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ガイナーレ鳥取アンソロジーVolume4(J3松波・柱谷時代)

まだまだ続くよ。とうとうJ3期に突入だ。

2014年

前年12月上旬、カマタマーレ讃岐との入れ替え戦で1敗1分の成績しか挙げられず、J2を去らねばならなくなったガイナーレ鳥取。
だけど、よくよく考えてみるに、それも致し方のない部分があって、特に運営上の不備は誹られても仕方がなかった。

例えば、当時騒がれたいわゆる「白バス問題」など。

今でこそ正規の届け出をした上で、そうした事業を行える事業者が、有償のシャトルバスとして運賃を取って運行しており、自分もしょっちゅう世話になっているが、この2013年春先のガンバ大阪戦の時には、恐らくそうした認識のないまま、そうした事業のできない事業者により、運賃に該当するものを徴収した上で運行してしまったのだろう。
迂闊と言えば迂闊ではあったが、Jリーグに参入し、且つそこに拘泥することに傾注しすぎて、法的な事項の遵守などを疎かにしていたんじゃないか。

誰が悪いというより、クラブ全体の「たが」が緩んでいたのかもしれない。それがこうした白バス問題や、職員の酒気帯び運転事案などに表れてしまったのかもしれない。

新設のJ3というカテゴリーに降格せざるを得なくなってしまったが、これをチームとしても運営会社としても出直しの好機と捉えれば、きっと何か新機軸が生まれてくるかもしれない。

この時の監督は、元ガンバ大阪選手で、一時期同チームの監督にも就任していたことがある松波正信。コーチに2020年現在のガイナーレ鳥取監督でもある髙木理己。GKコーチは武田治郎で、アシスタントコーチに2020年現在の強化部長である吉野智行。

そういう体制が作られた。

選手は若くなった。元々若い選手たちのリーグというコンセプトがJ3リーグ自体にはあったと思うが、それにしても若くなった。

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その若いチームの練習試合を観ているが、寒い時期にしては溌剌とした印象があり、新生ガイナーレの躍動感を見て取れた。

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そんな若いチームだが、なかなか簡単にはいかなかった。1シーズンでJ2への復帰を目指したものの、かなわず最終的には4位に終わる。

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個々の選手で言うと、2020年現在は湘南ベルマーレにいるカマキリで有名になったこの人(あまりそのネタで引っ張ると彼が可哀想だから止めて差し上げろ。キチンと馬渡和彰と呼びなさい)なんて、自分は好きだったんだけどね。いや、この時こそJ3くんだりでプレーしてたけど、本来はJ1でも十分通じる実力者だし。それが証拠にサンフレッチェ広島や川崎フロンターレにも籍を置いていたし、今は湘南ベルマーレにいる。
この時期にガイナーレにいた選手の中には、将来的にブレイクした選手がいた。2020年現在は水戸ホーリーホックに在籍する中山仁斗とかもそうだったしね。

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中山は2014年よりむしろ翌2015年にブレイクするんだけど、可能性はこの頃から感じられたしね。

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そういえば、シーズン途中にこの人・フェルナンジーニョが颯爽と登場したのには驚いた。この時から現在に至るまで、1シーズンのブランクこそあるものの、ガイナーレ鳥取の大黒柱であり続けている。

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今は別々の道を歩んでいるけど、このお二人、Chelipもこの頃からガイナーレ鳥取の試合にちょくちょく登場するようになった。
果ては、ゴール裏で応援までしたりとかね。ホント、いい娘さんたちだ。また会場に遊びに来てくれないかな。

あと、スタジアムナビゲーターが、先代の平野智一から、現在もやっている高地真吾に変わったのもこの年から。高地にはDJ45(でぃーじぇーしんご)という異名があり、かつてのスタジアムナビゲーターだった三村ロンドと同じ事務所にいるという。

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そういや、11月頭のツエーゲン金沢戦(この試合に敗れたため、3位以下が確定してしまい、J2復帰を逃した)だっけ。例の赤い人(個人的にはその人物の名前は出したくない)が来ていたらしい。らしいというのはあくまでも伝聞でしか知らないからそう言っているだけ。その人物であっても誰であっても、基本的には是々非々で。

