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あなたはたぶん、人と関わりたいのだと思う

悲しみはパーで詭弁はチョキ

積み木のようにモノを積み上げるとき、下段の安定性は重要だ。言うまでもない。これはなにかの「暗喩」ではなく、積み木のようにモノを積み上げるときの話。

暗喩、明喩、比喩。これらは人を扇動するときに多用される表現技法のひとつだ。広告やコピー、写真、デザインにも擬態している。自分が無意識のうちに口にしている場合もある。注意したほうがいい。

たとえば、人生に喩える人がいる。下段の安定性を「基礎体力」「好き嫌い」「幼少期のトラウマ」「母親との関係」などにあてはめてくる。あなたの弱みにつけ込んで、あなたを都合よく操作しようとしてくる。あの手この手を使って「それっぽく」誘導する。

これを詭弁という。

人生は積み木ではない。積み上げるモノでもない。何度でも壊していいし、何度でもやり直していい。いつでも選びたいことを自由に選んでいい。選択を尊重し合い、認め合える関係を築いていい。もちろん、関係を広げなくてもいい。自由だ。

あなたを尊重する。


自分らしい。それ以外気にする必要はない

新人らしくハキハキと。
女性らしい服装を。
アスリートらしい言葉遣いだね。

ナニソレ

「らしさ」ってなんだろうね。らしい言葉遣い。らしい振る舞い。らしい生き方……。「らしさ」は誰が決めたのだろう。いや、誰が決めるのだろう。「〇〇するべき」にも似ている。

「らしい服装」は誰にとっての「らしい」なのか。

「らしい服装」でなければ「らしくない服装」とされて否定されるのだろうか? らしくなければ誰かが困るのだろうか?

よくわからないけれど、世間は「らしい服装」を求めるようだ。あなたが「らしい」から離れると都合が悪いようだ。世間や周囲と言動を合わせたほうがいいみたいだ。世間の空気を読む必要があるみたいだ。

ナニソレ。


負のスパイラル

集団からの孤立を避けるため、集団に認められたい。これは生物が持つ防衛本能のひとつだ。やがて4大欲求のひとつ「承認欲求」と呼ばれるようになる。

周囲と言動を合わせられないと不安の悪循環に陥る場合がある。

周囲を理解できず、人との接触でネガティブな体験をする。

「私は人と違うんだ」と認識する。

人を避ける。

孤立する。

自分を歪めて周囲に合わせる。

自分がなくなる。

虚無感に襲われる。

不安が増大する。

周囲を理解できず、人との接触でネガティブな体験をする。

悪循環から抜け出せなくなる。

承認欲求が満たされるわけがない。
自分を信じられるわけがない。

求めても満たされないから、人と関わるのを諦めたり、自分を歪めて周囲に合わせたりして、承認を求めるようになる。自分は何者でもないという虚無感に襲われて苦しくなる。そんな自分は嫌だ。

満たされない穴は、性や自傷、人への依存で埋めようとする。盲目の尊敬は完全な依存。依存は詭弁の格好の餌食。そこでまたネガティブな体験が起きる。人を避ける。不安が増大する。また繰り返しだ。

妄想性パーソナリティ障害

電車で向かいに座る人が私をちらっと見る。道で通り過ぎる人が私を見る。さっきから後ろのクルマがずっとつけてくる。毎週末、向かいの公園のベンチに同じおじさんが座ってる。

ひとりでいると、みんなが私のなにかを言ってる。女性より男の人と話すのが楽。みんな私を求めてくれる。みんな私をかばってくれる。気を使わなくていいし、心地よい。認めてくれる。

彼は私を引き上げてくれる。すべてを受け入れてくれる。一緒にいて私だけを見てほしい。

この人なら。

今日はちょっと忙しいみたい。また明日。また来週。また来月。

見捨てられ不安はもうこりごり。誰にも頼らない。あっちへ行って。待って、ほんとうに行かないで。

「なにかあったら言ってね」
「力になるからね」

ありがたいけど、信じられるわけがない。相談しても適当な相槌が返ってくるだけ。「あなたの話を聞いてあげるいい人」になりたいだけでしょ。あなたが聞きたいだけ。優越感に浸りたいだけ。誰も私を理解してくれないし、しようともしてくれない。

だからひとりでいい。

あなたとともに生きようとする人は、あなたを支えない。支え合おうとする。その人もまた、あなたがいなければ生きていけない。あなたがなにをしても、あなたのいちばん近くにいる。常に行動する。

無口でいられるのは行動があるから。


不安症

以前より視線の恐怖がなくなった。どうやって? かつて10年くらい、いまの感情をノートに書きまくっていた。数えてないがたぶん300冊以上は書いた。積み上げたノートと本で机が歪んだ。常にボールペンとノートを持ち歩いた。思ったもの、見たもの、聞いたもの、夢……。できるだけノートに書き殴った。

ふと、昔のノートを見てみた。そこにいたのは、同じ悩みを持つ人だった。過去の自分は、いまとまったく変わっていなかった。怖い怖いと叫んでいた。自分のようで、他人に思えた。正直、ちょっと冷めた。

そしたら、みんなも同じように悩んでるかもって思った。なんだ、と。で、ちょっとだけ「外に出る」をしてみた。

相手が見てくるのと同じように、相手を見てみた。すれ違うあの人も「なにか」を抱えている気がした。人それぞれ苦しみは違うけれど、似ていると感じた。

白いレースのカーテンが、ふわっと揺れた。

当時、必要な時間だった。

部屋に閉じこもっていた自分は何者でもなかった。いまも風や人が怖い。外に出ると風も人もいる。でも、風と人に触れて、はじめて何者かになれるのだと思う。

見下されているから自己肯定感が低いのではない。周囲とあなたを、あなたが見下しているから自己肯定感が低いのだ。「どうせ」と決めているのはあなただ。

社会に出ている人を否定しなければ、自己を保てなかった。何者でもない自分を否定しなければ、部屋がなくなってしまう。でも、外にいる人も同じだった。

必要だからあなたは選ぶ

あなたの人生は無駄ではなかった。いまのあなたに必要な時間だった。焦らないで。一歩ずつでいい。後ろを走るぼくには見える。ひたむきなあなたの、輝く背中が。

光と影は白と黒って、誰が決めるのだろう

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