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「産まないと決めた日」第6章

こちらは創作大賞2024に応募した作品であり、フィクションになります。
物語はプロローグ、第1章から始まり、第7章、エピローグまで続きます。noteでは7話にわけてアップしています。ぜひ最後までお楽しみください。

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第6章 卵子凍結

卵子凍結という選択肢

あおい自身、卵子凍結を知らないわけではなかった。
数年前ぐらいから、少しずつ卵子凍結の話を耳にするようになっていた。最近は、著名人が卵子凍結を話題にすることも増え、時々トークショーなんかも開催されている。

ここまで話題になる前に卵子凍結を行った友人もいた。ただそんな友人の話を聞いても、あおいにとって卵子凍結は他人事でしかなかった。
母が卵子凍結の話をしなければ、都から助成金が出てもあおいは興味を示さなかっただろう。

あおいはそもそも自分が子どもが欲しいのかどうかもわからなかった。結婚という制度には興味がなかった。
それは少なからずあの町で育ったことが影響しているのだろう。
結婚して、妊娠・出産すれば、「家庭に縛られる・自分の時間がなくなる・女性ばかりが不利になる」そんな風にしか思えなかったのだ。

ただ母の思いもわかる。母自身が妊娠・出産に大変な思いをしたからこそ、娘には同じ思いをしてほしくないと考えたのだろう。
それにこれからの未来、もしかしたら子どもが欲しいと思う時がやってくるかもしれない。その時に「卵子凍結しておけばよかった」と後悔はしたくない。

自分の感情に整理がつかないまま、あおいは、とりあえず卵子凍結の情報を調べた。あまりにも卵子凍結について検索しすぎたせいなのか、一時期SNSの広告が卵子凍結と不妊治療の情報で占められるなんてことも起こり思わず苦笑いを浮かべてしまったこともある。

 
SNSで流れてくる卵子凍結の広告には
・卵子凍結は女性の新たな選択肢
・卵子凍結は未来への保険
・卵子凍結はお守り
・卵子凍結は希望
ただただ心地よい言葉が並べられていた。

同時に「卵子凍結をしなければ世の中から取り残されるのでは?」という不安も駆り立てられ、「卵子凍結が女性の賢い選択」と言わんばかりの広告に少し辟易ともしていた。

卵子凍結はかなり昔から、主にがん治療を行う患者の妊孕性温存を目的に行われていた。
それが徐々に普及し、今はがん治療を行う患者の妊孕性温存目的以外にも行われるようになってきた。
がん治療の妊孕性温存を目的とした卵子凍結と区別するために、社会的卵子凍結、計画的卵子凍結と呼ばれているらしい。

ただ卵子凍結には保険が効かない。全て自費診療となり、採卵、保管、移植となると100万円を超えるとも言われている。保管年数や採卵個数によっては200万、300万になる場合もあるらしい。多くの人はこの金額がネックで二の足を踏んでいた。

そこに助成金を出したのが東京都だ。
その助成金に対して多くのクリニックが社会的卵子凍結を開始した。そうして突然の卵子凍結ブームがやってきたのだ。

「卵子凍結はクリニックにとっては美味しい収入源」そう言う人もいた。
確かに行政のお墨付きを得た自由診療ほど美味しいものはないだろう。価格もざっと見ただけだが、クリニックによってかなり開きがあるように感じる。
「クリニックが卵子凍結をここまで推すのは単に女性の選択肢を増やすという理由だけではなさそうよね」あおいはそう呟きながら、タブレットの画面をオフにした。

 一人で悩んでいるあおいに、友人がとりあえず都の説明会に参加してみないかと誘ってきた。
彼女は積極的に卵子凍結を考えている一人だ。今回の都の助成金に後押しをされ、卵子凍結をすると既に決めている。
ただ彼女も結婚願望はゼロに等しい。精子提供によるシングルマザーを望んでいるが、日本では認められていないため、いったん卵子凍結をして様子を伺うらしい。

