ワタナベカズヨ

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最近の記事

ただ向こう側に行った

小さな頃、可愛がってくれたお姉さんが亡くなった。 10歳上のお姉さん。 抱っこやおんぶは勿論のこと、お風呂に入れてもらったり 、1人でお姉ちゃんの家に行き小学校から帰って来るのを待っていたり、時にはお姉ちゃんのお誕生日会に小学校高学年に混ざって2歳の私が参加したり。 ちょっと早いな。 もう、思えば、たくさんの人が亡くなってしまった。 父、祖父、幼馴染み、私を可愛がってくれた人、遊んでくれた人、お世話になった人…何人もの人が亡くなった。 たくさんの人が亡くなっていく

    • すべての子に楽しい学びの場を贈りたい

      岐阜県で教員をやっている仲間、教育に関心のある方達、大学生ect…そして、カガミハラパークブリッジ等を運営する飛騨五木株式会社の有志社員の方達と、学びのイベントを創っています。 昨年の第1回は、親子合わせて約1000人が来場し、遊びながら学ぶ1日を過ごしました。 今年のスタートミーティングで出たのは「すべての子ども達が安心して参加できる場を創りたい」という意見でした。 確かに、多くの子ども達が来てくれたけど、正直「うちの子は連れて行けないな…」と参加しなかった方達がいら

      • 代理マスター伊吹くん CAFE SLOWの話・その②

        伊吹は私の長男です。 22歳になります。大学4年生です。 伊吹山が名前の由来か?と言われがちですが、イタリアからとりました。イタリアの伊です。 辻仁成と江國香織が書いた「冷静と情熱のあいだ」という小説があり、その舞台がイタリアだったからです。…いつか、それを口実に旅行に行けるのではないかという魂胆です。 彼は、父が倒れた後、父が経営するカフェをやっています。臨時マスターです。 父が倒れて暫くは意思疎通も難しかったため、彼は妹と母である私と父のレシピノートを見ながらメニュ

        • 本屋を始めました

          とはいえ、小さな小さな本屋です。 その敷地面積は、棚一つ。 私の家のカフェ、岐阜県美濃加茂市にあるCAFESLOWというカフェの店内で、私が実際に読んだ本をメッセージ付きで。 自分が好きな本、読んだ本だけを置く。 本はあまり読まなくなった、という大人の方に本当の出会いのきっかけをプレゼントしたい…そんな本屋です。 本は、いつもの日常を、特別な日に変えてくれる力をもっています。 本は、勇気や希望を私達に授けてくれます。 そして、本は、あなたの心にそっと寄り添ってく

        ただ向こう側に行った

          Decade ~大きな10年~

          【decade】(名)10年間、10年、10年という時間の期間を指す。 大学受験に向けて、とにかく英単語を覚えた。 charchなら「堺マチャーチ!」等と語呂合わせをしては友達と爆笑している女子高生であったが、なぜかこの単語だけは何の語呂合わせもなく頭に刻まれた。 decade、decade、decade…。 ten yearsと敢えて言わずにdecade。 10年は一つの大きな区切りなんだな、と、ぼんやり思ったものだった。 自分の人生を振り返ると… 「ひとつ」か

          Decade ~大きな10年~

          私の学校の働き方改革

          教育現場はブラックだ。 世間では、それが定説となりつつあります。 しかし、私の職場はホワイトです。 いや、ホワイトを通り越してクリスタルとさえ思う程。 私の勤める学校は、山間の消滅可能性都市リストに名前が挙げられる、けれど、あたたかい人々に囲まれた、生徒100名程、職員25名程の中学校です。 この山間の私の学校を、なぜ働きやすいと感じているのか…その働き方改革について、お伝えしようと思います。 (1)スライド勤務制 私の学校の生徒達は、早い子は朝7時半にスクールバスでや

          私の学校の働き方改革

          桜が咲いてくれた日

          桜咲く日、旦那君は転院しました。 治療が終わり、リハビリをするためです。 今年の花見は車中からでした。 「桜が咲いてるねー」 「俺は桜はあんまり好きやないでなー」 「あー、そうやったね」 「退院したら、旅行どこ行く?」 「それは海外?国内?」 「じゃあ、まずは海外ではどこ?」 「前はマレーシアとかシンガポールとか思っとったけど、今はハワイ一択やな」 「リゾート好きやもんね。じゃあ国内は?」 「この前テレビで横浜やっとった。今、横浜が熱いんやと」 「退院したらさ、あそこ

          桜が咲いてくれた日

          感謝と水前寺清子

          一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる〜 と、チーターが歌っていたように、 幸せは歩いて来ない。 なかなかスムーズにはいかない。 特に最近の私には、胸をググーッと地面に押し付けられるような苦しい出来事がやってくる。 もういいかなー、と思ったら、 また良くないことが起きて、 我慢我慢の日が続く。 旦那君に関することですが。 入院中にコロナにかかる、という…。 お医者さんはそんなに深刻でなく、 それでも、心配は心配で、 また、苦しかった日々へと逆戻りか、と…。

