見出し画像

「産まないと決めた日」プロローグ 第1章 

こちらは創作大賞2024に応募した作品であり、フィクションになります。
物語はプロローグ、第1章から始まり、第7章、エピローグまで続きます。noteでは7話にわけてアップしています。ぜひ最後までお楽しみください。

あらすじ
「男性に決定権があり、女性は家事や育児・介護を黙ってやればいい」という昔ながらの価値観が残る、過疎化が進んだ地方に生まれたあおい。小さな頃から「女の子なんだから」「女は勉強なんて出来なくていい」と言われ育ってきた。
このような価値観に嫌気がして、一度は家を飛び出したあおいだが、結局は地元へ戻ることに。ただ父が勝手に結婚話を勧めていることを知り、両親に黙って東京に出ることにする。
東京で暮らし始めたあおいは「女の幸せを勝手に決められないことの生きやすさ」を感じていた。そんなあおいが7年ぶりに母と再開し卵子凍結を勧められる。あおいは卵子凍結をするのか?悩みながら出した結論とは?

プロローグ 

≪夏ははじまりでもあり、終わりでもあった。人生を変える転機はいつも暑い夏の日だった≫

卵子凍結は本当に「希望」なんだろうか? 「執着」「圧力」ふとそんな言葉が頭によぎる

今年も暑い夏がやってきた。

年々温暖化は加速し、最高気温40℃と聞いても誰も驚きもしない。東京をはじめ、熱帯夜は当たり前、夜も暑い、それが都会の日常だ。そんな生活を20年近く続けてきた。もう慣れたものだった。

ただ、今いるところは涼しい。とはいえ、こちらも20年前よりはかなり暑くなっているらしいが… 

「女の幸せは、結婚して家庭に入って子どもを産み育てることだ!!」
22歳の時、父のこの一言がキッカケで、私はこの町を飛び出した。戻らない覚悟とともに。

そう私は、19年ぶりに彼とともに地元に帰ってきたのだ。もう二度と帰ることはないと思っていた場所に今、私は立っている。

1年前の夏、私は一つの決断をした。そのことを母に告げるために戻ってきた。

30歳の時、久しぶりに再会した母に促されるままおこなった卵子凍結。それから10年間、私はとりあえず凍結卵子の保管を更新し続けていた。いつかパートナーが出来て、使う日のために‥‥‥

ただその日は来ることはなかった。イヤ、パートナーはそばにいる。でも凍結した卵子を使うという選択はやってこなかった。そしてようやく、保管していた卵子を破棄することを決めたのが昨年の夏だった。

これを母につげるかどうか悩み続けて1年が過ぎた。

「女の幸せは子どもを産み育てること‥‥‥か‥‥‥」
私は小さく呟いた

 

第一章 違和感に気が付くまで


封建的な家庭に生まれた一人の少女

「あおいが男だったらよかったのかもな」
あおいが中学校に入学する時に祖父がボソッと呟いた言葉だった。

あおいは佐伯家3人兄弟の末っ子として生まれた。父と母、13歳離れた長兄と6歳離れた次兄、そして祖父母という3世代同居家族だ。

東京や大阪などの都市部では、3世代同居は珍しいかもしれないが、1990年代のこの地域では極々当たり前の家族構成である。そしてあおいが生まれた地域は、山間部の昔ながらの価値観が残るところでもあった。

佐伯家はいわゆる、地元では名士と呼ばれる家であり、明治の頃から手広く事業も行ってきたこともあり、経済的には恵まれ、何ひとつ不自由なく暮らしていた。

でも、あおいはそんな家庭に息苦しさをずっと感じてきた。

祖父と父の言う事が絶対であり、次に優先されるのは長男である兄だった。祖母と母とあおいは「女」という理由だけで、決定権は無いに等しかった。ただただ、祖父と父が決めたことに従うしかなかった。ただ幼いころは、それが普通だと思っていた。

