見出し画像

不急不要に適応して、適応力を失った組織

コロナショックにおける組織の対応の在り方について考えているうちに「失敗の本質」という本を本棚に見つけました。太平洋戦争における日本軍の失敗について書かれています。軍事論ではなく、組織のどのような在り方が日本軍の失敗につながったのか、そこから得られる教訓をまとめたものです。

図2

当時の日本軍とアメリカ軍の違いが上の表のようにまとめられています。日本軍の戦略は、その目的が不明確で、全体最適の視点が欠けており、属人的で、結果に基づいて学習することができなかったという主旨のことが語られています。この状況を生んでしまったのは、戦時だけではなく、平時における組織システムや文化に起因しているといったことが教訓としてまとめられています。

改めて読み返していて刺さったのは、「適応は適応能力を締め出す」という言葉でした。

進化論では、次のようなことが指摘されている。恐竜がなぜ絶滅したかの説明の一つに、恐竜は中生代のマツ、スギ、ソテツなどの裸子植物を食べるために機能的にも形態的にも徹底的に適応したが、適応しすぎて特殊化し、ちょっとした気候、水陸の分布、食物の変化に再適応できなかった、というのがある。つまり、「適応は適応能力を締め出す(adaptation precludes adaptability)」とするのである。日本軍にも、同じようなことが起こったのではないか。
出典: 「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」 戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎 著

生き残るために適応した結果、環境の変化に対応できなかったということです。進化論では、機能や形態といった物理的な側面のこととして書かれています。これを人間の行動の観点で捉えるともう少し違った話になります。わたし達の行動は、その40%が習慣だと言われています。無意識の行動によって毎日の生活が成り立つということです。これ自体は人が持つ機能で、賢さのひとつです。

問題は副作用が起こることです。わたし達は、同じに決まっていると決めつけてやり方を変えようとしないことがあります。もっと言うと、同じだと決めつけてさえいません。自動的に行動が選択されるのです。だから目の前のことを正しく行っているつもりでいます。その正しさの前提を疑うことは多くありません。なぜなら、意識を使うということはそれだけエネルギーが要るからです。結果、何とかなるだろうと思い込みます。前提が変わったことをできない理由にしてしまいます。それを受け入れて「どうやったらできるか」「どうしたらわたしは変われるか」という発想にならない、つまり、現状に安住してしまうのです。

これは本質的には思考停止です。ところが頭や体は動いている。…そんなことを考えているうちにアクティブ・ノン・アクションという言葉を思い出しました。緊急だけど、重要ではない仕事に追われている不毛な忙しさです。今回、不急不要という言葉が出てきましたが、そもそも何が重要なのかを普段、振返って考える機会がどれくらいあったでしょうか。日々の目の前の仕事に適応していると、振り返るという習慣が作られなくなります。そこで満足してしまう。無意識も含め、振り変えることに時間やとエネルギーを使いたくないのです。つまり、多くの人の適応力が締め出されているのではないでしょうか。

今回のことで、前提となっていたことがリセットされました。わたし達はいま、時間とエネルギー使って、環境に適応しようとしています。ただし適応に終わりはないのです。正確に言えば、終わることを前提とした時点でそれは適応ではないのです。「失敗の本質」の中でも盛んに「コンティンジェンシープラン」という言葉が出てきます。日本軍の戦略に欠けていたのはコンティンジェンシープランである、と。震災後、BCP、ビジネスコンティンジェンシープランの重要性が強調されるようになりました。今回もそうでしょう。このときに、避けなくてはならないのはBCPを作り終わったことで思考停止になることです。

アフターコロナで試されるのは、この事態で起こっている葛藤を受け入れて、「どうやったらできるか」「どうしたらわたし達は変われるか」を考えられる組織かどうかです。リモートワークなど物理的な環境だけでなく、適応力を失わない組織文化の築き方を考えていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?