私が2013年を最後にガイナーレ鳥取ゴール裏住人を止めた理由を、その他諸々も含めて今更書いてみる
はじめに
以前、私はガイナーレ鳥取のゴール裏にいた。あの中で、デカい声を出してバモバモやっていた。そのぐらい元気ではあった。
元気と言えば聞こえは良いのだが、要はただの「踊らにゃ損損」を標榜するだけのアホな人だった。
だが、2013年12月8日の例の入替戦第2戦でゴール裏に赴いて応援行為をしたことを最後に区切りをつけ、翌年5月になっての久々の観戦以降、ゴール裏に於ける集団応援行為からは自主的に、且つ完全に手を引いた。
それは間違っても引退などというカッコいいものではない。単純に自分を取り巻く事情を考慮した上で身を退いただけだ。
端緒
そもそも、私がガイナーレ鳥取の前身、SC鳥取の応援に没入し始めたのは2003年のこと。
この辺にチラッと書いた。以後、一時中断した期間はあったものの、足かけ10年近く続けた。長いような短いような。
止めたのは2013年のカマタマーレ讃岐との入替戦。ぶっちゃけて言えば、90分間の応援活動には耐えられないと思ったからだった。
この辺りのゴール裏に於ける集団応援活動から身を退く心情については後述する。
自分的応援スタイルって?
それはさておき、私はゴール裏に於ける集団応援行為に於いて、自分がやりたいことしかやってこなかった。
私は手先が不器用な上に絵心のようなものもないので、選手またはチームを鼓舞するようなダンマクを作って張るようなことはしなかった。ゲーフラを作ったり掲げたりもしなかった。
声、ごくたまにアクションを交えてやっていた。その中でも特に声が自分の武器だと思っていた。
だが、別にそのことで当時のコールリーダーたちから文句を言われたことはないし、自分自身もそんなことを言われる筋合いはないと思っていた。
当時から変にプライドだけは高かったためか「応援スタイルは俺が俺のやりたいようにやる」みたいに思っていたし、私は中央付近でなく、リーダー連中よりは離れたところにいたので、干渉されにくかったのかもしれない。
ともあれ、そんなわけで妙ちきりんなプライドだけはあったが、私は私なりに思いを抱きつつもゴール裏暮らしを全うしつつあった。
ガイナーレ鳥取のゴール裏はそのように考えると、私のような、どこか外れたような人間が存在できていたのだから、わりと締め付けはなかった、あるいはきわめてユルかった方だろう。
もちろん最近の事情は全く知る由もないが、2022年現在に於いてもたぶんそこまでのことはないと思う。
そんな有様だった上に、私は別にチャントやコールなどを作るような立場の人間でもなかったので、リーダー連中が作ったものを自分なりに咀嚼して楽しんでいた。
とは言え、全部が全部そんなことをするわけもない。そういうことをしたものもある、というだけのこと。
応援行為の場を仕切るリーダーのリードには最低限従っていた。その上で自分の自由はあると思っていたから。
これは何度となく引き合いに出している動画だが、少なくともこの動画の試合で、私はこの中にいる。場所は特定しかねるが、ともかくこの中にいる。
アホみたいにデカい声を出して、この「鳥男」をはじめ、各種チャントやコールをやっていた。
まだSC鳥取の頃、主に東山のメインスタンド左端で行われる応援行為に参加していた時は、もっとこぢんまりした集まりだったように思う。
やがて、集団の規模が大きくなったせいだろうと思うが、東山のサイドスタンドに移り始めた。ただ、最初の頃はまだメインスタンドに近い位置に陣取っていたと思う。
しかし、やがて東山に関しては、より「ゴール裏」と呼ぶに相応しい位置に移動した。
……でなければ、こういう写真は撮れない。
一方、バードについては、2004年の時点でゴール裏に既にいたはずなので、ここでの話はとりあえず置いておく。
J2リーグ参入に伴い、JFLを卒業した後、東山も卒業せざるを得なくなった。
但し、2012年に落成したチュウブYAJINスタジアム(ここはチュウブさんの命名権契約期間終了と共に、2023年以降はオールガイナーレYAJINスタジアムと名称変更予定)が、2013年の時点ではJリーグ(少なくともJ2リーグ)の規格に合致しなかったため、公式戦にて使えなかった。
何で止めたのか?
