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№5007:「真面目」って必要か?

こんにちは。(株)個のサポーターズクラブの遠藤です。
※過去分はこちらにあります。

さて、先日「そんな真面目なことばっかりやってられない」ということを書きました。

で、この「真面目」。

世の中では「良いこと」と捉えられています。

が、それってホントかなと。

自分で自分のことを「私は真面目です!」と自慢する人はあまりいません。

「真面目」というのは周囲の評価です。

ではこの周囲の評価が何に基づいているかというと「聞き分けがいい」とか「反論しない」とか「素直に従う」とかそんなニュアンスではないでしょうか。

要は「従属的」。

そういう「おとなしい人」「黙って従う人」を「真面目」と言っているのです。

何故、私がこういうことを言い出したかというと所謂「真面目」と称されている人が「まったく魅力的に見えないから」です。

例えばですが、飲み会の席などで終始黙っている。

例えば、カラオケに行ってもつまらなそーにしている。

だったら来なきゃいいんですけどね。

で、(本人以外に)「あいつ何なんだよ」的なことを言うと「彼は真面目なんで」。

的な。

が、何故日頃こういった「真面目」が温存されているかというと、上司側から見たときに「そういう人間の方が使いやすいから」です。

こういう人は上司に楯を突いたり「独立したいです」とか言いません。

だからずーっと「真面目(企業奴隷)」のままです。

もう1つ別の観点から「真面目」を否定しておくと、上記のような「真面目な人」は例外なく「視野が狭い」という特徴を持っています。

「視野が狭い=そのことしか知らない」です。

「そのことしか知らない=幅がない」です。

「幅がない=おもしろくない」です。

そんな「真面目」なら要らないでしょう。

私もよく「真面目」と評されますが、だとしたらそれは全然努力が足りない。

私は「本質(センターピン)を外さない奴だ」とは評価されたいですが、「真面目」とはいわれたくない。

「真面目」を維持しようとすれば固くなるし選択肢が狭まるしで、どんどん余裕のない生き方になっていくと思います。

スモールジム協会理事の近藤さんも言っていました。

「​真面目→硬い→ポキンと折れやすい」

私もそう思います。

というわけで、今日も「不真面目」になれるように精進していきます!

「不真面目」を広めよう!

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