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2021年をnoteと本で振り返る

noteを始めたのは去年の4月。コロナが蔓延して、仕事もオンラインでの対応が増え、何か発信できたら良いなと思いはじめました。かれこれ92週連続投稿中です。

発信よりも、自分自身の良いReflectionになっています。年末なので、読んだ本を軸にしながらアレコレ振り返ります。

人間味あふれるノムさんに涙が止まらない

一番、印象に残ったのはこちらの本。

「著者は元サンケイ・スポーツの記者で、ヤクルト時代に野村監督を担当。その縁で交流が続き、沙知代夫人が亡くなった後のおよそ1年間、野村氏の〝最後の話し相手〟となった。」とAmazonに解説があります。

私たちのよく知るノムさん節もたくさん出てきます。それ以上に著者にしか見せないノムさんの人間味あふれる姿が書かれています。

特に母親への思いは、涙なしには読めません。

何のために生きるのか

ノムさんは、トレーニングキャンプ中に、新人に必ずこう問うそうです。「おまえは何のために生まれて、何のために野球をやっているんだ?」

答えられない新人にノムさんは伝えます。

人は、世のため、人のために生まれてくるんだよ。人は、絶対に一人では生きていけないのだから。
そして仕事は、自分の人生や、社会や、企業や、地域とつながっている。 
仕事も、世のため、人のためにあるんだ。おまえの仕事──野球──を通じて、社会とつながる道を見つけろ

遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと

ノムさんが言っているのは、人生の使命です。命を使って私たちは何をするのか、という問いです。

今年は、この「使命」つまり、生きる意味について考えることが多かったように思います。

こちらは、精神科医の名越康文さんの著書です。タイトルだけを見ると、深い悩みを書いてあるのではないかと思います。しかし、サブタイトルは、「晴れやかな日々を送るための仏教心理学講座」とあります。

人生の中で、何度か「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに向き合う機会のあった名越さん。精神科医として患者さんに向き合う中でその問いが大きくなります。48歳という年齢を迎えて、その答えは仏教にあるのではないかと考え、学び始めます。

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに「こうすればいいよ」と実践的な指針を示してくれるのが仏教だと言います。人が長い間、良く生きるために重ねてきた実践的な考え方があるのです。

本書も実践的で分かりやすい、日常的なエピソードが多く書かれています。

SF映画やアニメを見ても、『スター・ウォーズ』で主人公たちが乗るファルコン号や、敵・帝国軍のスターデストロイヤーには掃除している人は見当たりません。しかし、同じような宇宙SF物でも、日本でつくられた『戦艦ヤマト』ではしばしば、「甲板掃除」のシーンが登場するのです。

(中略)

「掃除」や「手入れ」を大切にする文化とそうでない文化の一番の違いは、「終わり」や「ゴール」をどう捉えるか、ということに表れます。
 つまり、「絶対の真理(=悟り)」があり、そこに到達したらゴールでおしまい、という発想なら、掃除や手入れというのは単なる「無駄」としか捉えられないでしょう(そう考えるからこそ、欧米の人は、ハウスクリーニングをできるだけ外注しようとするのだという考え方もできそうです)。
 でも仏教はそれを「無駄」とは考えない。なぜなら日常の中で掃除して、心の煤や垢、錆を取りながら生きていくということそのものが「仏道」であると考えるからです。

どうせ死ぬのになぜ生きるのか

何のために生きるのかと問うのは、何か生き急いでいるような気がします。しかし、本書を読んでいると「答えはないけど、その問いに向きあうこと自体が人生なのだ」と思えてきます。

コミュニケーションについて改めて考えた

仏教の考えは、必ずしも言語化されておらず、感じとるようなところがあるように思います。

今年は、…というより私の専門でもあるのですが、コミュニケーションについても改めて考えました。

印象に残っているのは伊藤亜紗さんの著作です。

「さわる」「ふれる」の違いについて、興味深い考察がされています。こうした身体的なコミュニケーションについて考えを深めると、分かろうとするより、味わうことが大切だと感じます。

私たちは分かりたがります。分からないものは危険だと本能的に思うからです。一方で分かった気になって思考停止になります。そうならないように問いを問うのが私のコンサルタントとしての仕事の核となる考えです。

ドミニク・チェンさんのこちらの著作もそんな思いを深めるきっかけとなりました。

いずれの関係性においても、固有の「わかりあえなさ」のパターンが生起するが、それは埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。このような空白を前にする時、わたしたちは言葉を失う。そして、すでに存在するカテゴリに当てはめて理解しようとする誘惑に駆られる。しかし、じっと耳を傾け、眼差しを向けていれば、そこから互いをつなげる未知の言葉が溢れてくる。わたしたちは目的の定まらない旅路を共に歩むための言語を紡いでいける。

未来をつくる言葉

「わかりあえなさ」があるから、共に歩むことができるのだということが、とても美しく表現されていて何度も読み返しました。世界に「分断」が表れるのは、自身の狭い料簡に囚われているからではないか。新しい意味が生まれる余白を感じ、共に歩むための言葉を紡ぎたいと願いました。

モヤモヤさせることが得意なコンサルタントでありたい

コンサルタントとして長く意識してきていることは、「モヤモヤを大切にしたい」ということです。ますますそれを大切にしたいと思うようになりました。

答えをパッと出すのはAIがやるようになります。私たちに求められるのは、「問うべき問いと向き合うこと」です。

その意味で印象に残っているのは、こちらの二冊です。

いい観察は、ある主体が、物事に対して仮説をもちながら、客観的に物事を観て、仮説とその物事の状態のズレに気づき、仮説の更新を促す。
 一方、悪い観察は、仮説と物事の状態に差がないと感じ、わかった状態になり、仮説の更新が止まる。

観察力の鍛え方

もともと音楽は、分かることなど前提としていません。答えが出ないものへの不断の挑戦と言っていいでしょう。愛児を失ったどうにもならない悲しみ、あるいは恋人を得たときの喜びを、歌詞や人の声、打楽器や管楽器、弦楽器がそのまま歌い上げます。答えを出してはおしまい、というような深みを音で追求していきます。分かることを拒否して、そのずっと奥の心のひだまで音は到達して、魂を揺さぶるのです。

ネガティブ・ケイパビリティ

ああ、やっぱりそうだよなと思いながら読み進めた2冊です。分かった気にならないこと、言葉にならない思いに耳を澄ますこと、これを大事にしたいです。

コンサルタントとして、答えを求められることは多々あります。それに答えられる見識は持っていたいと思います。一方でそれだけでは互いに進歩がないこともちゃんと認識していたいのです。

そんな思いを書いたのがこちらです。

振り返ると、今年もお客様からたくさん学びました。
あらためて、お礼申し上げます。

良いお年をお迎えください。

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