別れの準備
祖母を送ってきました。
先週末の深夜に兄から電話をもらい、タクシーで祖母の自宅に駆けつけ、まだ温かさの残るその体をみんなで拭きました。
2時間後には葬儀屋さんがいらっしゃって、二日後には納棺士の方が、そして昨日今日の通夜と告別式で、祖母の甥っ子にあたる田舎のおじちゃん達が来てくれました。
私にとっては祖母でも、母にとっては母親です。
自分に置き換えたら辛さも耐え難いものがあるし、私は父の死目に間に合わなかったので、なんだかよくわからない使命感も相まって、母の助けにならねば、と意気込んでいた様にも感じます。
まだ、祖母の思い出を振り返るほど整理がついているわけではありませんが、思ったことがあります。
この何日間かでたくさん手を合わせました。
お線香を焚きました。
よくわからない手順を踏んで、よくわからないものを持たせ、そして今日、骨となって帰ってきました。
ちゃんと、弔いたくて一瞬一瞬を丁寧に過ごす様に気をつけました。
でも、ちゃんとできたのか、いまいちわかりません。
この間上演した「man-hole」は私の中で”弔い”をテーマの半分にしていました。
祖母の病気が、「そろそろだよ」と告げられ、父の時に向き合えなかった悲しみにまた向き合いたいと思ったのか、大人になった今だからこそ後悔ないような時間を過ごしたいと思ったのか・・・理由は色々あったのでしょうが、いまいち弔うということについて、答えが出ないままでした。
でも、こうしていろんな儀式を終えて、今、家に帰り、ふとこの数日間を振り返ると、刻一刻と祖母の体とお別れする儀式はしたものの、祖母の中身(あえて作中で使った表現と一緒にしますが)とお別れするタイミングはどこだったんだろう?と思います。
中身のすっぽり抜け落ちた外側は、いくら安らかな顔をしていても、やはり入れ物。
私たちが一緒になって笑って、たまに怒って、”全く、仕方ない人だな”と半ば諦めていた祖母は、この中に入っていた方なんだよなあ。
その中身とお別れをする儀式はどれだったんだろう?と思うのですが、いまいちどの儀式もピンときません。
そんな儀式はないのかしら?
それって逆に、お別れできないものだからなのかしら?と。
父の時にあった喪失感は、祖母の時には和らいでいました。
素直に好きだったな、寂しいなと思えたのはなんだか皮肉に感じます。
本当に弔いたい人のことはいつまで経っても弔えないのかもしれません。
あの時をやり直すことはできないからこそ、父との別れがあれで良かったのか、ずっと答えは出ないままなのかもしれません。
ということは、「man-hole」もずっと答えが出ないままなの?
結局、自問自答は尽きません。
あーちゃんへ。
じーじやパパとは会えたかい?
まだ旅の途中かい?
こっちは全部終わっちまって、あとは個人の問題ばかりだよ。
どうだい、そっちは楽しそうかい?
どうだい、こっちは楽しかったかい?
ボウボウ ボウボウ
あれは鳥かね虫かね
嫌に奇妙に鳴くじゃないか
ボウボウ ボウボウ
お前が残した饅頭は
めっきり硬くなっちまった
ボウボウ ボウボウ
道すがらの六文銭
数えりゃ見知らぬ閻魔様
ちょいと待ちな
お血脈を落としてるぜ
戒名におっちょこちょいって入れてもらえよ
お前の娘や孫だちも
戻ってこいって喚いてら
いらねえいらねえそんなやつあ
仏さんの弟子になりたきゃ
もっかい死んで出直しな
ボウボウ ボウボウ
そうか和尚の
念仏か
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