そして、どちらにも属さない次兄にとっても、あまり居心地の良くない家だったようだ。

父も母も祖父も祖母も、長男である兄に全ての期待と責任を背負わせ、大切にそして厳しく育ててきた。

ことあるごとに「お前は佐伯家の長男なのだから…」と言われ続けてきた兄もまた、息苦しさを感じていたのかもしれないと、今になって思う事がある。

長兄はまじめで努力家だった。ただ彼は、家族の大きすぎる期待を完全には満たすことは出来なかった。頭の回転や思考力などは、明らかに次兄やあおいの方が上だった。

冒頭のセリフは、そんな兄弟の様子を長年見ていた祖父が思わず発してしまった言葉だった。晩年は性格も丸くなった祖父。実は希望していた高校への進学を後押ししてくれたのは意外にも祖父だった。もし祖父が元気だったら、私の人生も変わっていたかもしれない。

墓のある、小高い山の上で町を見下ろしながら、あおいは昔の記憶をたどっていた。

活発だった子ども時代  

「女の子が恥ずかしい。やめなさい」

あおいはことある事に、母からそう注意されて育った。別に世間のルールを無視して騒いだり、何か恥ずかしいと思われることをしていたわけではない。

でも、母は事あるごとに「女の子が恥ずかしい」と言っていた。

学級委員長になった時も、児童会の役員になった時も、運動会で選手宣誓をした時も、母が「すごいね 頑張ったね」とほめてくれることはなかった。逆に怒られる方が多かった。

「男の子を差し置いて、女の子が前に出ないの 恥ずかしい」

そう言われ続けてきた。そして祖父と父に謝るまでがセットだった。特にそういう時の父はいつも以上に不機嫌だった。

周りから、「お嬢さん優秀ですね」と言われると、父は「女なのにお恥ずかしい限りで」と返していた。そして「女の子に学はいりません」と決まって続けるのであった。

あおいは、そんな父や母の言葉が不思議でならなかった。
「なぜ女子は前に出たらダメなの? なぜ女子が意見を言ってはダメなの?」
何度も母にそう尋ねた。

でも、母から明確な理由を聞くことは出来なかった。
「女の子だからよ」
といういつもの言葉で誤魔化されるだけだった。

あおいが小学校に入学したのは2001年。男女雇用機会均等法が成立して2年。まさに変換の時代ではあったが、世の中では男女平等が建前上は当たり前になり始めていた。

しかし、あおいが育った地方ではまだまだ男尊女卑の考えが根深く残っていた。何か目立って女性が虐げられるわけではない。でも、「女性は男性の3歩後ろを歩く…女性は嫁いだ家につくす…」口には出さないものの、そんな価値観がまだまだ根強く残っていたのだ。

しかし、義務教育である小学校や中学校での男女差別はない。「男子が先」が当たり前だった名簿もこの頃から徐々に男女混合名簿に変わりつつあった。

学級委員も児童会も立候補したものが選挙で選ばれていた。クラスでの話し合いも、児童会での話し合いも、男女関係なく意見を言う事が当たり前だった。

なんなら女子の方が積極的に発言していたし、運動会や音楽祭なども女子が中心になって進めていた。

そんな中でもあおいは、常にみんなをまとめ、場を仕切る中心的な役割を担っていた。だからこそ、学級委員も児童会の役員も運動会の選手宣誓も、クラスのみんなから勧められるままに引き受けていた。

