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強小○年

強小前史

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まだ、ガイナーレ鳥取が「強小」という造語を今ほど表立って使っていなかった頃の一コマをご紹介したい。

上の写真で、「GAINARE GREEN SQUARE」と名付けられた建物の壁面に飾られているタペストリー様の掲示物には、躍動する選手の姿と共に、以下の文言が記載されている。

small is happy!
small is strong!

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カバー写真にも起用したこれは、2009年のキックオフイベントからのものであるのだが、龍ケ崎の悲劇が起きた翌年、つまり2009年が「強小元年」である。
このようにガイナーレ鳥取では2009年以降、「強小〇年」と謳われ、それに付随してキャッチフレーズがついている。
2009年も、前年同様に僅かに順位が届かず、Jリーグへの参入はならなかった。

その年の末に当時の監督だったヴィタヤ・ラオハクルさんが、母国のタイで交通事故に遭ってしまい、大怪我を負ってしまった。
翌年2月のチーム始動日にも間に合いそうにない、という情勢も漏れてきたのだが、そこにホワイトナイトよろしく登場したのが松田岳夫さん(現・福島ユナイテッドFC監督)である。

この年のガイナーレ鳥取は非常に強かった。いろいろな見方もあるだろうけれども、成績が上位であることには変わりなかった。
良い選手もたくさんいた。コン・ハメド、井上敦史、美尾敦、小井手翔太、服部年宏、小針清允、加藤秀典、阿部祐太朗、梅田直哉、尾崎瑛一郞、鈴木健児、水本勝成、奥山泰裕、小澤竜己、喜多靖、釜田佳吾、森英次郎、冨山達行、住田貴彦、実信憲明、鶴見聡貴、吉野智行、内間安道、岡野雅行などなど・・・。

自分はこのシーズンの7月後半に親父が亡くなってしまい、しばらく服喪の意味でサッカー観戦を断っていた。

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かれこれ2ヶ月ほどサッカーから遠ざかっていたが、久々に観に行ったのが9月のナイトゲームだったSAGAWA SHIGA FC戦だった。
1万人プロジェクト、と銘打って大々的に集客をかけた試合だったと記憶している。
そうして集まった観客数は9499人。ほんのちょっと足りなかったが、上げ潮のチームのムードとも相俟って、強豪相手のこの試合に1万人近くを集めて堂々たる試合を繰り広げた。
今だから言うけれど、美尾敦が71分に挙げた3点目。あの時に自分は、勢いよく攻め込む美尾を見て、「せっかくだからシュート打っちゃえ」と半ば冗談のつもりで念じていたら、目の前の美尾(当時の自分はゴール裏で応援をしていた)がいきなり(に見えたが、彼自身は狙い澄ましていただろうと思われる)シュートを放って、それが本当にゴールに突き刺さってしまうのだから、もうビックリするやら嬉しいやら。
自分がライブで見たゴールの中では、あのゴールが最も興奮したと断言してもいい。久しぶりに鳥取まで行って、あのゴールだもの。嬉しくないわけがなかった。

かくして、2008年の龍ケ崎の悲劇、2009年の東山の約束を経て、ガイナーレ鳥取はこの2010年に、奇しくも前年最終節同様に聖地・東山にてJFL優勝を飾るに至った。
雨がそぼ降るあいにくの天気だったが、東山に詰めかけた誰もが、そんなことをまるで気にしていなかった。それほど興奮していたし、一様に嬉しく、何より気分が高揚していた。

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このシーズンが、最も幸せだったのかもしれないが、しかし、これは物語全体の終わりなどではない。

クラシック音楽で言えば、いくつかの楽章に分かれているうちの、例えば第1楽章などのように曲全体の序盤が終わった、と捉えるべきものだと思う。
長編小説ならば、第1章などが終わったところ、1クールのドラマだとすると、序盤の3回目ぐらいまでが終わったところ、と考えても妥当かもしれない。