そんな彼女の話を聞きながら、「一人で悩んでいても仕方ないか」と、とりあえず説明会へ参加 することにした。

卵子凍結の助成金を貰うには、この都が開催している説明会にまずは参加する必要があった。都が当初想定していた以上の参加申し込みがあり、すでに説明会への参加者は5000人を超えたと聞いている。

この中で、本当に子どもが欲しいと強く望んでいる人は何人いるのだろう?そんなことを思いながら、指定されたオンライン説明会のアドレスをクリックした。
説明会終了後、結局のところ明確な答えをあおいは見つけることはできなかった。

ただ年齢別の保管個数の違い、特に40歳以上の数値に驚いた。
40歳だと40個の卵子があっても出産にいたる確率は75%、42歳だと60%まで下がる。40歳前後で不妊治療を初めてもなかなか結果が出ないのがよくわかる数値だった。ちなみにあおいの年齢だと、20個あれば理論上9割以上の人が出産にたどり着ける。10個でも8割だ。

確かに今は産めないなら卵子凍結をしておいた方が良いと言われる理由もわからなくはない。保管個数だけ考えれば34歳までに卵子凍結をしておく方が効率は良さそうだ。ただ保管費用がかなりかかるが…

「産む、産まないはともかくとして、中学生ぐらいでこの現実は教えておいた方がいいように思う」あおいはひとりごとのように呟いた。

あおいは、凍結卵子の使用率が低いことにもびっくりした。これだけの費用と手間をかけて、医療的リスクを背負って卵子凍結をするのだから、もっと利用率は高いものだと思っていた。

卵子凍結は必ずしも将来子どもを望んでいる人だけが行っているわけではないのかもしれない。子どもを産むことが絶対でないのであれば凍結するのもありかもしれない。
そんな風にあおいは考え始めていた。

「でもやっぱり決められないな…」まとまらない思考が、あおいの頭の中を駆け巡っていた。

「あー海外には持ち出せないのか…」
あおいを説明会に誘った彼女もまた、別の意味で卵子凍結について悩んでいた。

周りの反応

説明会から卵子凍結終了までのリミットは1年。
11月末に卵子凍結の説明会に参加したあおいは、遅くとも来夏までには結論を出さなければと考えていた。
「人気のクリニックは予約が大変なんて言う噂も耳にするし、もう少し早い方がいいのかもしれないな…」と頭の中で今後の予定を考えながら、今日もSNSで「卵子凍結」をキーワード検索していた。

卵子凍結に関して、SNSでは度々炎上しているのを見かけるが、卵子凍結に関する周りの反応は本当に様々というのがあおいの感想だ。ただ卵子凍結を実施しているクリニック以外の医療関係者には慎重派が多いのが印象的だった。

また不妊治療経験者にも慎重派が多い印象だ。
確かに30代前半の人でも、何十個と採卵しても妊娠に至っていない人をSNSでは見かける。
「卵子凍結を過信するのは危険だ。それを伝えないクリニックにも問題がある」と彼女たちは警告を鳴らす。

本当に子どもが欲しいのであれば、今するべき行動は婚活だという意見もある。確かにそうだ。今の日本では相手がいないと凍結した卵子は使えない。それに高齢出産には高齢出産のリスクがある。

ただこれらの論調の多くは、子どもを産むこと前提に行われている。私のようにただ可能性を先延ばししたい人は対象に入ってないようにも感じる。

友人や先輩に聞いてみても反応は様々だった。
30代後半の先輩は、既に卵子凍結を実施済みだった。ただ費用的に1回が限界ということで、16個しか保管していないという。それでも50%以上の確率はあるしなんとかなるだろうと言う。

