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硝子の棺と赤い夢(1)


【森の奥の小さな村、吟遊詩人の黒マント、硝子の柩、吸血鬼…。少女の幻想の行きつく果ては?】
※ダークなテイストのおとぎ話風ファンタジー小説です。(全6話)※

 小さな村に住む少女シェイラは、一年に一度村にやって来る吟遊詩人を秘かに愛していた。
 彼の美貌、それから不思議な力を持つ歌声の虜にされてしまったのだ。
 ところが、親友の美少女メネスも彼を想っていると気付いてしまう。
 一年に一度の祭の夜。彼が選んだのはメネスの方だった。
 森の奥へ消えるふたり。シェイラはあとをつける。
 繰り広げられる悲劇、そしてシェイラの選択とは──。

 風がそよぐ。
 枯葉の馨しい香りが辺り一面に立ち込める。
 
 今にも泣き出しそうな空では冬の気配を感じたのであろうか、小さく白く燃える太陽が静かに雲間に消えゆこうとしていた。
 鬱々と佇む森は木の葉を撒き散らし、己の奥深くへの密やかな侵入者を阻もうとしているかのようだ。
 
 小動物さえ気配を忍ばせるこの森に、微かな足音が響く。
 
 ひとり、ふたりか──。
 
 降り頻る木の葉は音を吸収してはくれない。
 しかし小さな足音たちは気にするでもなく、どんどん森の内部へと侵入してきた。
 
 次いで華やかな笑い声。
 そこに悪意は見られず、森の防御壁たる枯葉は安心したように舞を止める。
 木の葉が沈み、露になった声の主たちの姿は、森の警戒心を呼び起こすものではなかったようだ。
 
 転げるように駆けて来たのは未だ悪意を知らない少女が二人。
 長い髪を揺らして木の葉の海を跳ねている。
 
 金色に輝く髪を無邪気に風に遊ばせる乙女と、彼女を見つめる茶髪の少女。
 
「ねぇ、シェイラ。この辺りにしようよ。見て、木の実がたくさん落ちてる」
 
 金髪の少女が足を止めた。
 息を飲むほど美しい少女だ。
 
 輝く黄金色の髪には真紅の紐飾りが揺れ、少女の艶やかさを更に引き立てている。
 紫の眼は全てを見透かす神聖さをも秘めていた。
 もう一人の少女の顔を覗き込むようにして微笑する唇には、対照的に薄く紅が引かれており女の色香さえ漂わんとしている。
 
 シェイラと呼ばれた少女も、親友の美に思わず見とれたのだろう。
 暫くぼんやりと視線を宙に彷徨わせてから「うん……」と頷いた。
 
「じゃあ、拾っちゃおうか。この籠に入れてね。メネス……? 聞いてるの?」
 
 先だっての金髪の少女が浮かれたように辺りを跳ね回っているのを見て、シェイラは苦笑する。
 仕方なく自分だけ木の葉の中に腰を屈めて己の仕事に取りかかった。
 
 こちらもメネスの隣りにさえ居なければ愛らしく映るだろう容貌の持ち主であった。
 上品な顔立ちはともすれば地味な印象を与えかねないが、よく手入れされた茶色の長い髪と、同色の瞳は未だ成熟し切っていない少女の危うさを秘めていて、見る者に不思議な感覚を呼び起こす。
 落ち着いた口調とは裏腹に地面を探る手元からも、こちらの少女が心を弾ませている様子はありありと伝わってきていた。
 
 少女たちがはしゃぐのも無理はない。
 枯れ葉の匂いを孕むこの風を感じるこの季節、彼女たちの心は華やぐ。

 もうじき収穫祭なのだ。
 
 村は国境近くに位置しており、交易の道筋から幾分外れていることもあって、日々の暮らしは決して豊かではない。
 近くの岩山から石を採って、硝子を作って売りに行くというのが村唯一の産業であった。
 
 そんな村の、その日は一年に一度の祭り。
 豊穣の女神トゥパークに収穫を感謝し、村中総出で大宴会を行うのだ。
 雪に覆われ、大地の恵みから見放される冬を乗り切るための、それは儀式とも呼べよう。
 
 人口の少ないこの村の老人から子どもまで全員が揃って、歌い、踊り、笑い合う。
 収穫したての芋で作った甘い菓子なども、この時期ならではの贅沢品だ。
 
 村人たちは既に浮き浮きと準備に取り掛かっていた。
 少女たちにも森へ木の実拾いに行くという役割が与えられている。
 村外れに広がる深い森の入口近くで保存に適した木の実を拾い、籠いっぱいになったら村の広場へ運ぶのだ。
 
