よくやったものだ
苦しい病院シリーズは続く。
書いて身体から膿を出すように、あの日々を書く。
夫が倒れた12月末、
父っ子の娘は中3。
受験の追い込み真っ只中。
大好きな父が倒れて、塞ぎ込んでしまうのではないかという心配が頭をよぎった。
真夜中の緊急手術の日、
待合室で寝たものの熟睡など出来た訳もないが
私は中学生の娘と次男を家に戻って仮眠の後、長男に車で送迎させることで、昼から学校に行かせた。
無理矢理にでも。
「可哀想な子」にはさせない。
私の勝手な意地だ。
私は中1で父を亡くした葬式の翌日、
学校に行った。
無理矢理にでも行くのだ。
その後は、午後と夕方の面会の間、
娘と私は病院で勉強した。
娘は娘の、私は私の。
私は面会に行くが、
娘は面会には行かなかった。
父のそばにはいたいが、
目の前に行くのは気持ちが追いつかなかったのかもしれない。
「売店でお菓子買ってくるー」
「病院で勉強しとる人はさすがにいない」
と、言いながら。
クリスマスも。
正月も。
コロナで面会が禁止になった時、
娘は冷静に「一番大変な時に会えたからよかったと思う」と、祖母である私の母に言ったという。…母である私は、不安に打ちのめされていた時に(笑)
そして、3月。
無事、合格。
偶然、面会の許可が出た日は、
娘の第一志望の合格発表だった。
私は、娘が「受かったよ」といつも通りの口調で父に報告する姿を見て、幸せっていうのは、不意に、普通の顔をしてやってくるものなのだな、と思った。
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