見出し画像

№4912:「自分にとって正しいこと」と「世の中にとって正しいこと」は違う!

こんにちは。(株)個のサポーターズクラブの遠藤です。
※過去分はこちらにあります。

今日は「自分にとって正しいことと世の中にとって正しいことは違う!」という話をします。

先般、某講座に参加したときのこと。

この講座は比較的高齢者が多く集まります。

で、講座の途中に「質問があります」と高齢者の男性が手を挙げ、講師もそれを認めました。

そうしたらその高齢者は今の世の中を延々と批判しはじめました。

数々の持論(自論)の中で私が呆れかえったのは「子どもの結婚相手は親が決めるべきだ」というもの。

「昔はそうだった」と。

「そこには親が子を思う愛情というものがあった」と。

「最近の親子は自由をはき違えている」と。

「昨今の世の中にはこういった愛情がなくなっている」と。

で、よせばいいのに講師も(立場上)これをやんわりと肯定するものだから、ますます調子に乗ってああだこうだと言っている。

私は貴重な講座の時間をこのような高齢者の持論に奪われたことに超苛立ちましたし、死ぬほど苦痛でした。

耐えかねた私は講座後に「講座中にああいう発言を認めないで欲しい」と(実に珍しく)主催者に苦言を呈しました。

「先生の話を聴きに来ているのであって、あのような話を聞きに来ているのではありません。質問を受けるなら講座を進めた後のラスト10分とかにしてほしい」と。

が、驚いたことにというか予想通りというかこれ(老害の意見)に同調する高齢者がいるのです。

こちらはこちらで「(新コロの影響やSNSの普及により)世の中から会話が失われることで人間関係が希薄になっている」的なことを言っていました。

時流のネガティブ要素だけにフォーカスして、在宅やSNSによって新たに創出されたことを何も知らないから堂々とこんなことが言えるのです。

「自分が正しい」

「世の中が間違っている」

こういう考え方をする人からはまわりの人が離れていきます。

こうなると孤独感が増すのでますます意固地になっていきます。

頑固ジジイ生誕の構造です。

ちょうど私はその講座を受けた日の夜にライブ配信したFBL大学の講座で以下のようなスライドを用意していたところでした。

キャプチャ

世の中を見れば、実際にそうなっていることがわかるはずです。

何かを「正しい」と信じたい気持ちはわかります。

しかし、「自分にとって正しいこと」と「世の中にとって正しいこと」は違います。

「世の中にとって正しいこと」は医科学とか法律とかで明確に定められています。

一方、「自分にとって正しいこと」はその人にとっての価値観です。

価値観は変容します。

ということは「自分にとっての正しさ」も変容します。

と考えれば「正しさ」というものはどんどん刷新されていくべきなのに、いつまでも「古いこと」「過去のこと」に固執している。

高齢者は世の中を批評している時間があるなら、自分が時代に適応する努力をすべきでしょう。

「若者から学ぶ」

それが高齢者の行動指針です。

▼FBL大学のホームページはこちら
▼無料メルマガ「継続するオンラインビジネスの考え方」のご登録はこちら
▼有料メルマガ「思考変容のスイッチ」のご登録はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?