同じく30代後半の先輩は、1回の採卵で4個しか採れなかったらしく、すでに3回目の採卵の準備に入っているが、次はクリニックを変更しようか悩んでいるという。ただ思うように採卵できなかったことがキッカケで慌てて婚活をはじめたらしい。
「卵子凍結をキッカケに現実を突き付けられた気分よ」と自嘲気味に先輩は笑う。

逆に同年代の同僚たちは説明会には出たが、そこまでは慌てていない人がほとんどだ。とりあえず卵子凍結しておこうかな?という人もいれば、35歳ぐらいでもう1回考えるという人もいる。ただ多くの人は、いつか産めなくなるという見えない不安に追い立てられているようにもみえた。

そしてそれはあおいも同じだった。

卵子凍結に関する答えを出せないまま、あおいは年を越した。
新年、あおいは次兄の彼女に出会った際に思い切って卵子凍結に関して聞いてみた。

次兄の彼女は「私はやらないわよ」とひと言で返してきた。
次兄の彼女はあおいより9つ上で年齢的には今がリミットだ。
それでもハッキリと卵子凍結はしないと言う。

彼女はグラスを片手に

「子どもは嫌いじゃないし、子どもを産みたくないと言えばそれは嘘になる。でも、卵子凍結で可能性を残すなら、私の年齢だとそれなりの数の卵子を凍結する必要が出てくる。でも、そこまでしても授かる保証はない。そもそも本当に子どもが欲しいなら、私は先延ばししている年齢ではないのよね。今すぐにでも不妊治療に取り掛かった方がいいのよ。
ただ、仕事を諦めてまで子供が欲しいかと言われると答えはNo。今は仕事を突き詰めたい気持ちの方が大きいのよね。男性と同じように働けないと今のポジションは守れない。それに出産したらしばらくは海外の学会にも行けなくなるだろうし、世界から取り残されていくのは嫌なのよね…」
そう話すと、グラスに残っているワインを一気に飲み干した。

「それに、今の日本って卵子凍結をしても本当に産めるタイミングがくるのかな?って思うのよね。確かに5年後は変わっているかもしれない。でも変わっていない可能性の方が高いと私は思っている。先延ばししても、妊娠・出産・子育てしやすい環境が出来てなかったらあまり意味がないと思う。結局女性の出産のリスクだけ高くなって、更年期のなか、仕事をしながら小さな子どもを育てるってかなり大変だと思う。私にはそんな中で子どもを育てる自信はないな。だから私は産まない選択をするつもり。」

そんな会話をしていたら、次兄が雑煮をテーブルに運びながら、「そうだよな…」と口を挟んできた。

「確かに妊娠・出産は女性にしか出来ない。その時のキャリアに影響するのは確かに女性だ。そして世の中一般的にも男性よりも、まだまだ女性の方が出産・育児がキャリアに及ぼす影響は大きい。でも、少しずつだけど男性も家事や育児をし始めているし、なんなら男性の方が家事が出来るというカップルもいる。これからは、女性だけではなく男性も仕事と育児を両立できるか考える必要が出てくるんじゃないかな」

そう、次兄の彼女は家事全般が苦手なのだ。掃除や洗濯は出来るだけ家電にまかせ、週に1回はハウスクリーニングを依頼している。料理は週末こそ次兄が作る時もあるらしいが、基本は外食かテイクアウトだ。最近は便利な調理家電とミールキットに助けられていると次兄は笑いながら言う。

「ただこの生活も2人だからなんとかなっている。ここに子どもが出来たらこの生活は大きく変わってしまう。海外のようにベビーシッターが当たり前ではない日本は何かあっても2人でなんとかするのが一般的だ。男性が育休を取れば解決する?イヤイヤそれよりもベビーシッターや家事支援など、第3者サポートの選択肢を増やしてほしいよ。」

次兄はそう言って、目の前にあるビールを一気に飲み干した。

次兄の言うとおりだ。
子どもを産めば女性が、自分の人生もキャリアもやりたいことも犠牲にして、家族為、子どもの為に生きることを強制されてきた今までの時代がそもそもおかしかったのだ。