本格的強小時代

こうして、ガイナーレ鳥取は「強小」という言葉を携えて、Jリーグに勇躍乗り込み、そこで様々な苦闘を経験することになる。

最初に加盟したJ2の時は、テールエンド付近をウロウロするだけだった。それでもどうにかJリーグから追い出されることはなかったが・・・。

この間に、例のチュウブYAJINスタジアムができている。スタジアム規模としては小ぶりな方だが、考えてみるに、3部のチームが自前で持つスタジアムとしては、決して不足があるわけではない。
強いて問題点を挙げるなら、屋根と照明がないことだが、それはこの先にお金が集まっていけばどうにでもなりそうな気がする。行政の懐を当てにしなくても、ここは自前のスタジアムなのだから。

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2013年、Jリーグに参入してから迎えた3人目の監督・小村徳男氏を戴いて、シーズンを乗り切ろうとしたものの、途中で小村監督は任を解かれてしまった。

そして迎えた2013年12月8日。とりぎんバードスタジアム。自分はそこにいた。

詳しいことは書かない。さんざん書いたから。あと、悔しく虚しい気分が思い出されるだけだから。
そして、何度となく書いてもいるが、あの試合を最後に、脳梗塞に罹患した影響なども考慮した結果として、自分は応援活動から手を引いた。寂しかったが、今でもあの決断については全く後悔していない。

強小〇年「××」

さて、ところで。

強小〇年に付帯する言葉というものがある。

2009年(強小元年) 付帯するフレーズ無し
2010年(強小弐年) 「闘士
2011年(強小参年) 「飛翔
2012年(強小四年) 「信頼
2013年(強小五年) 「全力前進
2014年(強小六年) 「不撓不屈
2015年(強小七年) 「奮迅
2016年(強小八年) 「闘昇
2017年(強小九年)以後 「10SPIRITS

詳細は以下に掲載中。

ガイナーレ鳥取のここ数年のチームスローガンであると共に、チームが共通の心構えとして掲げる「10SPIRITS」というのは、以下の10項目を指す。
言葉で説明しても良いのだが、とりあえず画像で説明した方が手っ取り早いだろう。

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自信
オープンマインド
全力
フェア
敬意
感謝
向上心
切磋琢磨
創意工夫
挑戦

こういう、訓示系のフレーズを10個並べているが、この方がむしろわかりやすく伝わりやすいと思う。だから、自分としては嫌いではないし、むしろこれはこれで長ったらしく説明するよりはストレートに言及しやすいのでいいと思う。
これら10の言葉を礎にしながら、ガイナーレ鳥取は毎シーズン常に邁進し続けている。
もちろん、2010年のように順風満帆なシーズンだけではない。2013年にはJ3への降格を余儀なくされたし、2016年や2017年は様々な要因もあったが、決して成績的には振るわなかった。
しかし、ガイナーレ鳥取というチーム、ひいては株式会社SC鳥取という会社全体に通底する言葉として、この10個のフレーズは長年生き続け、血肉となっている。

もちろん、チームに浮沈があったように、運営会社もいろいろな浮沈があった。だが、試合前にこの10SPIRITSを紹介するようになってからというもの、苦しむこともある一方、鳥取県全体で盛り上げていこうという機運のようなものが醸成されていったのだろうと思う。
クラブもこれを受けて、様々な試行錯誤をする。その中で辿り着いたのが例のShibafull事業だと思う。

翻って自分の在り方

前にも言ったと思うけど、自分は鳥取県民ではない。これからもそうなる可能性は薄いと言って良い。
それにそもそも、彼らに大した義理もない身分なのだけど、ガイナーレ鳥取について某かの発信を続けている。彼らから書いてくれなどと頼まれているわけではない。
頼まれてやっているのなら、あんなホンキートンク且つ素っ頓狂なものになるわけがない。もっと体裁を整えて行うだろうし、それでお金を取ろうっていうなら、キチンと取材もするし、試合にもたくさん出向くと思う。何よりサッカーという競技についてもっと勉強する。しなければクオリティの高い文章など書けるわけがない。
それに、そもそもプロサッカークラブがこんなド素人に文章を頼むはずもない。勝手連よろしく自分が勝手にやっているだけだ。

