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白麻地七夕文様帷子

早いもので文月に入り、私の住んでいる京都は祇園祭が始まる。
そして7日には七夕の節句を迎えることに。

七夕の歴史は古代中国の宮中行事である乞巧奠に始まり、6世紀に荊楚地方(現在の湖北・湖南地方)の年中行事を記した『荊楚歳時記』には7月7日に牽牛と織姫が会合する夜であると書かれており、その夜に婦人たちが七本の針の穴に5色の糸を通し、捧げ物を並べて針仕事の上達を願ったとのこと。

日本には奈良時代に朝廷に乞巧奠の行事は伝わり行われていたという。現在でも冷泉家では旧暦7月7日(2023年は8月22日)に南庭に「星の座」と呼ばれる祭壇を設け、お供えをし、雅楽や和歌が披露される。

織姫の語源は織女(おりめ)。そして奈良時代、万葉集では織女を「たなばた」と読ませており、また日本書紀に書かれている、「天なるや弟織女(おとたなばた)の頸がせる玉の御統(みすまる)の穴玉はや 二渡らす…」という歌でも織女を「たなばた」と読ませている。一方で、平安時代の書物「古語拾遺(こごしゅうい)」には、「天棚機姫神(あめのたなばたつひめのかみ)」という言葉が記されており、これが後に棚機津女という表現となり、中国の乞巧奠の行事と牽牛(彦星)と織姫の伝説が重なり、さらに一連の織女の読み方も相まって、尚且つ7月7日の夜の行事でもあるから「たなばた」を七夕と当て字したのかもしれない。

さて七夕文様のきものはないものかと探していると、京都国立博物館に「白麻地七夕文様」と名付けられた帷子を見つけた。
写真は解像度が低いため、見難いが、きもの全体に細く伸びた竹笹に短冊や梶の葉を挟んだ色紙が吊るされており、裾には萩が配置されている実に爽やかで涼しげな友禅染めの帷子である。

白麻地七夕文様帷子 (京都国立博物館蔵)
笹に吊された五色の短冊と梶の葉を挟んだ色紙が描かれている

七夕は陰陽五行思想に基づいているため、その歌にもあるように、青、赤、黄、白、黒の五色の短冊が描かれている。また、見えにくいが、梶の葉を挟んだ色紙も吊るされている。奈良時代から平安時代の七夕は里芋の葉の白露を硯の海に移して墨をすり、墨乗りのよい梶の葉の裏に和歌をしたためていたという。

その和歌の多くは愛しい人を想っての恋の歌だったというから、この文様に描かれた色紙に挟まれた梶の葉には恋文のような和歌が書かれているのであろうか。
そのように想像すると、七夕にこの帷子を着る婦人は、愛しい人に逢うために、またはその人を想いながら纏ったのであろうか?そんな勝手な想像ができるのもきものの楽しさでもあり、美しいと思える部分であろう。


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