しかし、中にはそんなあおいの存在をよく思わない大人もいた。
「女が目立って…あれは男がする役目だろう」
「おてんば娘では嫁の貰い手がないな」

そんな陰口はあおいにも聞こえてきたが、気にも留めていなかった。

ただ、そんなあおいも小学校高学年になるにつれて、少しずつ、田舎特有の息苦しさを感じ始めていた。

「いつかこんな田舎からは出ていくんだ」
そんな小さな炎がともし火出したのもこの頃からだった。

憧れのお祭り でも主役は男子

それは、地元のお祭りでの出来事だった。

「兄たちのように法被をきて神輿をかつぎたい」
あおいにとって、大きなお神輿をかついで町を練り歩くことは、小さな頃からの夢だだった。

物心ついた時から、兄2人が法被をきて父に連れられて神輿をかつぎにいくのが羨ましくて仕方なかった。
「私も一緒に行く!!」と言って、母や祖母を困らせていたらしい。

そんな憧れの神輿。
当然、小学生になったら法被をきて兄や父たちと一緒に担ぐことが出来る!そう思っていたのだ。

しかし、その時は一向にやってこなかった。
そして3年生の時、あおいはあることに気が付いてしまったのだ。

そういえば、女の人は誰もお神輿を担いでいない‥‥‥

あおいは恐る恐る母に聞いてみた
「お神輿って女の子は参加出来ないの?」

「神輿は男の人のお祭り 女性は神輿にすら触れられないのよ」
母はそう早口で答え、こう付け加えた。
「女の子がお神輿を担ぎたいなんて外では言わないで。誰かに聞かれたらどうするの?恥ずかしい」と‥‥‥

お神輿が保管されている神社は山の麓にある。
正月になると、祖父と父と兄2人は必ずこの神社に朝からお詣りに行っていた。
正確に言うと、次兄は嫌々連れていかれていたのだが。

しかしあおいと祖母と母は必ず留守番だった。一緒に行きたいといっても「女の子がくる場所ではない」といつも言われていたことを思い出す。

後々知ったことだが、お神輿が祭っている神社は、いわゆる女人禁制の神社だった。
女性は神輿に触る事以前に、この神社の鳥居をくぐることすら許されていなかった。
もう少し昔だと、女性は山に立ち入ることすら禁止されていたらしい。

山そのものが御神体であり、神聖な場で男性のみが立ち入ることが許されていたのだ。
今のご時世、このような事を言えば大炎上するが、月経がある女性は「穢れた」存在として扱われていた。
それゆえ、地方では神事ごとに女性が参加出来ないのは決して珍しいことではなかった。ただそんな背景を子どものあおいが知る由もなかった。

小学校高学年になると、お祭りの前の日は男子たちは午後から早退して、お祭りの準備に向かった。そんな男子達の帰っていく姿をみながら、あおいは、お祭りに参加し、神輿を担げる男子たちがただただ羨ましくてしかたなかった。

「私も男の子に産まれたかった」そんなことをついつい口にしてしまうほどだった。そしてそんなあおいを母は少し寂し気に見つめていたのだった。

憧れは嫌な記憶へ

6年生になる春休み、祭りの手伝いに5年生と6年生の女子が集められた。祭りにいけると喜んだのも束の間、女子の仕事は祭り後に集会所で行われる宴会の手伝いだった。

今まで、この宴会の準備や片付けは地域の成人した女性が担っていた。ただ人口減少や高齢化ということもあって、お祭りの後の宴会の準備や片付けを担う女性達が徐々に減っていたのだ。

そのうえ、時代は2000年代。このような男性は座って飲み食い、女性は飲まず食わずで働くという風習に疑問を感じ、参加しない家庭も増えていった。

後から聞いた話だが、この祭りの宴会が原因で「離婚する・しない」という問題にまで発展した家もあったようだ。最終的には、同居を解消して、別の地に住むということでなんとか落ち着いたらしいが…

それもこの話、1件や2件ではなかったらしい。それぐらい他所からきた人にとっては異質な風習だった。

しかし、この異質さにすっかり染まり切った男性たちがおかしさに気が付くことはなく
「都会のよそ者を嫁にもらうからこんなことになる!!このままでは地域の祭りが廃れてしまう」
と問題の論点を完全にすり替えていたのだから話にならない。

ただ当時はその考えに意見するものはほとんどいなかった。
女性も子どもの頃から祭りに関われば、宴会の準備や片付けが当たり前になるだろうと考え、数年前から、中学生以上の女子に宴会の準備や片付けの参加を促したことが始まりらしい。

「子どもの頃から、行事に参加させればそれが当たり前になり、より地元が好きになるだろう」
なんとも安直な考えだが、性的役割になんら疑問を抱いていない男性たちは、ごく当たり前のように、子ども達に宴会の席での手伝いをもとめたのだ。

ただ年頃の娘を持つ親は、下世話な話やセクハラ発言が飛び出す宴会の席に子どもを参加させたくないのが本音だった。このような慣習が続くことに苦言を呈する人さえも出はじめていた。
そんなこともあり、当の中高生はというと、部活や受験勉強が忙しいことを口実に参加する人はほとんどいなかった。