さて、ゴール裏に於ける集団応援活動から身を退く云々の話。
私はというと、2012年4月に初めて脳梗塞を発症してしまい、夏場に退院して、その夏に地元で行われた全社予選を皮切りに、ボチボチ地域リーグ辺りでリハビリをと、SC鳥取ドリームスの応援に出かけてみたものの、そこで得た結論はというと……
90分やりきるのは難しい
……ということだった。ガイナーレ鳥取よりも全然楽なのに、だ。まだ、全社予選の時は人数も少ないし、適当にやれていた。地域リーグも人は少ないが、そんなにガチンコでやるわけでもない、と思っていたのに。
だが、感じたのはある種の疲労感だった。もう従前通りにはできないのかもしれないな、という落胆を多分に含んだ疲労感だったのかもしれない。
それでも、自分なりにやれれば良いと思って、無謀ながらもガイナーレ鳥取の応援にも加わってみた。2012年の最終節だった。
が、先ず鳥取に行くのに疲れた。道路事情は以前よりはずっと改善されていたので、精神的にはそうでもなかったが、肉体的に疲れた。
いやまあ、試合会場への行き来はまだいい。そもそもそんな距離を自走していくのだから。今ではそんなことはしないけど。再発が恐いから。
ともあれ、会場に到着して試合が始まってみると、私は応援のようなことをし始めると手を抜けない性質なので、加減することなく有りっ丈の力を注いでしまおうとする。
病み上がりだしちょっと力をセーブしておこう、手加減しておこう、などということが性格的にできない。
故に、前半が終わっただけで軽くへばってしまった。でもまだ気は張っていたので持ち堪えられはしたのだが、その挙げ句に思った。こんなんで大丈夫かな、と。
そして後半。試合はどんどん佳境に入り、最終的には逆転勝ちするのだが、私は試合後へたり込んでしまい、しばらく立てなかった。
ここら辺にもチラッとだが書いている。
こりゃやべえ、とわりと真剣に思った。たかだか1試合程度でこのような有様では、と言い知れぬ不安感ばかりが増幅していく。
加えてこの頃、私は求職中だった(脳梗塞で倒れたのは、某所での契約職員としての契約期間を終えた直後のことだった)こともあり、おいそれと試合に行けない日々が続いていた。
仕事も探さなきゃいけない、でもこういう(それこそ脳梗塞の罹患歴を抱えたような、誰が見ても厄介な)人間を雇ってくれる企業はあまりない。
正直なところ、この頃は、どうしよう、と焦りに似た気持ちばかりを思っていた。
ともあれ、そんな事情もあって求職中だったことから、おいそれと試合に行けない状況が続いていた。病気が起因と言うよりは、人生に於いて他に優先すべきことがあった、と言った方が正しいのかもしれない。
2013年なんてPSM含めて3試合にしか行っていない。夏場のPSMの奈良クラブ戦など、そもそもそんな試合でもなかったとは言え、応援行為は全くしていない。
リーグ戦で唯一行ったのはこれ。
この試合もへばった。この日は雨も降って寒かったので、余計にへばるのが早かったのかもしれない。帰り道は相当疲れていた記憶が何となく思い浮かぶ。
で、例の2013年12月8日がやってくる。
この試合の中身については、あまり触れたくないので、試合内容については記載しない。
というより、これからしようとしているのは、この忸怩たる思いを抱いた試合についてではない。その時のゴール裏でした集団応援行為やその結果についてだ。
応援に関しては、できる限りのことをした。あくまでもその当時の私にとって、ではあるが。
とにかく私はそうした。先にも書いたように、こういうことを始めると、私は性格的に一切手が抜けない。その時に持っている有りっ丈の力でやろうとする。
どうせ身体がしんどいんだから手ぐらい抜けば良いのに、と思ってはみるものの、不器用だからそれができない。
で、まあ、試合はご存知の通り、敗戦に終わった。その場で流れた多くの言葉を、私は空疎な気持ちで聞いた。