働く男性はそういう女性がいたからこそ仕事に全振りしてこれた。
男性が育児をすれば負担は減る…確かに女性が一人で背負ってきた負担は減るだろう。とはいえ、男女ともに働きながら子どもを育てることなんて本当に可能なのだろうか?女性の負担が減ったように見えるだけで、家族のトータル的な負担は何ひとつ減っていない。
そもそも卵子凍結したところで、パートナーが子を望まないなんてことだってありえるわけだし。

そんなことを話しながら雑煮を食べ、デパートで購入したおせちをつまみに3人で飲み続けた。
「男女関係なく、仕事と育児って相性が良くない…」最終的にはそんな結論に達した。

「卵子凍結をしている間に考えるというのもありかもよ。あおいちゃんの人生はあおいちゃんのものなんだからさ」
次兄の彼女はそう言って、次のワインを取りにいった。

卵子凍結は本当に希望なのか?

「考えるために卵子凍結をするか…」あおいは次兄の彼女の言葉を反復していた。

今日も夜な夜な卵子凍結の体験記を読むためにネット上を彷徨っている。「卵子凍結は希望だ!」と盛り上げる人がいる反面、「卵子凍結までしたのだから産まなければならないという執着になってしまっていた」という人の体験記が流れてきた。

この女性は38歳の時に卵子凍結をしたが、その凍結卵子では妊娠に至らなかったらしい。ここで諦められたらよかったのだが、いつの間にかやめ時を見失い、気が付けば500万以上を不妊治療に費やしていたという。

「希望が気が付けば執着に変わっていた」とその女性は締めくくっていた。

少子化対策と卵子凍結が結び付けられると、子どもを産めと社会から圧力をかけられているようで嫌だという意見も見かけた。
そもそも卵子凍結は誰のために行うものなのだろうか?本人の未来のためと言いながら、実際は社会の為に上手く乗せられているだけではないか?と思う時もある。

「卵子凍結は決断の先延ばしでしかない」なんていう意見もあった。ぐるぐると悩み続けているあおいにとっては、何も言いかえせない一文だった。

確かに卵子凍結は決断の先延ばしでしかないかもしれない。卵子凍結を推奨するより、生殖適齢期で産み、育てられる社会にすることの方が必要なことだろう。今、産めない環境で数年後に産めるとは思えなかった。

ただこの一文であおいの気持ちは逆に卵子凍結をする方向で固まっていった。
「そうだ私は考える時間が欲しいんだ。じぶんでも本当に子どもが欲しいかどうかはまだわからない。でも今はそのことに向き合いたくない。今はもっと他にやりたいことがある。」

これがあおいの本音だった。

時間をお金で買う。卵子凍結もそのひとつかもしれないと思えたのだ。決断を先延ばしする時間を買っただけ。卵子凍結は結果的には無駄になるかもしれない。それでもあおいは良いと思えた。

自分の気持ちが固まったら、あおいはなんだかすがすがしい気持ちになった。重い荷物を抱えたままでは走れない。ちょっとだけ肩の荷がおりた気分だった。

そうと決まれば、早速卵子凍結をしているクリニックを調べはじめた。
幸い、会社では卵子凍結のための就業制度があらたに設けられていた。
海外赴任をする人へのサポートになるからというのが会社の考えだった。
卵子凍結のための通院期間中は、優先的に在宅勤務に切り替えらえた。病院の待合で打ち合わせ以外なら仕事をすることも許可されていた。打ち合わせ時間も柔軟に対応してもらえたし、採卵の日は休暇も貰えた。

融通が利くからこそ、会社の先輩には、会社や自宅から近いところではなく実績のあるクリニックを選んだ方がいいよと言われた。
会社では卵子凍結の説明会が開催された。カウンセラーへの相談も可能だった。ただ何度か利用した先輩がクリニックの選び方などはアドバイスしてくれるということもあって、あおいは社内の相談制度までは利用しなかった。

