【初海外旅行】ハウスのDJで南アフリカに行ってきます vol.1〜元々はロックバンドのベーシストでした。
この記事を読んで頂いている皆様はご存知の方も多いかと思いますが、
わたくし京都西院にてミュージックスタジオハナマウイという音楽スタジオを営んでいる宮一敬(今年で19周年)、今月半ばより南アフリカ共和国に二週間、ハウスミュージックのDJとしてツアーで行く事になりました。
私を昔から知っている方は音楽キャリアの最初の起点となったロックバンドYOGURT-poohやHIP HOPバンドha-gakureでエレクトリックベースを弾いている印象が強いと思うので、何故急にロックバンドからHIP HOPやハウスミュージック、しかも南アフリカ共和国?と思っている方が多いと思いますし、実際久しぶりに会う友人やミュージシャン達にはそこを毎回聞かれますので、まずはその経緯を説明しようと思います。
ロックバンドにどっぷりと浸かって大きな影響を受けていた90年代が私の青春時代(中学生、高校生、大学生がちょうどその時期になります)でした。
当時はHM/HRに始まり、NIRVANAを筆頭としたGurange、Oasis,BlurなどのBright popなど、ギターロックバンドのシーンの黄金時代。日本でもHi-Standardなんかがインディーズなのに大売れして海外でも人気が出るなど(バンドが多すぎるので分かりやすいバンドだけ書く事にします)いわゆるオルタナティブロックと言われるジャンルが全盛期。好んで聴いてました。また、YOGURT-poohもそういったUS/UKオルタナティブギターロックバンドから大きな影響を受けていたバンドでした。
ところがYOGURT-poohを脱退後、ハナマウイを建てて経営を始めるにつれ、自分の生活スタンスと自分が理想とするロックバンドのミュージシャン像と自分自身に違和感を感じるようになりました。具体的には守るべきものができてそれでなんでロックなんだ?と。もっと自分の今の気持ちにしっくりくる音楽があるのではないかと思うようになったのです。極端かと思われると思いますが、自分の中ではそうでした。
ベースはずっと今でも弾いているのですが、ベースはいわゆるリズム隊、リズムの楽器なので段々とリズムを強調する音楽に惹かれるようになり、元々好きだったブラックミュージック、特にHIP HOPを聴くようになりました。
特に転機となったのHIP HOPのビートメーカーはJdillaで、初めて聴いたとき『ゆらゆら帝国みたいだなー』と思った記憶があります。
そんな中HIP HOPをバンド形態でやっているha-gakureに出会い、メンバーとなります。
ブラックミュージックが好き!というのは話の流れ的に急に感じるかもしれませんが、ロック、または洋楽を好んで聴くようになる中学生以前の小学校5、6年生の時期は久保田利伸さんが大好きで、今でも初期の作品はしばしばDJでかけさせて貰っています。今でも大好きです!
また当時はテレビ番組で海外チャート番組をVHSのビデオに録画してずっと観ていたのですが、90年代はR&BやHIP HOPがポピュラーミュージックとして認知されるようになっていった時期なので、そこでたくさんの好きな音楽に出会いました。特に最初に聴いていたのは久保田さんも楽曲に取り入れていたNew Jack Swing でした。
また、マイケルジャクソンのカセットテープが家にあったので、それもよく聴いていました。あとは父親がモダンジャズをカッコつけて聴いていたので、家にJAZZのレコードがたくさんあったのも影響を及ぼしているのかもしれません。
という事で、元々ブラックミュージック好きだった僕がいよいよロックバンドから離れて黒人音楽由来の音楽、HIP HOPをやり出しました。 この頃から自分でもHIP HOPの曲を作り出し、ロックの曲ではなかなか得られなかった自分の作曲のスタイルを見出していっておりました。
しかしメンバー全員30代〜40代ともなるとバンドはなかなか予定が合わないもの。それぞれ家族や会社での責任が強くなり、身動きが取りづらくなるのです。
結局ha-gakureは一時解散する事になり、その間僕も会社の事業で高校生の軽音楽イベントTeenage Kicksを立ち上げたりレコーディングエンジニアとしていろいろなミュージシャンの作品に携わったりと忙しくしていましたが、
音楽活動を疎かにしていると、どんどん精神的に不健康になってしまい、鬱病に。4年程前に言葉が喋れなくなってしまう(途中で喋りたいことを忘れてしまう、というか喋りたいことが消えてしまう)状態にまでなってしまいました。
そのころは毎日足や腕がが痺れるような感覚をずっと伴っていて、もとより高校生くらいからひどい不眠症だったのですが、全然眠
れないし、メニエール病を持っているのですが、レコーディングエンジニアの仕事をしていても耳鳴りが酷かったり音酔いも酷くずっと吐きそうでした。。
そんな中、自分の唯一の音楽活動として始め出していたのがDJ。完全に心のリハビリとしてやっていたので、リアルタイムで好きだった90年代の洋楽や80年代の邦楽を中心に最初はDJ活動をしていました。
しかし、自分の性格からして、いずれ本気でDJを極めていきたいを思うようになるんだろうと思っていたところに2021年、DJ korさんという方からハナマウイにメールが。そこがハウスミュージックにハマっていく大きな起点となっていきます。
次回は ハウスミュージックにどっぷりとハマり自分で曲を作ってsoundcloudにアップロードしてみた です。
~のんきに南アフリカに行くのを決めた様に見える僕ですが、会社はコロナの影響でもはや倒産寸前です!今のところこのままだと5月くらいには自己破産してしまいそうです。。(誇張してません。リアルです。)もし少しでも応援していただけるのであれば、noteの投げ銭をしていただけましたら本当に嬉しいです。今回南アフリカに行くことを決めたのも、破産してしまっては海外に行くこともできなくなり、今頑張って仕事につなげようとしている事が進められなくなってしまうと思っての決断です。何卒宜しくお願い申し上げます。。
MIYAの作曲プレイリスト
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