笑うという残酷さ

 私は学校の職員として働いている。
 先週の木曜日、月1回の会議が行われた。
 会議では協議事項や報告事項が終わった後、各学年の主任が気になる生徒について職員全体に共有する時間が設けられる。
今年、初めて学年主任になった4歳のお子さんを持つ男性の先生が前に立つ。そして共有しておくべき生徒の名前を挙げる。挙げられた生徒は、不登校、病気などで学校に来れていない生徒が大半のため、毎月聞く生徒だった。
そしてその主任の先生から「今回初めて共有する生徒がいます」と伝えられる。会議をしている教室にピリッとした空気が流れる。

学年主任が話した生徒の共有内容は以下の通りだ。ここではその生徒の名前を仮にK君としよう。

・学校ではポロシャツの着用を認めていないのにK君が着用して登校してしまったことがあった。

・たまたま学年主任の先生がそれを発見し、注意した。

・注意している間、K君はぽかんとしていた。まるで何が起こっているのか分からないとでも言うように。

・K君の当時の様子から見て、先生のことをナメているような感じではなかった。

・そして学年主任の先生が言い終わる前にK君が「ねぇ、パン買いに行っていい?」と話を遮った。

学年主任の先生によるとK君は少し配慮が必要かもしれないからそのことを知っておいてほしいということだった。

私はその話を聞き、K君に同情した。「K君、すごくわかるよ」と。

おそらくだが、K君も発達がゆっくりな生徒なのだろう。
私はその場面を聞いただけで直接見たわけではないが、当時のK君の脳内は推察するにこうだったのではないだろうか。

・学年主任の先生がポロシャツ着てきたことを注意するが、「何に対して注意しているんだ?」と不思議でしょうがない。または学年主任の先生が注意している内容が全く頭に入ってこない。

・ちょうどそのときがお昼近くだったのか、「お腹減った」という感情がK君の脳内を支配するようになる。

・次第に「購買のパンを買って食べたい」という欲が強くなり、先生の話を遮った。

私も似たような経験で何度も怒られた経験があったため、K君の行動に対して何も驚かなかった。しかし、その共有事項に対しての他の先生方の反応に驚かされる。

学年主任の先生がK君が「ねぇ、パン買っていい?」と自分の話を遮ったという話をしたとき、職員から一斉に「ワハハハハ」と笑いが起こった。中には目元を手で覆って笑っている先生もいる。

??????????

今の学年主任の先生の話にどこか笑える要素があっただろうか?

K君が学年主任の先生の話を遮ってまで「パンを買いに行きたかった」ということに笑ったのだろうか。悪いけど私には笑えない。

きっと笑ってる先生方には分からないのだろう。人の話を理解出来ない苦しさ、いつか周りに置いて行かれるのではと言う恐怖と戦っている大変さ、周りと合わせなければいけないという苦しさ。

私も発達に障害があると分かったときは必死にその事実を否定したがったが、むしろ「周りと違ってていいじゃん。むしろ何か特別な才能があるのかもよ? そんな周りと一緒じゃなきゃいけないなんて気持ち悪くない? 猫型ロボット製造工場(ドラえもん1巻参照)や、某大手航空会社の入社式じゃあるまいし」

この国の学校は「特別な人」に対して残酷だ。

凸型(何かの才能に秀でた人)の人に教師は飛び出た部分を必死に引っ込めようとする。

ここからは私の経験をもとに話そう。
私は小学校に入って公文に入会した。公文では国語もやっていたのだが、漢字にはまってしまい1年生なのに3年生の漢字をやったりなど、自分より上の学年の教材をやっていた。

ある日、学校の国語のテストで文章を書く問題があった。私はまだ習っていない漢字を使って文章を書いた。そのことが楽しくてワクワクした。なぜならまだ習っていない漢字を書いたら当然先生から褒めてもらえるとおもってたから。

後日、戻ってきた答案には文章題だけ0点になっていた。理由は「習っていない漢字を使ったから」
そして丁寧にも解答欄の横に「習ってない漢字はまだ使っちゃだめだよ^^」と赤字で書かれていた。
その事があって以降、私は「学校は周りに合わせるところなんだなぁ」と思い、自分の能力が思う存分発揮できずにいた。

一方で、凹の人(何かの能力遂行がゆっくりな人)にはそのへこんだ部分を必死に埋めようとする。

私は体育が一番苦手な科目だ。元々、喘息持ちということもあり、走るのは苦手だった。
そういう人だっているのにも関わらず、大人たちは容赦なく私達を走らせる。
私は走るのがかなり遅いため、運動会などでは使い物にならない。
「そういう人だから」と簡単に諦めてくれればいいものを、変な義務感に駆られた教師たちは私を寒空の下で必死に特訓した。(冬場だったということもあり、余計に喘息が悪化した)

今は私が学生だった頃と違って「多様性」だとか「みんな違ってみんないい」みたいな雰囲気が流れているが、それも所詮うわべで語っているだけ。日本において「特別な人」に対しての理解が浸透するのはまだまだ長い時間がかかりそうだ。
学校において「特別な人」に対して残酷なのは今も昔も変わらない。



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