2002年の夏に、米子東山にSC鳥取の試合を観に行ったその時から、彼らとの縁は始まっている。そして、どういうわけだかそれが切れることなくずっと続いている。
何度か、入院で長らく試合会場に足を向けないこともあった。入院のせいで更新の滞ったサイトを止めた。
ただ、細々とブログはタイトルと設置場所を変えつつ、続けながら今に至っている。
正直、読者はあまりいないだろうけれど、シーズン中のルーティンワークとして、何だかんだと思いながらもそれなりにやらせていただいているし、今年はnoteにまで手を広げてウダウダと分けのわからない文章を書いていたりする。ただの物好きだ。広く読まれることをまるで期待していない。

クラブからはおかげさまでお叱りを受けたことはない(と思う)が、正直どう思われているのか不安ではある。まあ、あまり良くは思われていないだろう。仕方がない。
自分の文章力やサッカーを見て解き明かす力が決定的に不足していて、それ故に彼らの魅力や課題を伝えられていないのだろうから、それは自分の責に帰する話だ。チームやクラブが悪い話では全く無い。

そもそも、自分の文章のスタンスからして「馬鹿の独り言」を公言しているのだから、専門性だとかスタイリッシュの埒外にいることは自分が一番よくわかっている。
「あの野郎、クッソダセえ文章ばっか何本も書きやがって」と言われても、「確かにそうですね。仰る通りです」としか申し上げられないのが実情なのだ。
実際、サッカーについては下記のような考え方で書いてるのだから、諦めてもらうしかない。こんな馬鹿の文章を読んだあなたの運が悪かったのだ。

こういう感じで開き直って(?)いられるのは、やはり2012年4月と2016年8月に罹患した脳梗塞と決して無縁ではなかろう。別に病気をエクスキューズにするつもりはないし、そもそもそんなことはできない。
単純に自分にサッカー、ひいてはガイナーレ鳥取の魅力を伝える能力が備わっていないだけなのだ。
ただ、あの病気をしたことで、却って飾り立てなくても良いと感じられるようにはなった。以前はどこかこうキツいことを書いとけば御意見したつもりになれていた面があるのだが、それでは自分のカタルシスにはなっても、それ以外にはならないことに気づいた。

心掛けていることとしては、このツイートでも言及してるけれど、自分自身が楽しめなくなったと感じた時は、ブログやnoteなどのような表現媒体を潔く畳もうってこと。
自分自身が楽しむってことは、それぐらい重要なことだと思っているから。自分が楽しめなくなった時に放り出す文章は、恐らく無味乾燥でつまんないものにしかならないだろうなって予想がつく。
そんな文章を放り出すのが怖い(いや、今だって決して面白い文章を書いて公表できてるとはこれっぽっちも思ってない)から、そういう風に言っておけばいいのかな、っていう。そういう安易な思いつきなのね。

まあ、もうしばらく(自分の希望としては、死にそうになってよほどからだが自由に動かせなくなるその時まで)は書くだろうと思う。
以前ここでも言った二、三のことが実現するか否かはさておき、自分は結局のところ、何かを書くしか能がないから、それをダラダラと続けていくしかない。
まだしばらくは、何やかやで楽しめているっぽいので、書き続けていられそうだ。まだ、楽しめないと自覚できてはいない。
幸い、ガイナーレやそれ以外のサッカーなどについては、一度も義務感を覚えたことはない。好きなものを好きなように書いてるだけ。たぶんこれから先も、こんなノリで何かを書き続けていくのだろう。自分にはそれしかできないのだから。

チーム、ないしはクラブ側からしたら、「島根県在住の端迷惑且つ面倒くさいおっさんが、腐れ縁だけを理由にすり寄ってきて、ああだこうだとクダ巻いて何か言ってる」ぐらいの認識なのだろうし、それで自分も別にいいと思う。それぐらいの方がむしろ気楽だ。