あおいが参加させられた、祭り後の宴会の手伝いは最悪なものだった。参加したのは5.6年生10人のうち、たった4人だけ。
大人に混ざって、料理を運び、洗い物をし、ビールと言われたらビールを持っていく。休憩することはもちろん、ちょっと座ることも、喉が渇いたとお茶を飲むことすら許されなかった。

途中で疲れたと少し休憩していた5年生2人が、年配の男性に怒鳴られて泣きながら宴会場を飛び出して帰ってしまった。ただそんな男性を咎める大人は誰もいなかったのだ。

流石に小学生がお酌をさせられることはなかったが、母親たちは当たり前のようにお酌をして愛想笑いを振りまきながら動き回っていた。やっていることはコンパニオンとなんらかわらない。
お酒が入ってくると、子ども達に酌をもとめる男性も出てきたが、流石に未成年、そこは大人たちがとめに入った。酌を求めた男性たちは不服そうな表情を浮かべていたが、流石にあきらめたようだった。

ただ数年前までは、当たり前のように未成年の女子がお酌をさせられていたらしい。中高生が祭りの手伝いを拒否し、親が祭りに行かせたがらない理由があおいにもなんとなく理解できた。

セクハラ発言、女性の容貌や態度をバカにし、昔から続く家長制度を褒めたたえる、耳をふさぎたくなるような会話があちこちから聞こえてきた。
中には「うちの息子の嫁になれ」と酔っぱらいながら絡んでくる男性までいる始末。

あおいは1分でもはやくこの場から立ち去りたくて仕方なかった。

そんな祭りの宴会からようやく解放されたのは21時過ぎだった。宴会はまだまだ続いていたが、一足先に子どもだけは帰されることになった。
お昼の12時から飲まず食わず。
「ようやく何か口にできる。」
あおいはそう思い、一目散にに自動販売機に向かい、炭酸飲料を買った。

炭酸飲料の甘さが体にしみわたると同時に、目から涙が溢れて止まらなかった。小さな頃から憧れていたお祭りへの思いが、炭酸のようにパチパチとはじけては消えていった。

帰宅後、あおいは誰とも会話をすることもなく、一目散にお風呂場に駆け込み、煙草や酒の臭いがしみついた体を洗い流した。
祖母が何か言っているが、その声はあおいの耳には届かなかった。そのまま自室のベットにもぐりこんだ。

疲れた体に睡魔が襲ってくるまでにそう、時間はかからなかった。母達が帰宅するのはきっと深夜だろう…そんなふうに思いながら気が付けば寝てしまっていたのだ。

この日以降、あおいが家で祭りのことを口にすることは2度となかった。

流石の父と母も自分の娘がセクハラまがいのことを言われている現場は見るに絶えなかったのだろう、家族の中でも誰一人祭りのことをあおいに聞いてくるものはいなかった。

いなくなった友人達

春休みも終わり、あおい達は6年生に進級した。
新学期のスタート。誰もが祭りのことなんて忘れて、小学校最後の学校生活を楽しみにしていた。

ただ集団登校の場には、なんとも言えないギクシャクした雰囲気が流れていた。
祭りの途中で飛び出していった、5年生2人が転校していたのだ。当日お祭りに参加しなかった子たちは何があったのか?面白おかしく聞いてくる。でも私は二度とあの日のことは口にしたくなかった。「祭り」という言葉を聞くだけで嫌な気持ちが蘇ってくる。

母から聞いた話では、5年生の2人は母親の実家がある県に引っ越したということだった。ただ大人たちもそれ以上は語ろうとはしなかった。GWが過ぎた頃にはもう話題にもならなかった。というよりは、話題にしてはいけないという暗黙の了解が出来上がっていた。
これで祭りの出来事は過去のことになる、誰もがそう思っていた。ただそうはいかなかったのだ。

