「ほどほどに」の効用

ほどほどに・・
よい加減で・・
塩梅よく・・
上手い具合に・・

私達は、微妙な中間表現を使うことがある。

不足と過度の中間は
実はデジタルに表すことが難しい。

相手と自分の立ち位置を計りながら
その時々で
どこまでやるかを
決めなければならない。
私達は、曖昧な世界で生きているのだから。

お金は、ほどほどにこだわるのがよい。
無欲では進歩しない。強欲だと破滅する。

娯楽は、よい加減で切り上げるべきだ。
不足すると荒む。多過ぎると飽きる。

人付き合いは、塩梅が難しい。
薄すぎると冷淡になる。濃すぎると辟易する。

改革は、上手い具合に進めねばならない。
遠慮すると進まない。強引だと反発される。

人生は、曖昧な中間表現で成り立っている
という気もする。

人を治め天に事(つか)ふるは嗇(しょく)に若(し)くは莫し。夫(そ)れ唯嗇(しょく)なる、是を以て早く復す。早く復す、之を徳を重ね積むと謂う。徳を重ね積めば則ち克(か)たざる無し。克たざること無ければ則ち其の極を知ること莫し。其の極を知ること莫ければ、以て国を有(たも)つ可し。国の有(たも)つの母、、以て長久(ちょうきゅう)なる可し。是を根を深くし柢(てい)を固くすと謂ふ。長生久視の道なり。 
『老子』 (守道第五十九)

嗇(しょく):節度、節約の意
克(か):克服する
極:限界
柢(てい):根と同じ意

人を治め天に仕えるには、節度・節約にまさるものはない。何事も七分で満足することだ。節度・節約を保っていると、いくら費やしていても七分しか使わない。三分が残っているから回復も容易い。
こうしていると誰に対しても徳を尽くし、積み重ねることになる。
徳を積み重ねれば克服できないことはない。克服できないことがなければ限界を感じることもない。限界を感じることがなければより良く国を平和に保つことができる。
国を平和に保つその母こそが、「道」の教えであり、国も長く人々も長寿になっていく。これこそがこの世の根本をしっかりとさせること。すなわち根固めをして安定を増すことだ。久しく生きながらえる道である。
『老子道徳経講義』田口佳史 一部改訂

因果の飛躍がやや過剰で、訳を読んでもわかりにくい文章だが、節度・節約の効用を説いているとシンプルに受け止めた上で想像を膨らませてみた。

私は「嗇」という言葉が肝になると思う。辞書を紐解くと、おしむ。ものおしみする。やぶさか。けち。ということになっている。
田口先生は、「嗇」を節約、節度と訳している。

なるほどその通りであろうが、節約、節度だけだとちょっと面白みに欠けるので、一歩踏み込んで考えてみた。

個人的には「ほどほどに」という言い方がしっくりとくる。「ほどほどに」も含めて、日本語は、曖昧な中間領域を意味する表現が豊かである。

世の中には、白黒をはっきりつけ過ぎてはいけないこともあるはずだ。曖昧な中間表現がたくさんあるということは、あえて「灰色」を選択した方がいいこともあるということを、先人達は経験的に知っていたのではないかと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?