鋼鉄乙女のモン・サン=ミシェル戦闘記(33)
「大丈夫か?」
左手と足だけでするすると器用に崖を登りながら、アミがこちらを見下ろす。
「両手があれば、キミを抱えて登ってあげられるのにな」
何となくすまなさそうな調子に、ラドムは複雑な表情でうなずきを返した。
──いつもの彼女だ。
少々間が抜けているものの、穏やかで思いやりの深い、いつものアミ──いや、昨日初めて言葉を交わしたラドムにとっては自分が知っている彼女、というだけにすぎないのか。
だからこそ、ひどく戸惑う。
今のアミは、ロムと対峙していた彼女と同一人物とは思えない。
仲間の心臓を潰そうとしていた人間とは──。
「もうちょっとだぞ、ラドム」
崖の最後は上からアミが引っ張りあげてくれたので、何とか登りきることが出来た。
「ふぅ、お腹すいた……」
こんな状況でもどこまでものんきに、彼女はぺたんこの腹に手を当てている。
「アミも普通の食べ物、食べるんだ?」
「んん?」
「……てっきり機械油でも飲むのかと思ったから」
「なんで?」
きょとんとした間抜け面をみせる。
彼女に皮肉は通じない。
憑き物が落ちたかのように屈託ない笑顔を向けてくるアミに「ごめん」と口の中で呟いてから、ラドムは誤魔化すように周囲に視線を転じた。
崖の上は草原、それから小高い丘がある。
広がった視界を海に向けるも、曇り空の彼方に希望のシルエット(モン・サン・ミシェル)は見えはしなかった。
それどころか周囲には人家、人の姿すらない。
「やっぱりあの魚、持ってくればよかったな」
未練がましく崖の下を覗きこむ少女の襟首をつかんで止める。
下手をすれば取りに下りて行きかねない。
「アミ、意地汚いこと言ってる場合じゃないだろ。まず……あっ」
グゥ。
少年の腹が派手な音を立てる。
弾かれたようにアミが笑い出し、ラドムは頬を赤らめた。
「僕もお腹、空いてる……」
まず、船で腹を切られ相当量失血した。
その傷も然(さ)ることながら、よく考えたら目覚めてから一度も食事を取っていないことに気付く。
水しか飲んでいない。
五日間昏睡状態だったらしいし、その前もワルシャワからの逃亡で体力はすり減っていた。船での密航中だって満足に食べられたわけではない。
あげく海に飛び込み、急な海流に呑まれた。
よく立ち上がれるものだと、自分でも感心する始末だ。
しかし一旦意識するともう駄目だった。
右に左に、フラフラと身体が傾ぎ始める。
「大丈夫か? ラドムはここにいろ。だれか人を……だれもいなかったら食べ物をさがしてくる」
「ちょ、ちょっと待って」
当てもあるまい。
草原に向かって走り出したアミを、ラドムは慌てて止めた。
それは小さな自負と意地だったろうか。
──彼女に一方的に守られたくなんか、ない。
「僕も行く」
「いいから。ラドムはここで休んでいろ」
「いや、僕も行く!」
どうあっても己の意志を貫くつもりで、彼はヨロヨロ歩き出した。
「ラドム、無理す……」
無理するな、という言葉を少年は強引に遮る。
「二手に分かれよう。その方が捜索範囲が広がる。またこの場所で合流しよう」
「いいけど、ラドム……」
明かに気遣いの視線を、少年は振り切って背を向けた。
絶対に、守られたくなんか、ない。
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