説明会での話や先輩の助言をもとに、あおいはいくつかのクリニックの卵子凍結説明会に参加した。その結果、卵子凍結の助成が始まる前から、卵子凍結に取り組んでおり、不妊治療の実績も充分にあるクリニックで卵子凍結をすることにした。

卵子凍結へ

母に久しぶりに出会った夏から1年後、あおいは8個の卵子を凍結した。

事前面談で採卵目標個数などを相談した結果、10個前後の卵子を凍結したいと希望を伝えていた。
クリニックからは、薬の量を調整すれば、あおいの血液検査の結果からだと15個~20個ぐらいは可能だし、その方が将来の可能性も上がると言われたが、保管費用も考えて最初の希望通りに10個前後を目標にお願いすることにした。

目標個数が少なかったこと、年齢的に薬の反応が良かったこともあって、自己注射は不要で、飲み薬とクリニックでの注射だけで、必要な個数の卵子が育ち、採卵することが出来た。多くの人は自宅でお腹に自分で注射をする。既に卵子凍結を終えていた先輩達もその注射だけは嫌だったと語っていた。

採卵は眠っている間に終わっていた。採卵後はなんとなく腹部に不快感は残っていたが、あおいは、そのまま自宅に戻って仕事出来るかなと考えていた。

採卵後、カウンセラーとの面談をし、凍結個数が伝えられた。最終確認という意味で、個数と妊娠の可能性について説明され、再度卵子凍結を行うかどうかを確認されたが答えはNoだった。

凍結した卵子がお腹に戻ることは全く想像できなかった。卵子凍結をした今でも自分の中で家庭を持つイメージもなかった。
ただ母への義理は果たせたとホッとした気持ちだけがあおいの中にはあった。

無我夢中 

あおいが卵子凍結を決断したのにはもうひとつ別の理由があった。

今まで携わってきた事業がいよいよ海外で本格的に始動することになったのだ。行き先はアフリカだった。一度アフリカに行けば数年は日本の事業所には戻ってこれないと言われていた。それでもあおいは海外で働いてみたかった。
海外赴任者の募集に手を挙げた時、「海外赴任するなら、卵子凍結をしていこう」そう思い、渡航前に卵子凍結に踏み切ったのだ

医療資源の乏さや治安の問題もあって、長兄も次兄もアフリカへの海外赴任は最後まで渋ったが、長兄の妻と次兄の彼女2人は笑顔で送り出してくれた。

最初の海外赴任は3年半。その後3年ほど日本にいたが、再度3年弱アフリカに赴任した。気が付けば卵子凍結をしてから9年が経っていた。
日本に戻ってきている間に大学院にも進学した。そこで今の彼と出会ったのだ。偶然にもアフリカで再会した時のお互いの驚いた顔は今でも鮮明に覚えている。

この9年間の間に8回卵子凍結の更新を行った。ただあまりの忙しさに、凍結した卵子をいつ使うなど考えている余裕もなかった。送られてきたメールに更新の意図を明記し、必要な費用を振り込むだけだった。
たまに忙しさのあまりに更新することを忘れていたこともあった。そんな私の様子を彼は何も言わずにただただ見守り続けてくれていた。

後ろを振り返る暇もなく、無我夢中で走り抜けた30代だった。日本に戻った夏にはあおいは39歳の誕生日を迎えていた。

今まで何も考えずに更新し続けてきたが、ここにきてはじめて「凍結した卵子、そろそろどうするか決めないとな」という思いがでてきた。
そんなあおいの悩みを見透かしたかのように、「とりあえずすぐには決められないだろうし、今年は更新しておけば?」とパソコンを覗き込みながら彼は言った。

「そういえば、彼とは結婚のことも子どものことも話したことないな」
そんなことを考えながら、あおいは例年通り更新の返信をし、必要な保管費用を振り込んだ。

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