
ジャッジは観客。
誰よりも観客を最高に盛り上げ会場の空気を支配したものが勝者となるシンプルなルール。あなたの一票で世界王者を誕生させよう!!

Red Bull Dance Your Styleのジャッジ基準

この日、生まれた感動は
究極に「好き」を追い求めた人が生み出した作品であり、
あの瞬間までに彼自身が歩んできた人生のすべてを盛り込んだ、最高傑作だだと思います。


わたしもこんな風に生きたい。


すこしちぐはぐなようで、この4つの話はすべて私の中で繋がっています。


貴方が歩み、経験する人生のすべての出来事に、
無意味な事など存在しない。

それがたとえ、ポジティブな事ばかりでなかったとしても。
辛く苦しい時期も、誰かを傷つけてしまった後悔の日々も。
興味関心に突き進み、無一文になり、周囲から呆れられ、ひとりぼっちになったとしても。

それは全てあなたにとって必要な学びでしかないのです。

だから、今のあなたが感じる、「こうしたい」「これが好きだ」を大切に。それが間違いでも、失敗だったとしても、すべてはいずれ繋がっていくから。

その時が来たら、あなたの最高傑作が生みだされる。

その時まで。

さあ、前を向いて、息を吸って、前進しよう。
傷ついたって みっともなくったって 人生は飛び込まなくっちゃ。



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