ともかく、J2復帰を逃し、長のJ3暮らしに突入することになった。Jリーグ参入をぶち上げながら、成績が伴わずに苦労していた時期が思い出されるが、そうした時期も結果としては糧になっているのだから、それはそれで良いんじゃないかと思う。

自分も、この年の秋ぐらいから今の仕事場に就かせていただいた。おっかなびっくりのスタートも、現在ではどうにかこなせているらしい。
途中、脳梗塞が再発したり、家の中で階段から落っこちて1週間程度入院もしたが、まあ、それはそれ。おかげさまでどうにか生きている。

2015年

松波体制2シーズン目。そして結論から言ってしまうと、この年もJ2への昇格はならなかった。但し、成績の問題とは別の観点からダメだった。

ライセンスが取得できなかったのだ。

事情は、ここで社長が述べている通りだ。経営的な問題があまりにもままならないのだ。これではJ2になど復帰できるはずもない。
そんな中、モチベーションを保つのは容易ではなかっただろうけど、でも選手たちはそんな逆境の中でも、モチベーションを見出して、彼らにできることをしていた。

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応援する側も、戸惑いながらも、この事態に直面して、次のシーズン以降につながるものを模索しつつ、応援活動をしていたんじゃないかな。

会社も、現場の選手・スタッフたちも、応援する側も、みんなが手探り状態で、懸命にもがきつつ、一つでも手がかりをつかもうとしていた時期なのだと思う。

そんな中で2シーズン目の指揮を執っていた松波を悪く言う気にはどうしてもなれない。
彼は彼にできるベストを尽くしていたと思うし、選手たちもそんな松波の期待に十分に応えようとしていただろう。

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やはりアイドルを載せないと画面が寂しくてよろしくないな。ていうか、どうしてこの時Chelipの片方しか撮ってないんだろ?

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ここ最近は、このガイナバスターというバズーカ砲が不調らしく、こういう姿はあまり目にできないが、ハーフタイム中にはガイナマンがこんな感じでバズーカ砲を抱えて客席目がけてボールのようなものを撃ち込む姿がしょっちゅう見られた。

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みんなで必死に食らいつき、踏ん張っていた。近い将来、再びJ2に舞い戻ることがあることを夢見て。それは例えば、とりぎんバードスタジアムでもだったし、チュウブYAJINスタジアムに於いても同じだった。ホームのどちらでもそうだし、アウェイでも、みんなが手探りながらも応援を懸命にやっていた。

自分はもうゴール裏を離れた身だが、ゴール裏の熱気は好きだ。彼らはスタジアムの熱狂を演出する舞台装置のようなもの。みんなで必死こいて応援して、また次への活力を貯めていく。その繰り返しだ。

それが比較的やりやすいシーズンと、やりにくいシーズンがあるのだとすると、2014~2015の2シーズンは、やりやすい方に属していたんじゃないだろうか。
監督の松波が誠実だったし、経営の問題で上に上がれないことがわかっていても、プラスになれる何かを求めた姿勢は評価すべきだと思う。
今だから言うが、この2シーズン、松波が監督で良かった。彼が監督でなければ、この苦境は乗り切れなかっただろう。

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なかなか簡単にフルハウスにはならないし、経営的にも観客動員的にも苦境を強いられてはいるが、それでもガイナーレの名の下に、前向きな姿勢を失わないことは大切だと思った。

そう言えば、この頃からバックステージプロジェクトというイベントの企画運営会社と提携するようになった。イベントを「仕掛ける」という側面からの強化をしたかったのだろう。

ここの社長氏も現在は株式会社SC鳥取の役員であるわけだが、こうしたことにより、イベントのレンジの広がりに期待が集まった。

例えば、10月のブラウブリッツ秋田戦では、こんなことがあった。

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肉フェスというフェスティバルを引っ張ってきて、これと連携する形で試合をやろうとした。ゲストに土屋アンナを呼んできた。土屋アンナ自体はまったく印象に残っていないのだが(自分の座ってる位置からは確認できなかったので、印象に残りようがない)、盛り上がったんじゃないかな。

