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「疲れる」は案外いいことなのかもしれない。

人生の帰路に立たされている。お金か夢か、母親か。
私は何事も卒なくこなせる器用なタイプではないので、選ぶべき道を2年前からずっと決めかねている。

でも、そろそろタイムリミットだ。


この頃、頭痛に悩まされていた。原因はとある採用試験の勉強だった。手応えはまるでなかった。落ちたら潔く夢を諦め、夫との将来をきちんと考えると約束した。夫は子どもがほしいのである。

夢を諦めるといっても、好きなこと(文章、コピー、絵など)を辞めるつもりは毛頭ない。ただ、自分が輝きたかった場所で生きるのは、今のままでは難しくなると判断した。なぜなら、夢を追う覚悟も、スキルも、圧倒的に足りなかったからだ。だったらお金を稼ぐ道へと進もう。

試験後の疲労は凄まじかった。なんにも手がつかないというか、驚くほどなんにもしたくない。ベッドでスマホアプリを操作する元気しか残されていない。元気だ。

試験の前日が誕生日だったので、食べたいものを好きなだけスーパーで買い込み、お祝いとお疲れさま会を兼ねたパーティーを自宅にて執り行った。

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食べたなあ。

今回初めて食べたのは、土佐巻きとぶりの真子煮付け。特に土佐巻きは臭みもなく、程よくシソの風味もあり、とてもおいしかった。あんなに地元を離れたくないと反抗していたのに、スーパーのレベルが高いと「引っ越してよかった」と秒で寝返るので、我ながら現金な奴だと思った。

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力の限り食べた。

さすがに量が多かったので、フルーツの残りは翌日の楽しみに取っておいた。その日は幸せに包まれて寝た。

朝を迎える。目が開かない。体が動きたくないと信号をだしている。 夫が仕事だったので、なんとか体を起こして朝食を食べた。コーヒーがじんわりと頭の回転を早め、昨日は派手に食べたなと反芻する。

「頑張ったから」と自分にご褒美を与えるシステムは、未だ健在だ。

思えば工場で働いていたときは、日々に疲れていた。肉体労働は体が資本なので、体力がなくなることは死活問題に等しい。とにかく体を壊さないように、健康管理を徹底していた。肩も腰もボロボロのまま退職したけど、最終出勤日に食べた寿司の味は忘れないだろう。

現在は専業主婦として夫と暮らしている。在宅の仕事をしたい、ライターになりたい!と一丁前に豪語したわりには、やるべきことを放り投げ、ひたすらカーペットの上でゴロゴロし、好きなお菓子を食べ、夕飯の用意もせず夫の帰りを待った。最高で最悪の生活。ふだん甘い汁ばかり吸っているせいか、どうにも「机に向かって勉強や仕事をする」行為自体が慣れないし、正直疲れてしまう。私は誰かの監視がないとやる気がでない、典型的なアレのタイプだった。

だから、人の目がある仕事に就いてお金を稼ぐ。苦手な勉強も頑張る。バリキャリになって、夫の収入を追い越せるほど稼ぐ。そんな野心も持ち合わせていた。ちなみに採用試験の結果はダメで、再度仕事を探す羽目になった。最近も「未経験OKのコピーライター」という願ったり叶ったりの求人に応募し、最終選考で華麗に祈られたばかりだ。浅はかである。


『私が働ける場所ってどこにあるんだろう。無いんじゃないかな、30歳過ぎたし。結婚したし、母親になって、家族の幸せを願おう。仕事だけが全てじゃない。お金はないけど。これからは上司や後輩に怒られなくて済む。平和そのものだ。お金はないけど。そうだよ、お金がないんだよ、このままだと。こんなタイミングで子どもを産んだら、産まれてくる子どもに罪をなすりつけてしまう。そんな自信しかない。他責思考もいいところだ。人生お疲れ!』

という闇落ちパターンにならないために、今もまたHP回復のために好きなゲームや好きな食べものを与え、ご褒美システムを発動している。なんの成果も得られていないのに、ご褒美を得る必要はあるのだろうか。私は一体いつまで頑張らなきゃいけないんだ。もう疲れた。あ、パターン入りそう。

ただ、疲れてみるとわかったこともある。それはふだんのご褒美が「最高」に感じられることだ。

まず、食べものがめちゃくちゃおいしい。人間は食べないと生きていけないので、効率的に幸せを摂取できる。脳を騙し、高級肉を買える行動力も身につく。あとは、人のやさしさがダイレクトに効く。応援してくれる人に応えたくて、頑張っているところもある。え?じゃあ頑張れる…。

人間は案外立ち直りが早いし、疲れた先にある幸せを見つけるのが上手いらしい。ありがとう。私はもう少しだけ頑張れそうだ。

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