 村人にとって、冬の間の貴重な栄養源ともなるのだから、できるだけたくさんの実を拾わなくてはならない。
 広場と森を何度も往復する必要があり、しかも中腰になって探すのでなかなか骨の折れる仕事である。
 
 朝からすでに三往復しており、二人は頻りに背中を擦っている。

 メネスはぶつぶつ不平をこぼしはじめた。
 
「シェイラ、もう帰らない? 随分集めたわよ」
 
 ──あたし、もぅ腰痛くって。
 
 メネスが蹲る。
 しかしシェイラは首を振った。
 
 彼女の足もじわじわと痺れと痛みを訴えはじめている。
 しかし手は休めない。
 村の共有物である保存用の壺の大きさを考えると、まだ半分しか溜まっていないと分かっているからだ。
 
「冬にお腹すいたら嫌じゃない。木の実は今しか採れないんだもん。もう少しがんばろうよ、ね」
 
 宥めるように首を傾げてみせる。
 
「シェイラは真面目だなぁ……」
 
 仕方なくメネスものろのろと手を動かし始めた。
 
「ねぇ、シェイラ。あたし、お祭りの時ね……」
 
 無心に働く親友を見やり、メネスは大きく吐息をつく。
 
「聞いてる? シェイラってば」
 
 突然、弾けるようにメネスが笑った。
 ぎょっとしたように「えっ?」と問い返すシェイラに向かって更に続ける。
 
「人のこと言えないよ。シェイラだって上の空じゃないの!」
 
「そんな、私は……」
 
「気にしなくていいわよ。村の人みんなそうだもん。お祭りが楽しみで仕方ないんだってば!」
 
 顔を赤らめる親友に向かって、真面目に働くことないわ、と片目を瞑ってみせる。
 つられるようにシェイラも苦笑を漏らした。
 
「もぅ、メネスにはかなわないよ」
 
 ──でも……。
 
 シェイラの笑みが虚ろなものと化した。
 口には出さないが「私は違う」と憂う双眸が語っている。
 
 確かに祭りは楽しみだ。
 でもそれは「彼」がやって来るから。
 理由はそれだけだった。
 
 俄かに空が曇った。
 大粒の雨がゆっくりと落ちてくる。
 森は自らの木の葉で、降り頻る雨から彼女たちを守ってくれようとはしなかった。
 
「やだ。シェイラ、本格的な降りになりそう。早く帰ろうよ」
 
 メネスが大慌てで立ち上がる。
 
「そうね……」
 
 シェイラも腰を上げた。
 ゆっくりした動作で籠を拾い上げて、天を振り仰ぐ。
 
 頬に、髪に、肩に……打ち付ける水滴が心地良くて、彼女はゆっくりと目を閉じた。
 そうすると瞼の裏に「彼」の姿が浮かぶのだ。
 メネスに手を引かれ雨に濡れて走りながら、彼女はずっと「彼」のことを考えていた。
 
 まず心に浮かんだのは腰まで届く彼の髪。
 白金に輝く絹糸のようなそれは、彼女には触れることの出来ない聖域であった。
 透明な肌は血の気がなく、その表情は凍り付いたまま動くことはない。
 そしてあの眼。
 碧くて冷たいその双眸。
 真冬の湖のそこはきっとこんな色なのだろう。
 次いで女性的な優美な曲線を描く顎や、血の色をした唇が次々と想われる。
 
 最後に想ったのは、彼の声──。
 高く低く、深く澄んだ……透き通る楽器のようなその声で彼は歌う。
 繊細な指先で竪琴(リュート)を爪弾きながら。
 
 そう、彼は吟遊詩人なのだ。
 収穫祭の夕刻にやって来て村の広場で歌をうたう。
 彼女の胸を締め付けるあの声で。
 
 そして翌日にはその姿は消えているのだ。
 まるで夢の中の出来事のように。
 否、実際夢を見ているのかもしれないと彼女は我が心を疑う。
 
 何故なら、誰も彼のことを話さないのだから。
 それとも村の誰しもが、彼を自身の心の奥底に大切に住まわせているのだろうか。
 決して人には触れさせないように。
 彼女自身がそうしているように。
 
 冷たい雨が少女を打つ。痛いほどに。
 気が付くとメネスは彼女の遥か前方を走っていた。
 
 シェイラは足を止めて、ゆっくりと森を振り返る。
 濡れた木の葉が彼女に襲いかかろうと身構えているように思えて、少女は思わず立ち竦んだ。
 
【2話につづく(全6話です。6/1から毎日1話ずつ公開します)】


【1~6話へはコチラから ↓】


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