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野球の想い出(高校野球)

僕が高校の進学先に選んだのは、関西学院高等部です。

当時監督をされていたのは、広岡正信監督。

関学を選んだ理由は、中学時代の恩師に野球も勉強も両立できる学校に行くことを勧められたからです。

関学は基準を満たせば大学への内部進学もあり、大学受験を比較的意識することなく、野球にも取り組むことができました。
(関西学院大学に行かないことになるとは、考えてもいませんでした笑)

中学の恩師からは、「一生ボール拾いだったとしても続ける覚悟が必要」と念も押されていましたが、当時塚口中からは4人関学に入学し、4人とも野球部に入りました。

入った時に衝撃的だったのは、部員の多さ。
各学年50人を超え、3学年で150人を超える大所帯でした。

グラウンドもアメフト部(日本一を誇ります)と兼用だったため、中学時代に実績のない選手がまともに練習に参加できるスペースがあるわけもなく、体力トレーニングからしっかりやりました。

中学生までの自分は学年で野球が1番上手いという自負もありましたが、中学生の頃に全国大会を経験している選手や、硬式のクラブチームを経験してきた選手が多く、明らかに自分より上手い選手ばかりでした。

その上、体力トレーニングにもついていくことが出来ず、辛くて辞めたいと泣いて帰ったのを今でも覚えています。

ここまでの野球人生で何回辞めたいと思っているのでしょう…

内部進学のできる私立校であれば塾に通わせる必要もなく、費用負担も公立校と変わらないという判断をしてくれ、そして既にユニフォームから野球バッグまで全てを揃えてもらっていたので、そんな両親の顔を思い浮かべると絶対辞めれないと腹を括って学校に通っていました。

ありがたいことに、1年生の秋からはAチームに帯同させてもらえることも増えましたが、中々ベンチ入りすることは叶わなかったです。

関学野球部の全体練習は比較的に短く、そのほかの練習は個々人に任されていました。自分より上手い選手しかいないという意識もあったため、とにかく練習をしました。

そんな日々の取組を評価していただき、新チームでは主将を任せていただきました。

主将を務めて最も苦労したのが、チーム内での温度差。

Aチームはもちろん甲子園の舞台を目標に練習をしているのですが、人数も多く、練習環境も限られている中での活動のため、どうしても練習機会や試合の出場機会にも差が出てきてしまいます。

そんな中、チームも秋、春共に県大会初戦で敗退。
本来は普段ベンチ入りをしていない選手のための大会も主力の選手が経験を積むために、主力級が出場することにもなりました。

選手間での不満もつのり、3年生の夏前には、チームが分裂するような危機もありました。

チームの分裂だけはどうしても避けたかったので、3年生間でミーティングを行い、主将として監督にどうにかいつも出れない選手に機会をいただけないかと打診もしに行きました。

ただ、そのとき監督に言われたのは、「君たちは甲子園に行きたくないのか」ということ。

その言葉に、僕はハッとさせられました。

そう。僕たちは甲子園に出るために野球をしている。
監督は甲子園に行くために、本気だと感じさせられました。

経験値の少ない僕たちにとって、人に経験を譲る。
そんな余裕は本来なかったのです。

反発をくらうことを承知の上で、3年生全員の前で勇気を振り絞って

「僕たちは甲子園に出るために活動をしている。だからこの大会は主力で戦わせてもらう。これに賛同できない人、一緒に甲子園を目指せない人はグラウンドにこないでほしい」

と伝えたことを今でも覚えています。

全員が報われるためには勝つしかない。
そんな想いで最後の大会に臨みました。

結果は兵庫県大会ベスト4。
本当に悔しかった。

ただ当時の3年生が1人も辞めることなく、56人全員で引退を迎えられたことは本当に財産です。

高校野球に本気で取り組んだからこそ、得られたものはすごく大きいです。

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