一言も発せられなかった。何というか、あの場にいてしまった空虚感が、私の疲弊した身体とメンタルに容赦なく襲いかかってきた。
まだ、試合を終えて家に帰ってくるまでは良かった。気が張っていたから。家に着いて急いでこれを記載した頃までは気が張っていた。
だが、これを書き上げてアップしてから、一気に疲労が出てきた。緊張感のある暮らしをしていなかった当時の私にとって、この疲労感はかなりのものだった。
数日経って一息ついてから「もうゴール裏での集団応援活動は止めよう」と思った。いや、そう思わざるを得なかった。この決意はその時は明らかにしたわけではないが、自分の中ではもう決めていた。
集団応援行為から身を退いた後
かくして、以下の試合から本格的に観戦を再開したが……
前述の通り、この試合以降、私は試合会場にて行われる一切のゴール裏に於ける集団応援行為から手を引いた。
チームがJ3リーグに降格してガッカリしたからではなく、私自身の体力や気力がゴール裏での応援を完遂するだけのレベルに達していないと思ったからだ。
あと、私の居場所はゴール裏にもうなかった。2012年の最終節でそのことは何となく察していた。
それを本格的に悟ったのは、2013年のザスパクサツ群馬戦でのこと。あの時に、もう私の居場所はゴール裏じゃないんだ、と突きつけられたのだと思った。
結局、その後、例の入替戦を最後にゴール裏に於ける集団応援行為を一切止めた。漠然と思い始めたのは、強いて言えば前述のアビスパ福岡戦の頃だったが、とにかくこの試合を最後にそう決めた。
この辺にも少し書いている。
運の良いことに、先述の通り2014年の秋から久々に再就職し、それを区切りに鳥取行きを再開し、その際の移動手段を車から列車に変えた。病気が再発した時のリスクも考えたら、それは必然でもあった。
ともかくこれにより、肉体的・精神的な負担がかなり減った。
SC鳥取の頃から一時の中断期間はあったものの、続けてきたゴール裏暮らしを止めた直接の理由は病気による自信と能力の喪失だった。
最後に
今、私は脳梗塞の再発による予後の不調などもあり、ゴール裏に戻ることは諦め、バックスタンドやメインスタンドで写真を撮りつつ、呑気に観戦している。その観戦スタイルにもかなり慣れた。
退屈に思うことはあるけど、今は今で結構楽しい。でも時折、ゴール裏でバモバモやっていた頃を懐かしく思うことはある。
たまに興が乗ったりして、あの中に混じって応援してえなあと思うことはあるけれど、あのエリアにいる他の皆さんの御迷惑になってもいけないので、そこはじっと堪えて自重している。
まあ、病気の影響で応援に耐え得る声も出しにくいので、実現はきわめて難しい、というのが現実なのだけども。
なお、こんな状態なので、チュウブYAJINスタジアムのゴール裏で応援行為をしたことはほとんどない。少なくともガイナーレ鳥取の試合では一度もない。あるとすればSC鳥取ドリームスでのみだ。
でも、あそこで90分も座ることなくバモるのは無理だと思う。座れる場所もないのだから尚更だ。
2014年以降、私はゴール裏の人間ではなくなった。
スタジアムは楽しみに行く場所と割り切って、今は別の関わり方を見つけ出して、それなりにそこで起きることを楽しみながら観戦している。
試合の結果は必ずしも望んだものになり得るわけではないが、それもオプションの一つ、ぐらいに思うようにしている。勝負事なんだから、勝つこともあれば、負けることも、分けることもある。
語弊を恐れずに言うならば、そもそも、ガイナーレ鳥取は常勝軍団などではない。
だから、勝負は勝負、でもそれ以外にも何かあるんじゃねえの?と、決して安くはないカネをかけて期待をしに行っているようなものだ。
もうそれでいいじゃないの、と思いながら。
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。