          感謝と水前寺清子

          よくやったものだ

          苦しい病院シリーズは続く。 書いて身体から膿を出すように、あの日々を書く。 夫が倒れた12月末、 父っ子の娘は中3。 受験の追い込み真っ只中。 大好きな父が倒れて、塞ぎ込んでしまうのではないかという心配が頭をよぎった。 真夜中の緊急手術の日、 待合室で寝たものの熟睡など出来た訳もないが 私は中学生の娘と次男を家に戻って仮眠の後、長男に車で送迎させることで、昼から学校に行かせた。 無理矢理にでも。 「可哀想な子」にはさせない。 私の勝手な意地だ。 私は中1で父を亡くし

          よくやったものだ

          黙ってそこにおりなさい

          M-1が終わって、さぁ寝るか、と思った矢先に携帯が鳴った。 「片方の瞳孔が開いているので病院へ」という電話。 3人の子どもを乗せて、 風呂上がりだったので、冷静だが何だか分からないけれど化粧道具を持って、 車で病院に向かった。 後から息子に聞くと「あんな危ない運転初めて乗った…」とのこと。 途中でかかってきた医師の電話で、 これから緊急手術をすると聞く。 「生命だけは助けてください」という、ドラマでしか聞いたことのない言葉を私は言っていた。 手術ができるんだ、とほっと

          黙ってそこにおりなさい

          walea

          【walea(ワレア)】は、ハワイ語で、 穏やかさ、という意味。 昔からケンカをよくする私達夫婦であったが、新婚旅行で行ったハワイで指輪を買う際、この言葉を選んで刻んだ。 同い年。 寅年。 O型。 長男長女。 理系と文系。 似ている所も違う所も、 全てがケンカが多い理由におもえた。 waleaからは程遠く…。 そんな私達も、 長い面会禁止期間が明けた昨日、今日、 病室でwaleaな時間を過ごしている。 久しぶりに交わす言葉。 何気ないやりとり。 時間に急かされない

          得たもの

          本当に、ほんとーに、 苦しかった日々が終わろうとしている。 12月の結婚記念日前日に倒れた旦那君の元に 1月17日まで毎日通い、 心細いながらも寄り添うことで何とか気持ちを繋いだ日々。 1月17日、いつものように病室に行くと、 「明日から面会できなくなるので」 と、看護師さんに告げられた。 毎日面会に来ることだけが、 暗い毎日に小さな希望を見せてくれていたし、 毎日少しでも話しかけたり身体をさすったりすることで、何とか力を尽くしたいと思っていた。 治したい、とい

          きょうだい

          私達夫婦には、3人の子どもがいる。 この春で、大学4年、高校1年、中学2年。 21歳、15歳、13歳。 長男と長女は6歳、 長男と次男は8歳違うのだから、 長男と下2人は、始終一緒に過ごす訳ではなかった。 それでも、 父が倒れ、長男が最も気遣ったのは、 弟と妹のことだった。 妹は父が大好きで、 中学生になると、休みの日には父が営むカフェを手伝いに行っていた。 「店が無くなるとキョーが心配や。」 長男が店をやることに決めたのは、 勿論父のためでもあるが、 何より妹を

          小さな春

          娘が中学を卒業した。 人生には、 旦那君が倒れるという嵐の様な日があれば、 不安に泣くシトシト降る雨の様な日もある。 かと思いきや、今日の様に娘の成長に感動の涙を流す幸福な日もある。 幸せと不幸せは同じだけやってくる。 そして、皆に、平等に。 自分だけが特別だと思ったら、 とんだ悲劇のヒロインごっこだ。 そして、旦那君にも小さな小さな春が来た。 小さな小さな変化だけれど。 旦那君にも、春が近づいている。

          苦しい2月が教えてくれたこと

          岐阜弁で言う所の「えらかった(苦しかった)」2月。 旦那君の仕上げの手術的なものがなされる筈が延期になった初旬。 延期になった上に、 コロナで面会ができず、 様子も分からず、ただただ病院からの連絡を待つ日々。 以前も書いたが、様子が知りたいと電話をしてもイマイチこちらの思いが伝わらず歯痒さと我慢の日々。 携帯が手放せず、頻繁に確認したり、 病院のホームページを「もしかしたら面会が解禁されているかも」と確認しては落胆し、 岐阜サーベイランスHPを「コロナの流行が収まって

          苦しい2月が教えてくれたこと

          救急車

          救急車を見るとドキドキする。 今までだって、勿論、サイレンを鳴らして走って来るのを見れば、大変だと道を開けた。 今は、サイレンを鳴らす救急車を見ると、あの日に記憶が引き戻される。 あの、訳の分からない恐ろしさと必死さが、 蘇ってくる。 今日は、別々の場所で、2台の救急車を見かけた。病気や怪我の方を乗せ、病院に向けて、出発する前の。 私はこれまで、自分が全く「子ども」だったことに気づいた。 命の瀬戸際に、 しがみつく程立ち合ったことなど、 一度も無かったのだから。