ただ、どう言うのだろう・・・。ガイナーレ鳥取がとりあえず、そしてとにかく好きなのだ。それだけのことを原動力にしながら、こういう文章を毎度毎度書いている。

強小と10SPIRITSのこれから

話が大いに脱線したので、戻す。強小にしろ10SPIRITSにしろ、これからどうなっていくのか。

何年も前からチャントとしては「強小」の言葉が、これに代表されるように盛り込まれている。

実際、使えるフレーズだろうと思うし、わかりやすくもある。

一時はこのようにユニフォームにすら織り込まれていたほどだ。

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チーム公式サイトのスローガンのページによれば・・・

強小」とは「強さと小ささの魅力の融合」とある。その2つの要素が何処でどうやってリンクするのか。
鳥取県はご存知のように日本に於ける人口最少県ということになっている。

このようにデータも示しているのだが、その「日本一人口の少ない県」だからこそできること、というのがあるはずだし、人口が少ないことがウィークポイントにもなるだろうが、逆にストロングポイントを生み出しはしないだろうか、と考えられよう。

そこで、ガイナーレ鳥取は、いわゆる「山椒は小粒でもぴりりと辛い」を地でいくスローガンとして「強小」を打ち出したのだと認識している。マインドとしては大変によくわかる気がする。

ただ、一方でかつては「小さい」に拘らんとするような側面が見え隠れしているようにも思えた。
「小さい」という要素と「強い」という要素を両立させるのは、確かに難しいことだと思う。

一般的には「強大」という言葉があるように、何事に於いても「強く大きい」のが推奨されるというような部分があると思う。
「大きい」という用語だけとっても、「大は小を兼ねる」という慣用句に代表されるように、それだけで利得と受け取られる風潮がある。
しかし、「強小」という言葉を打ち出して活動しているチームである以上、スモールパッケージでなければならない、とでも言うべき拘りが、たぶんこのクラブの何処かに通底しているのではないだろうか、と思えるフシがあった。その一方で「強大」にもほのかに憧れている、みたいな。

これはあくまでも素人考えの暴論にすぎないが、2016年に柱谷哲二氏を監督に迎えたのは、そうした「強大」への憧れが、まだクラブには存在していたのかもしれない、と感じられた。

しかし、Jリーグ参入前後の松田岳夫氏・吉澤英生氏や、J3降格直前期の前田浩二氏を除けば、概ね若い指導者を迎えている。
2013年8月までの小村徳男氏は言うに及ばず、2014~2015年の松波正信氏、2017~2018年6月の森岡隆三氏、2018年6月~12月の須藤大輔氏、そして本2019年度の髙木理己氏。
いずれも若いか、トップチームを率いた経験が薄い指導者が、周りのスタッフ(フロントのみならずコーチングスタッフも含まれる)と共同作業でチームを作っていく、という体制を採ってきている。
柱谷氏の時に一度はブレたものの、それからあとに従来型の路線に戻ったということは、「小さくとも強くあろう」というマインドに舵を切ることで腹を括ろう、となったためなのだろう。

また、そのマインドの中に於いて、チームとして、若い、またはトップチームの指導経験が少なめの指導者を迎えることによって、指導者と共に成長していき、大きくなるといろいろとメリットが生まれやすい、という感じかもしれない。違っているかもしれないが、自分はそういう方が腑に落ちやすいと思っているだけなので、その辺は皆さんでそれぞれの解釈があって良いと思う。

ともあれ、この「強小」を忠実に履行するには、その根拠が必要だと考えた結果、それらを表す言葉として「10SPIRITS」が誕生したと考えている。
先にも挙げたように、それらの1つ1つは、いずれも普遍的な用語ばかりだが、それ故に響きやすい。これからもガイナーレ鳥取というチームそのものに通底する宣言書のようなものとして、あの「10SPIRITS」は生き残り続けるだろうし、それらを根拠にした形で「強小」という言葉も存在を続けるのだろう。

それらに彩られて、小さいながらも強くあり続けようとひたむきに努力するガイナーレ鳥取を、自分としてはできる限り見続けていきたいし、彼らについて、何かほんの少しでも良いから発信できたら、と思っている。
だから、もうしばらくは、この変なおっさんの戯言におつきあい願えたら、そしてそこからガイナーレ鳥取を応援することは楽しいことだと感じていただけたら幸いだと思っている。
自分の文章力や表現力で何処までそれらの感情を導き出せるかは自分にもわからないけれど、とりあえず、今のところはもう少しやってみようかな、とは思っている。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。