これで試合にも勝ってると、一層盛り上がったんだけど・・・

負けたよ。

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安藤由翔とかよくファイトしてたのにね。

結局、このシーズンはJ2への昇格はそもそもライセンスが下りなかったのでできるはずもなく、松波は惜しまれつつも監督を降りざるを得なかった。

この後の監督次第で、チームは良い方に変わるだろう、と思っていたのだけど、やってきたのは正直、予想だにしない人だった。

2016年

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この一面広告の右側の人が来てしまった。柱谷哲二その人である。俗に闘将の異名を取る人物だ・・・と言えば聞こえは良いのだが、少しイヤな予感がしていた。
闘将の異名を取ったのは、あくまでも現役時代の話で、キャリアのわりにこれという指導実績があまりないように思えた。そこが最大の懸念点でもあった。

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さて、今はローソン・ポプラになっているが、当時はチュウブYAJINスタジアムの近所にこのようなポプラの店舗が存在した。いわゆるガイナーレポプラというヤツだ。

この2016年は、自分が脳梗塞の再発でぶっ倒れたシーズンなので、実はあまり写真が残ってない。例えば、このシーズンの外国籍選手の1人であるバルチジュニオールなんて、写真すらない。

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宮市剛はこのシーズン個人的にとても期待する選手だったが、その彼がこういう姿を見せた試合もある。公式戦ではなくあくまでもPSMでのことだったが。

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ところで、監督は闘将だが、キャッチフレーズは「闘昇」であった。しかしながら、これが実に「昇れない」シーズンになった。

これ見てればわかるでしょ。どうしてこうなったのかをこちらが訊きたいぐらいだ。
ただ、それ以上にガッカリしたのは、闘将さん、あまりにもサポーター受けが悪かった。理由は知らないが、試合後などにサポーターの前に挨拶に出てこないとか、そういう理由だったような気がする。

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そうだ。このシーズン、何故か前田俊介がいた。そう。あの「前俊を諦めない」でよく知られる前田俊介だ。元サンフレッチェ広島だったり元コンサドーレ札幌だったりするが、このシーズンは何故か鳥取にいた。そして、諦められていなかった。

このシーズン、ろくに試合を観に行けてない。でも、そんな中で、SC鳥取ドリームスの試合にはやたら行った。彼らが中国リーグにいたから。前回在籍時には、ちょうど脳梗塞の初回にぶち当たり、そしてこの年に二度目にぶち当たっている。
ドリームスが中国リーグに昇格すると、自分が脳梗塞になってしまうものらしい。ドリームスは結局、このシーズン、中国リーグで一つも勝てないままにダントツの最下位で鳥取県リーグに降格した。仕方がないよ。中国リーグはあまりにもドリームスには敷居が高すぎたものね。

いやまあ、それは冗談だが、この年の8月、会社の夏季休暇が終わりそうな頃に、自分はちょっとヤバい感じがしていた。

この辺にまとめといたけど、まあ、この度は本当にキツかった。入院そのものは初回の時の方がキツかったけど、どういうんだろ。症状の進み具合がひどかったから、余計にキツく思えたのかな。

とにかく、ガイナーレどころじゃなかった。11月頃に最終的な退院をしてるけど、結局、2016年いっぱい会社を休んでしまった。怖いんだよな。喋りがメチャクチャ辿々しくなったし、何しろ身体の動きとか、前よりひどくなってるし、力も入らない。なんとか日常生活が送れるぐらいには回復したけどさ、この時は障害の度合いとか、変わらなかったから、結局文書上の症状は何も変化しなかった。障害の等級とかも変わらずじまい。

この先、自分は大丈夫なのかなって思った。まあ幸い、何とか今は山陰だったらあちこち行ける程度には回復したけど。でも、あれだね。病気なんかするもんじゃないね。脳梗塞はもうダメ。したくない。そのことをまざまざと思い知ったシーズンとなった。

えっ?闘将?辞めたでしょ。その後、ヴァンラーレ八戸では一応の成功をしたらしいけど、そこも辞めてしまったようだよ。何だったんだかね。よくわからないお人よ、柱谷哲二って人は。

まあ、2017年からはボチボチ写真も増えてきたし、試合にもナイトゲーム以外は適宜足を運んでるんでね。列車旅もだいぶ慣れてきたよ。そんなシーズンとなったけど、それはまあ、次回に回そう。

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