もうすぐ夏休みだ!という7月のある日。
家庭科の調理実習でカレーをつくることになった。もちろん、その日のお昼は自分達で作ったカレーライスだった。
玉ねぎが焦げただの、人参が大きすぎるだの、ジャガイモが硬いだの、すったもんだはあったもののカレー作りの時間は楽しく過ぎていった。

事件はカレーライスを食べ終わった片付けの時に起こった。給食にあわせて調理実習を行った関係上、片付けは昼休みに行うことになったのだ。
使った調理器具や食器を洗って拭いて棚に戻す。子ども達にとっては楽しく無い作業の上に、これだけで昼休みが終わってしまう。

昼休みを片付けでつぶされた子ども達からブーイングの嵐。ここまでは当たり前の反応だろうし、先生もきっと想定内だっただろう。ただその時の男子のひと言がキッカケで大きな事件に発展してしまったのだ。

「片付けなんて女子がやればいいんだよ。家でもばぁちゃんとおかあさんがやっているじゃん。男子が片づけやるとかおかしくね」と
その一言に、そうだそうだと盛り上がる男子たち。

「なんで女子だけで片づけをしなければならないのよ」と女子たちが口々に反論した瞬間、一人の女子児童が、男子に向かってボールやまな板を投げつけはじめたのだ。

「ふざけないで!! 女性はあなたたち男性の家政婦でも召使でも奴隷でもない」
そう言って、次は手元にある食器を床に落として割り出したのだ。

普段はとてもおとなしい彼女の行動に、誰もがビックリして動くことが出来なかった。

そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけた先生達かやってきて慌ててその女子児童を押さえた。
「辛かったよね。今までずっと我慢してきたんだよね」
そう言った女性教諭の表情を今でも鮮明に覚えている。この先生も、きっとこの地域の家父長制度 性的役割に苦しめられたきた一人だったのだろう。

あっけにとられた子どもたちは静かに片付けを始めた。そう誰ひとり話すことなく。
その後、彼女が登校してこないまま夏休みが始まった。夏休みが明けても彼女は学校に来ることはなかった。東京の学校に転校していったらしい。

実はこの彼女も、祭りの手伝いに参加していた1人だった。
6年生の2人は、私とその彼女だった。彼女はどちらかというと物静かな性格で、口数も少なかった。同じ地区に住んでいるにも関わらず、一緒に遊ぶことはほとんどなかった。

祭りの時も言われたことを淡々とこなしていた。ただその祭りで彼女の母親を見かけることはなかった。彼女の母親は、この田舎の風習が嫌で、夫親族との折り合いも悪く、彼女が小学校に入学する時に出て行ったというのだ。本当は彼女だけは連れて出て行きたかったようだが、ゼロからの再出発の母親に、親権をとることは出来なかったらしい。

それからというもの、彼女は祖母と共に家事をすることになり、祖父と父と兄のお世話をしてきたのだ。
「嫁が お前の母親が出ていったから…」と家族や親族に恨みつらみ言われ、朝早くから夜遅くまで家事労働を押し付けられていたのだ。

もちろん、そんな彼女を兄も父も手伝うことはしなかった。そればかりか、後から聞いた話だが、祖母までが彼女に対して嫁をいびるような扱いだったらしい。
だからこそ祭りの時も、彼女の手際は大人なみだった。ただ家庭事情を知っている周りの大人達は何も言わない。
私だけが母に、「あれぐらいはあなたにも当たり前に出来るようになってもらわないと…」と言われたぐらいだ。

祭りの宴会でも、周りの大人が止めに入るまで、何度かお酌もさせられていたらしい。そんな日頃の辛い思いが、調理実習の件を気に爆発してしまったのかもしれない。
この件がキッカケかどうかは定かではないが、祭りの後の宴会のやり方を見直すことになり、翌年からは手伝いに呼び出されることはなくなった。
噂では色々と耳にしたが、何があったのかあおいは知りたくもなかった。ただあの場に二度といかなくて済む。それだけでホッとしたのだった。

「21世紀の話とは思えないな…こんなことやっていたから20代女性の流出が止まらなくなったのよ」

あおいは、夏の空を見上げながら小さく呟いた

第2章はこちら


投稿記事一覧


#創作大賞2024  #オールカテゴリ部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?