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上司の前で〝型〟は崩すな!

今期が終わった。我が部署は私の99%の頑張りと残り3人の1%の努力のおかげで、無事、目標を120%の割合で達成。何もしていないくせに、上司の鼻はピノキオのように高く伸び、大川と田代もまるで自分の手柄かのように無邪気に喜んでいた。

私も安堵に胸を撫でおろした今期の最終日の翌週、全部署が集まる毎年恒例の納会が行われることになった。飲み会嫌いの私ではあるが、都内の某一流ホテルで開かれるこの納会は立食パーティーとはいえ食事もまあまあ美味いし、ワインなどのアルコールも飲み放題。

何より1000人以上の社員が一堂に会するので、会場を抜け出しやすい。数人の知り合いと言葉を交わした後、宴もたけなわとなる前に、こっそり会場を後にするのが私のおきまりのパターンであった。

会場に向かう電車内では、大川と田代が「俺、あそこで食べたローストチキンが今まで食べたなかで最高のごちそうです」「田代君が入社する前にはトリュフも出たことがあるんだよ。あれは美味しかったなぁ」「いいなぁ、トリュフ。ずるいっすよ、先輩~」と貧乏くさい会話を交わしていた。

全品100円の居酒屋でも喜んで完食するこいつらに、会社の金を使って、トリュフやローストチキンを食べさせる意味が本当にあるのか。疑問であったが、次の役員会の議題として提案するわけにもいかないので、黙っていた。

開始時刻の10分前には到着したが、すでに大勢の社員がビールグラスを片手にあいさつを交わしていた。まだ夕方だというのに赤ら顔で上機嫌に笑っている親父たちも多数いる。ごちそうを取りに行きやすいポジションを早々と確保した大川と田代の後を付いていく形で、私もテーブルに着いた。

同じ円卓には、システム部の松野課長、是枝、そして佐々木がいた。「やぁ、久しぶりだな」オバケのQ太郎ソックリの顔で、Qが声をかけてくる。思わず吹き出してしまいそうになるのをこらえながら、私も「あれから、どうだ?」と返事をした。

私の後方では、初めてQを見る大川と田代が、顔を真っ赤にして笑うのをこらえている。のちに、学生時代の友人に隠し撮りしたQの写真をLINEで送ろうとしていた田代にゲンコツを食らわせたが、そのぐらい似ているのである。互いのグラスにビールを注ぎ合い、しばし雑談をする。

すでに顔がゆでだこ状態である松野課長は私がかつてQと同じプロジェクトに所属していたメンバーだと知ると、気をよくしたのか、「おおー、君があの有名なボンド君か。うわさはかねがね聞いているよ。ぜひ会社のために、今後も頑張っていただきたい」と握手を求めてきた。

一体どんなうわさで有名なのか。一瞬、疑問が湧いたが、すぐに悪い想像を振り払い「こちらこそ、よろしくお願いします」差し出された手を握り返した。開始時刻ちょうどに、司会進行役の社員がマイクを握り、会の進行を始めた。まずは社長のあいさつからである。

壇上にあがった社長は、今期も受注・売上・利益ともに目標達成できたことを伝え、このような素晴らしい結果を残せたのは皆さんのおかげだと、社員を労った。そして「今夜は無礼講です! 部署や年齢の壁を越えて、皆さんで楽しみましょう! 乾杯!」と高らかにグラスを掲げた。

あちこちで乾杯の音が響き、明るい雑談の声が広まる。料理が運ばれると同時に、大川と田代は電光石火のスピードで列に並び、小皿に料理をこんもりと盛って、「うめぇー!」「俺、3日分の食料をここで補給します!」と言いながら、口いっぱいに食べ物を詰め込んでいた。

そんな2人を横目に、ビールを飲みながら、軽食をつまんでいると、「では、今期の成績発表を行います。皆さん、会場前方のスクリーンをご覧ください」という司会者の声が聞こえてきた。

我が社の納会は単なる慰労会ではない。それよりも、各部門の成績発表の場という色合いが濃かった。部門ごとに売上のトップ3が発表され、さらにその中から特に部門に貢献したMVPが選ばれる。実はそのMVPに今期、私は選出されたのだった。

数日前、この話を受けた私は、心の中で快哉を叫んだ。憎き上司のもと6年間頑張ってきた甲斐があるというものだ。受賞者はスピーチをするので、事前に考えておくように、とも言われていた。酔っ払いばかりでほとんど誰も聞くことのないスピーチだとは分かっていたが、心が弾んでいた。

「それでは、壇上に上がってください」大きな拍手が湧き起こる。晴れ晴れしい気持ちで、私は壇上に登った。司会者が私の簡単なプロフィールを述べる。都内の一流大学を卒業後、新卒で入社し、社内でもトップクラスの成績を誇る。特に今期は、大手IT会社のN社や大手食品会社のW社の受注に貢献。会社に大きな利益をもたらした。

紆余曲折あった案件だが、こういわれると愛着を感じる。まだすべて終わったわけではないが……。マイクを渡された私は、「このような素晴らしい賞をいただくことができたのは周囲の皆様方のおかげである」、という月並みなあいさつをして、「今後も社のため全力を尽くしたい」という言葉で締めくくるはずだった。

それなのに、私の晴れがましい時間までやつらは邪魔してきた。「おっ元気か!社長の愛人とはよろしくやってるか~い?」会場の後方から馬鹿デカい声で私のスピーチを遮ってきた。声の主は、あの憎き武藤課長。半年も前の私の一言に恨みを覚え、根も葉もないうわさをばらまきまくったあげく、私の晴れの舞台までぶち壊しに来たのである。

おのれ、武藤の野郎……!!!憤怒のあまり、罵声を浴びせかけた私の横で、なにやら不穏な空気が漂ってくる。振り向くと、眉間に深い皺を刻んだ社長が般若のような恐ろしい形相で私のことをにらみつけていた。

なぜこんな晴れの日に、こんな思いをしなくてはいけないのか! 歯噛みしていると、司会者席のほうが騒がしい。見ると、酔っ払って真っ赤な顔をした大川と田代が必死に司会者からマイクを奪おうとしていた。その様子を見ながら、私は、いつもとはまったく違う理由で早々と会場を後にした。

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尾藤克之(コラムニスト、著述家、明治大学サービス創新研究所研究員)
16作品目「頭がいい人の読書術」(すばる舎)を上梓しました。

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